2 アップデートの日(1)

「うぁあ?」

 自分の声で、ぼんやりとしていた意識が、はっきりしたのを感じた。

 手が、動かない。それどころか、足だって動かない。声も、思ったように出せない。


 え、これ何?

 私、確か……大学に行こうとして……。え……?


 目の前には、何やら装飾がなされた綺麗な天井。大きな窓。どこかのお屋敷?

 身体にはフワフワとした感触。これは、布団の上?


 なんだろう。どうしたって言うんだろう。どうしてこんな所に居るんだろう。


 万が一大学へ向かっていたのが夢だったのだとしても、マンションのちょっと煤けた白い天井が目に入るはずなのだ。いつもの丸く平たいライトはどこだろう。その代わり、目に入ってきたのは、小さなシャンデリアとも言えそうな飾り。


 窓の外で囀る小鳥の声を聞きながら、以前のことを思い出そうとした。


 神崎えま。18歳。


 その日もいつも通り、朝は6時に目を覚ました。人生の曲がり角だったらしいあの日。あの朝。

 スマホのアラームを止めた。もぞもぞとまだ目も開けきらない目で、スマホを覗く。空は快晴で、窓にかかった薄い夕焼け色のカーテン全体に、日の光が当たっているのを感じた。

「ジーク様……おはようございます……」

 待受画面には、長い黒髪に、赤みがかった金色の瞳の青年と「ジークヴァルト」の文字。推しに毎朝挨拶をするのが日課だった。

 そして、ジークが登場するスマホゲームを立ち上げる。


 画面に表示される『メモアーレン』のタイトル。空を背景としたタイトル画面。

 インディーズの乙女ゲーなのだが、それが、絵もよし、世界観もよし、キャラのイケメン加減もよしの最高のゲームなのだ。

 乙女ゲーといえども、インディーズだからか、ストーリーは定期的な更新でアップされる。それも、今、攻略できるのは一人目の攻略対象である王子様ただ一人。攻略対象は5人いると公式で発表されているのだけど、まだ一人目のストーリーのラストストーリーがやっと今日更新されるという新進気鋭のゲームだ。

 マループロジェクトというサークルが出している。グッズ展開もけっこう本格的にやっていて、公式書き下ろしイラストのマグカップやクッション、タペストリー、CDなど多種多様。もちろん私の部屋にも所狭しと置かれている。そのすべてには長髪黒髪で赤みがかった金色の瞳の青年のイラストが描かれる。推しのジーク。


 アプデから数日は、上限が解放されたレベル上げに、攻略要素である選択肢を片っ端から選択し、イベントスチルをコンプし、推しの影が少しでもないかと目を見開いて探す作業が待っている。

 アプデの日はどうしても食事も授業も疎かになりがちだが、本当に、私は推しのために生きているのだ。ジークだけのために。

 忙しいときも、泣きたくなる日も、ジークの顔を見るだけで心が安らぐ。ジークの声を聞くだけで、嬉しくなる。

 私は、ジークに出会うまで、知らなかったのだ。こんな幸せがあるなんて。

 この世界のあまりの眩しさに、涙が流れる日が来るなんて。


 どれだけ絶望を感じても、この現実に戻って来られるのは、いつだってジークがここに居たからだ。



◇◇◇◇◇



異世界ほのぼのラブストーリー開幕です!

この小説は、私のスマホゲー関連で異常に落ち込んだ深い絶望を糧に書かれています。

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