起床、騒がしい朝
日も昇りきらない暗い朝に起きるのは俺の日課だった。わざわざ起こしてもらうまでもなく一人で起床し、朝食ができるまで庭で剣を振る。いつもより早くともそれは変わることなく、深い眠りから夢うつつ、目覚める際の中間的な感覚に段々と移ってきている。
「旦那様・・・・・・・・・起きてくださいまし」
「ん、ん・・・・・・」
遠慮がちに小さく身体を揺すられ、満足に働いていない頭が強引に覚醒へと引っ張られる。
(待てよ・・・・・・・・・誰だ?)
サムとマリーはわざわざお越しに来たりはしない。それも俺の身体に触れてまでなんて、
瞼を開けた。燭台で照らされているほどの明るさもない仄かな暗闇に、朧気な輪郭とシルエットが鮮明になっていき・・・・・・・・・。
「あ、おはようございます旦那様♪」
一気に目が覚めた。
直接冷や水を浴びせられたように脳が動きだし、声にならない悲鳴が喉で鳴った。
シャルロット王女の顔があった。それもごく至近距離でだ。
「な、何故ここに!」
おもわず飛び起きてしまい、距離をとる。
「マリーさんから、旦那様を起こしにくるようにと言われたのですが・・・・・・・・・」
「せんでいいっ。いや、違うっ。違いますっ」
「どうしてですの?」
「シャルロット王女っ、あのですな。そのようなことはしなくてもよろしいのです」
「シャルですわ」
「王女様」
「シャルです」
ダメだ、話が進まない。起き抜けだというのもあって果てのないやりとりを繰り広げるのが億劫になってきた。
「私はエリク様の女中、使用人としての働きをするのは当たり前でございます」
「・・・・・・・・・」
「それとも、なにかお気に召さないことでも?」
「わかった・・・・・・・・・わかりました。ひとまず・・・・・・・・・着替える」
「はい」
ここで時間を浪費したらなんのために早起きしたのかわからない。そう言い聞かせながら寝台から降りて、寝間着のボタンを二つ目まで外した。
「・・・・・・・・・なにか?」
手が止まった。シャルロット王女がパタパタと駆け寄って来て寝間着を掴んでいるのだ。
「お手伝いをしようかとおもいまして・・・・・・・・・」
「何故?」
「私は旦那様の使用人、女中ですもの」
答えになっていない。
赤子や幼子ならいざ知らず、貴族とはいえ俺はもう大人だ。甲斐甲斐しく世話を焼かれなくても造作もない。誰かにやってもらったことさえもないくらいだ。
しかも手伝うと提案してきた本人さえもどう手伝えばいいのかわからないらしい。こちらの苦々しげな反応を見上げることもせず、不思議そうに小首を傾げている始末だ。
「頭が痛い・・・・・・・・・」
「まぁ大変。ご病気でしょうか?」
「いえ、手伝っていただかなくても平気です」
「え? どうしてですの?」
「どうしてって――――」
疑問符が浮かんでいそうなシャルロット王女、彼女からすれば誰かに着替えさせてもらうのが当たり前なのではないか? だから自分でもやろうとしている?
「とにかく、一人で大丈夫です。マリーの指示に従って他の仕事をしてください」
「あ、旦那様。御髪と尻尾が乱れておりますっ」
「せんでいいっっっ」
つい怒鳴ってしまうと、至極残念そうに部屋を出て行った。
素早く身支度を整えて剣を持って外に出た。庭にやってくると、ひゅう、と吹いた風が冷たく、肌を突き刺す。薄暗い中で剣をかまえるとせっせと働いている影があった。
「早くから精が出るな」
昨日シャルロット王女とともに新たに雇った庭師のジャンだ。こちらに気づくと小さく会釈をしてそのまま仕事を続ける。無愛想な少年なのかもしれない。
(いや、俺の見た目のせいか)
自嘲しながら剣をかまえ、向かい風となるような位置に立つ。足腰と体幹を意識しながら素振りを始める。
ひゅん、ひゅん。重たく風を斬る音が庭に響き渡る。肌を通り過ぎる肌寒さも意識から消え、頭の中が真っ白になっていく。
やはり、いい。快感に支配されなにも考える必要が無い。火照ってきた肉体に流れる汗が迸り、なににも代えられない心地。
例えどれだけ嘲られようと、姿が変わっても、剣は変わらない。
「こちらを」
「ん? すまない」
陽が出かかってきた段階で終わらせると、ジャンがタオルを差し出してきた。
「旦那様はいつもそのように鍛錬をしているのですか?」
「鍛錬なんて大袈裟じゃないが、そうだな。癖のようなものだ。やらないと落ち着かない」
「さようですか」
「仕事のほうは?」
「さほど急がないといけないことは。きっと前任者の人は腕が良かったのでしょう。怠けても夕方には終わります」
「給料出さないぞ」
さほど悪びれもせず、すましているのが憎たらしく、だが新鮮だ。昔から知っている者以外でこんな風に接してくるのはいない。
「シャルさんのこと、どう思われているので?」
「どうって、いきなりなんだ」
「いえ。あの子は旦那様に好意を抱いていらっしゃるとしか見えないので」
(なにを呑気なことを・・・・・・)
シャルと呼んでいる女の子が王女だと知っても、そんなことが言えるのか。余計ジャンが小憎らしい。
「呪われ騎士と知っていながら雇ってほしいと願って来たのですから。いえ、もしかしたら以前から惚れていたのではありませんか?やりますね旦那様。ひゅーひゅー」
「この・・・・・・待て。知っていただと?」
「ええ。街では噂になっております。この屋敷には呪われた騎士が住んでいると」
「本当か?」
街に出る機会は多くはない。極力減らしてはいるが、どうしても外に行くときは顔フードで覆って隠している。騎士として働いているときを見られたとしても、ここの主であると結びつけられるとは。
「夜な夜な人を食らい、生き血を飲み暮らしている。使用人は生け贄、屋敷の前を通りかかるだけで襲われると」
「そこまでか・・・・・・・・・・・・」
それも尾ひれが付いた風聞まで。流石に落ちこんでしまう。
「ですが、あの子はそんなおそろしい旦那様だと覚悟した上で働くことを選んだのでしょう。昨日も色々と話をしましたが、好意がなければできないでしょう」
「あのなぁ・・・・・・・・・」
「そもそも、旦那様はどうして呪われてしまったのですか?」
「・・・・・・・・・仕事に戻れ。俺が帰ってくる前に終わらせてなかったら解雇する」
睨みつけたまま、憮然とした足どりで庭を後にした。
調子を狂わっされっぱなしだ。シャルロット王女のことだけでなく、新入りの庭師のせいで、思い出したくもない忌まわしい過去が胸中を黒く塗りつぶしていく。
「あ、旦那様・・・・・・こちらにはまだ、」
「ん? うをっ」
「あ~~~~・・・・・・・・・・あ」
綺麗にしている途中だったのか、埃と泥に塗れた絨毯を踏んでしまった。それだけではない。目に見える範囲も昨日寝る前のとは打って変わって汚れている。
「なにをしたんだ。暴れ馬でも通ったのか」
「シャルという子に掃除を頼んだのですが・・・・・・・・・・・・」
「掃・・・・・・・・・除?」
掃除をしてどうしてこうできるのか、おもわずあんぐりと口が開いてしまう。例え教わってなくともやったことがなくてもこんな風にできるなんてある種の才能じゃないか。
「井戸で水を汲んできてくれと頼んでも遅々として進まず、最後には桶をひっくり返す始末です。今は調理を、簡単に材料を切るのをさせていますが」
「そうか・・・・・・・・・きっと今までしたことがなかったんだろうな」
「これでは私が一人で働いていたほうがまだマシではないかと」
「うん・・・・・・・・・そうだな・・・・・・・・・すまん」
マリーにも負担をかけている。このままではいけない。いっそのこと解雇を告げてそのまま一緒に王宮へ行くのはどうだろうか?
「今は兄さんも手伝っているのでそこまでのことは――――」
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 指があああああああああああ!! 血がああああああああああああああああああああ!!」
「ちょ、シャルちゃん! 刃物持ったままじゃ危なああああああああああああ!!」
「ああああ――、もう!!」
早急になんとかせねば。
芽生えた使命感と共に、溜息を零した。
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