時空超常奇譚2其ノ五 YOLO/夢の中の男と天の声

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚2其ノ五 YOLO/夢の中の男と天の声

◆第一話「YOLOヨーロー/夢の中の男と天の声」


「田中、プレゼンの資料の状況はどうだ?」

「もう少しで完成です」

「そうか。入札のプレゼンは三週間後だからな、頼むぞ。俺は今から重要な得意先の接待で銀座に行ってくるから、後は宜しくな」

 そう言って、恰幅かっぷくの良い髭男ひげおとこはそそくさと部屋を出て行った。しばらくすると、すててるような事務の女性の声がした。

「じゃあ、私も帰りますね。課長も早く帰った方がいいですよ。どうせ入札なんて取れっこないし、接待だって嘘っぱちなんだから。YOLOヨーロー、人生は一度きり。もっと気楽に生きた方が利口ですよ」

 YOLOはYou Only Live Onceの略で、カナダのラッパーがちょっと前に流行はやらせたスラングだったか。

 確かに、残業をしながら、こんな事をしていて人生の無駄遣むだづかいいではないかと、ふと思うサラリーマンは日本中に幾らでもいるに違いない。かと言って、「もっと自分の未来をひらく為に勇気を持って生きる」と挑戦した同僚が、結局食えずに下請け企業にいたりする。それを考えれば、YOLOヨーローがどれ程難しい事なのかがわかるのだ。 

 今日も残業確定だと男は嘆息した。男の名は田中幹たなかつよし、課長だが部下はいない。この部署には、今し方『銀座で接待』と言って出て行った部長と呼ばれる髭面の男と、モチベーションゼロの事務の女性の三人だけだ。

 部長とは言っても完全に窓際族で、かつては日の当たる営業部でエリート部長として羽振りを利かせていたのも昔の話、今では思い切り窓際に押しやられ完全に腐り切っている。そこに降って湧いたような、取れる可能性など極端に低いだろう大型契約のプレゼンが早々に迫っている。事務の女性の言う「取れっこない」事など承知の上なのだが、だからと言ってサラリーマンが上司の指示に従わないなどという事はあり得ない。

 重要な得意先接待と言って出て行ったが、窓際部長としての重要な得意先などある筈もなく、毎日銀座のクラブで経費を使い、タクシーチケットで家に帰る自己接待を繰り返している。 

 一方で、男はプレゼン資料作成に殆ど終電で帰宅する毎日で、今日も終電での帰宅が既に確定している。出来る事ならこんな会社などとっとと辞めて、子供の頃夢だった宇宙飛行士かJAXAジャクサにでも転職したいものだ。もっとも、男にはそんな熱意も勇気もこころざしもないが。

「今日はこれくらいにするか」と、男は仕事を切り上げて帰宅した。

 終電で最寄駅からの帰り、自宅近くのコンビニに寄る。このところのルーティンになっている。そのコンビニで嫁に内緒で死ぬほど甘いスイーツを買って食べるとか、レジに可愛いオネエさんがいるとか、そんなやましい理由がある訳では決してない。そもそも、そのコンビニにはイートインスペースはないし、可愛いオネエさんどころか深夜勤務の中年オヤジしかいない。

 人は、緊張の為の交感神経と弛緩しかんの為の副交感神経とで感情や自律神経を調整している、と言われている。家に帰る前に、緊張した交感神経を副交感神経切り替える為に、コンビニの何て事のない空虚な空間が役に立つのだ。

『アニキ・』

 誰かが男を呼んだ。空耳か、或いは精神的ストレスによる幻聴かと思ったが、店内には男の他にはレジの中年オヤジだけだ。

 天から聞こえたようなその声は誰か。天の声は若い男で、親しげに自分に向かって発しているような気がした。とは言いつつ、深夜に男声を聞きたいと欲する趣味などない。会計を済ませ、もう一度店内を見回して自分以外の客がいない事を確認し、店を出た。

 男には秘密がある。秘密と言っても単に特異な夢を見る事が出来るだけで、大それたものではない。夢の内容も、どこかの予言者のように夢で未来を知る訳ではないし、してや寝ている間に幽体離脱ゆうたいりだつするような奇想天外なものでもない。

 特異な夢とは、夢が夢である事を男自身が知っているだけだ。他人に言えば「何だそれだけか」と笑われるに違いないのだが、そこには大いなる意味がある。自身が夢を支配する事が出来るのだ。

 そんな夢を見るようになった切っ掛けは、ひょんな事だった。休日の朝、普段ほとんど見る事のないTVで、大御所と言われる人気タレントが何やら奇妙な事を言っていた。

『ボクはね、夢を夢と知っているんだよ。夜寝るでしょ、その後夢を見るんだけど、夢の中でそれが夢だと知っているんだ。そうするとね、とんでもなく凄い事が起こるんだよ』

 アシスタントの女子アナが、中途半端な興味を顔に出しながら言った。

『凄い事って何ですかぁ?』

『それは言えないな。だって考えて見てよ、その夢は自分が支配する世界なんだからさ、どんな事が起こるか。凄いだろう?』

『えぇ?わからないですぅ』

 男は、TVで得意そうに夢を語る大御所タレントに向かって、腹立たしげに文句を付けた。

「支配する世界?何だよ、それ。自分の夢なんだから、支配するなんて当たり前じゃないか」

『その夢をどうやって見るかと言うとね、実は結構簡単なんだ』

「夢を見る方法?」

 単純な言葉が男の興味を刺激した。男はじっと人気タレントの顔を見据え、次の言葉を待っている。

『寝る直前に『これは夢だ、これは夢だ』って七回唱えるんだよ。それだけ、それだけで物凄く刺激的な夢が見れるんだ』

『何故、七回なんですかぁ?』

 アシスタントの女子アナの半端な興味が続く。

『いや、実は何回でもいいんだけど、七回って言うと『何故』って思うだろ。それが大事でね、暗示効果を生むんだよ』

 人気タレントは、相変わらずわかったようなわからないような自説を、得意満面で喋っている。

「何だ、くだらない。下らなさ過ぎて言葉が出ない」

「ツヨシ君、どうしたの。そんなのどうでも良くない?」

 TVに向かって憤慨ふんがいする男に、嫁が子供をあやしながら呟いた。例え、そんな夢を見る事が出来たらどうだと言うのだ、自分の夢なのだから支配するなど当然だ。得意げに何を言っているのかと男は腹立ちを抑える事が出来なかったが、冷静に考えてみれば嫁の言う通りで、別に態々わざわざ腹を立てる程の事ではない。

 その日の夜、いざ就寝しゅうしんという段になって、何故か男は『夢だと知っている夢』の話を思い出した。既に、何故あれ程腹が立ったのかさえ忘れてしまっている。

 夢というのは考えれば考える程不思議なもので、自分の夢であっても、必ずしも思い通りにストーリーが進んでいくとは限らない。それどころか、内容は支離滅裂で無茶苦茶なものがほとんどで、目覚めた時には何も覚えていない事が多い。時折ときおり、夢で空を飛んだりすると何となく嬉しかったり、次第に高度が下がって追い掛けられる誰かに恐怖を感じたりする。夢とはそんなものだ。

 そんな夢を支配する。人気タレントが言わんとする、その言葉の明確な意味を理解するのは難しい、そう思うと逆に興味があふれて来る。

「これは夢だ、これは夢だ・」

 男は、くだらない筈の言葉を七回つぶやいた。

「ツヨシ君、何か言った?」

 隣で寝ている嫁が言った。三歳になった幼い息子が、つぶらな瞳で何事かとこちらを見ている。

「いや、何でもない、何でもない。ひとり言だよ」

 そう言って男は眠りにいた。何故か、いつもより寝付きが良いような気がする。意識が次第に柔和にゅうわなベールに包まれていく。人はこうして眠りの世界へ落ちていくのだろう。

 ぼんやりとそんな事を考えていた男の目前に、どこか知らない商店街のアーケードが現れた。きっと、もう既に入眠にゅうみんしているに違いない。

 ここはどこなのだろうと思った途端に、男は叫び声を上げて走り出した。何故か走らなければならないような気がした。一頻ひとしきり走り続けたが、どこまでも続く商店街が終わる様子はない。それぞれの店先には明かりが煌々こうこうともり、今し方まで人がいた気配はあるのだが誰一人として姿は見えない。遥か遠くまで続いているこの場所は一体どこなのか。自分は何故走っているのか。湧き上がる疑問の前で男は立ち止まり、辺りをぐるりと目視もくしした。やはり誰もいない。

 現実と夢の世界の間には、確実に意識の継続する部分と断絶する部分が存在する。人は入眠の意識を持たず、夢の世界に自身が存在する事でそれを現実と錯覚する。ゆえに、人は夢の世界であっても突拍子もない事はしないし、法に触れる事や倫理を逸脱するような事もしない。何故なら、錯覚によって常識的行動が必然的な解釈となるからだ。

 だが、現実と錯覚する夢に一つだけいつもと違う感覚がある。誰かがささやいている、言葉ではない感覚で誰かが「これは夢だ」と告げているのだ。しなに唱えた呪文の効果なのか、「そうだ。これは夢だ」と男は自覚した。妙な感じだ。常識的行動が必然となるべき自分の夢に対するストッパーもリミッターもない感覚、解き放たれた倫理観、湧き上がる期待感。これこそがあのタレントの言っていた「とんでもなく凄い事」に繋がっていくのだろう。

 いつの間にか、男は暗闇の中を歩いている。目的はわからない。何の為なのか理由を知る事もない。商店街アーケードからの話の流れに全く繋がりがないが、そこに違和感は全くない。夢だから当然だ。

 突然、闇の奥から全身を黒いタイツに身を包み、白い仮面で顔を隠した何者かが現れ、何かを振り回し「死ね」と叫びながら男に向かって走って来る。何が起きたのだろうか。男は遠くから走り寄る輩のその姿を確認し、人の気配のない交差点で立ち止まる。交差点には信号が付いて、信号は青から赤に変わり掛けて点滅している。仮面の何者かは殺気を極限まで引き上げ、再び「死ね」という怒声を響かせた。

 男は小さく後退あとずさりし、思索する。その嫌悪な叫びは自分に向けて言われたのだろうか。いきなり死ねと言われても困る。自分は何もしていないし、何を言っているのか理解など出来ない。それでも、理不尽なその叫び声の主に躊躇する素振りはなく、仮面のやからのその姿が血のしたたるような赤い双眸そうぼうの殺人鬼に変った。

「キサマ、殺してやる」

 赤い眼の狂人は、只管ひたすら叫んでいる。男は目前の唐突な光景に疑問を呈さずにはいられない。自分は生まれて35年間清廉潔白せいれんれっぱくに生きて来た。何ら法に触れるような事などしていないし、してや人に怨まれる覚えなどこれっぽっちも、微塵みじんもない……と思う。

 叫び続けながら近づくその狂人が、右手に奇妙に歪曲した銀色に光るもの握っている。それは刃物そのものだ。そんな異形のものを振りかざす仮面のやからに、関わり合いなどある筈もない。

 男は、自分を落ち着かせるように自問自答した。仮面の狂人は何を勘違いしているのではないだろうか。そうだ、それはきっと自分ではない別の対象を血眼ちまなこで追い掛けているに違いないのだ。故に、きっと狂人は自分の傍らを通り過ぎて行く。それは至極当然であり、この状況に対する最も合理的な解答でもある。

 そう思いながらも、小さな恐怖は次第に男の身体全体に襲いかぶさる。胃が締めつけられるような嫌悪に包まれて、冷たい汗が額に触れる。

 仮面の狂人は、予想を寸分もたがわずに、男の横を全速力で走り去って行く筈だ。だから、その速力は決して落ちる事はない。

 だが、それは起こった。男の予想に反して、銀色の刃物は男に向けて躊躇ちゅうちょなく鋭く突き出される。

「やめろ・」

 刃物の先端が、衣服の上から男の胸に突き刺さる。鈍く息苦しい嫌な痛みが全身に流れ、男の身体は硬直した。

 田中幹たなかつよし、35歳サラリーマン、既婚で3歳の子供が一人いる。実直さだけで取り立てて何の取り柄も特徴もない。男は自宅の寝室の暗闇の中で目覚めた。

「夢か……」

 大きく深呼吸すると、現実が血液となって体内をめぐり鼓動が胸を押し上げる。冷たい汗が全身にからみみ付き、目覚まし時計の無機質な音に奇妙な夢の感覚が繰り返えされる。闇の中で蛍光色に光る時計の針は3時を指していた。

男は安堵の声を漏らした。意識は朦朧もうろうとし、刃物が刺さった痛みと金属的な異物が身体に入り込んで来るリアルな違和感がまだ残っている、吐きそうだ。

「ツヨシ君、大丈夫?」

 嫁の心配そうな声がした。その隣で聞こえる子供の寝息に安堵する。

「大丈夫、いつものヤツだから」

「うん、おやすみ」

 何が夢の支配だ、こんな嫌な夢を見たのは学生時代の試験前日以来だ。それはきっと、七回唱えたあの呪文のせいに違いないのだ。

 その夜から同じ事が繰り返し起こっている。眠れないのだ。不眠症ではなく、眠れるには眠れるものの嫌な夢を見る事が多く、殆ど2時間ごとに目覚めてしまう。その反動だろう、昼間は異常な程眠く帰宅して食事と入浴を済ませて暫くすると、睡魔が嵐のように襲って来て意識がなくなる。そして、翌朝6時に起床するまできっちりと2時間ごとに起きる。それは一晩に何度もの夢を見るという事と同じだ。しかも、その夢は大抵とんでもなく凄いものではなく、心地良いものでもない。

 突発的な事態に「うつ病か、それとも何か重度の精神疾患しっかんか?」と考えてみたものの心当たりはない。「ストレスか?」、いやストレスなど誰にでもあるだろうし、だから夢を沢山見るのだというのも納得がいかない。いずれにせよ、そうしている内に朝が来る。

「お早う」

「ツヨシ君、昨日も嫌な夢見たの?」

「ん、あぁ」

「どんな夢?」

「あれ、どんな夢だったかな?」

 夢というものは大概次の朝起きる頃には忘れている。その断片が記憶に残っている事があっても、粗方あらかた覚えている事はない。一晩に幾度もの夢を見ても、次の朝に覚えていた試しはない。

「ツヨシ君、うなされるの多くない?」

「大丈夫だよ、大丈夫」

 そう言いながら、会社に向かった。途中に寄った会社近くのコンビニで、レジを待っていると、またあの声がした。天の声、若い男の声だ。

「アニキ・」

 小さく聞こえる声の主はわからない。これで何度目だろう、帰宅時深夜のコンビニで聞いて以来頻繁ひんぱんに呼ばれている。反射的に周りを見回した挙動不審な男の姿に、後ろに並んでいた女子高生がいぶかしげな顔で後退あとずさりした。どうやら、それの声は男にしか聞こえないらしい。

 男はにやりと微笑み、心を躍らせた。実は、最近頻繁に睡眠が途切れる独特の不眠症の他に、もう一つ違う現象が発生しているのだ。その回数はそれ程多くはない、滅多めったに起こる事はないのだが、その声がすると決まってその夜にはやって来る。アレとは、人気タレントが言っていたあの『夢を夢と認識している明晰夢めいせきむ』に他ならない。

 それは、いつだったろうか。一晩に幾度もの夢を見るようになってしばらった頃、相変わらず嫌な夢ばかりで中途半端に寝不足が続いていたある日、突然に明晰夢を見た。それは、正にあのテレビタレントが言っていたものそのものだった。そして、明晰夢を見る前には必ずあの『天の声』がするのだ。

 その声が誰なのかはわからない。知り合いではなく、誰一人として思い当たる者もいない。男を呼ぶその声は、おもむろに近づいて来ているような気もする。薄気味の悪さや健康上の心配もなくはないが、男がそれを悲嘆する事はない。それどころか子供のようにワクワクが止まらない。

「今日はきっと、明晰夢の日に違いない」

 男は、思わず出社の道すがらニヤつく顔で独り言を呟いた。

 その夜、果たしてそれはやって来た。最近ではそれが来るのも感覚的に何となくわかるようになっている。明晰夢めいせきむは10日に1回程度の頻度ひんどで見ている。何故そうなるのか理屈はわからないが、何故かその夢だけは翌朝にも一部始終を覚えている。

 夜10時を過ぎると、いつものように誘眠の進軍がやって来た。暗闇の中で一点に集中する。暫くして微睡まどろみが男の意識の全てを包み込み、気がつくと夢の中にいる。今日の夢の舞台の感じは、またちょっと違う。

「これは夢だ。俺だけがそれを知っている」

 そう呟き、何かを期待する男の目前に街並みが広がり、沢山の人々が足早あしばやに通り過ぎて行く。男は、太陽が燦々さんさんと照りつける横断歩道に立ち、右手ビルに設置された時計が昼時を指している。

 人々は忙しそうに横断歩道を渡って行く。昼間のせいなのだろうか、随分と多くの人が行き交っている。背後から若い男の舌打ちと同時に誰かに押され、よろけた拍子に横断歩道の舗装路面の真ん中に浮かぶ不思議な『金色のライン』を越えた。その瞬間、全身に震える違和感があった。その金色のラインが何なのかはわからない。

 ラインを超えた途端、周囲の風景が変わった。昼時の太陽の眩しい空が暗黒の闇夜に変わり、その彼方に刃物を持った狂人が白刃しらはをギラつかせているのが見える。男は思わず声を出した。この交差点、この信号機には見覚えがある。そうだ、あのビルの角からあの狂人が叫びながら突進して来て、男に刃物を突き立てるのだ。そう思っただけで肝が冷える。  

 男は狂人を見据え、神経を研ぎ澄ませながら、注意深くきびすを返してビルとは逆方向に一目散いちもくさんに走り出した。後ろから狂人の声がした。走り続けてしばらくすると、声は聞こえなくなった。男は後ろを振り返り狂人がいない事を確認して、再び歩き始めた。暗黒だった闇夜が、昼時の太陽の眩しい空へと戻っている。

 大いなる興味と多少の不安が入り交じる。前方左手には、比較的広い道路に沿うように中高層のビル群が建ち並び、反対側には水面が波打つ堀が見える。大手町の皇居辺りの日比谷通りに良く似ている。

 違うのはそこを通行する車も人もない事だ。つい今し方まで、肩が触れ合う程の人と群れを成す車が引っ切りなしに通り過ぎていたが、その姿はどこにもない。まるで風景写真のような不思議な光景だ。

『アニキ・』

 その声がした。このところ、コンビニだけではなく毎回明晰夢の端々でも、天の声が男を呼ぶ。誰からも呼ばれる覚えはないが、明らかにその声は男に向けられている。だからと言って、何をどうするでもなく進むしかない。左手に並ぶビルとビルの間に石造りの巨大な門が現れ、門の先に続く道が見えた。その声は、その道の向こう側から聞こえて来る、そんな根拠のない確信がある。

 男は先へと進んだ。門を潜った瞬間に身震いする違和感があり、男は慌てて後退りした。その違和感に覚えがある。交差点で全身に走ったあれだ。違和感の正体はわからない。目を凝らして見ると、門の下に交差点と同様の『金色に光るライン』があった。何かをへだてる境界線のようでもある、勿論もちろんそれが何なのかわからない。わからない事だらけだ。

 男は、一呼吸ひとこきゅう置いてから、わからない事は気にしない事にした。何故なら、これは自身の夢なのだから、違和感を覚える事も困惑する事にも意味はないし、悶々もんもんとする必要も考え込む必要もない。躊躇ちゅうちょしたり不安を感じる事自体が理屈に合わない。精気を奮い起こして前へと進む。

『アニキ・』

 また、その声は聞こえた。天の声は、明らかに門の向こう側から男を呼んでいるのだが、通行人もなく他には誰一人として姿は見えない。男が勇んで金色のラインを越えると、違和感は耳鳴りに変わって急激な眠気となり、意識が飛んだ。夢の中で眠気を覚えるのも、変と言えば変なのだが。

 男の認識は、夢だと知っている夢から現実に近い夢へと変わりつつある。夢と現実との境界がひど曖昧あいまいだ。

 目を開けると、そこには道はなく、全く見た事もない世界が広がっていた。石畳いしだたみが続いており、両側に林立りんりつする建物はローマかギリシャの古代遺跡のようだ。相変わらず人の気配はない。

 男は、今まで短パンとTシャツだった自分の服装が素材のわからない軍服になり、褐色となった太い両腕に無数の傷跡がある事に気付いた。そんな事は夢なのだから大した事ではない。いや、これは本当に夢なのだろうか。何方どちらにせよ、男は主役だ。いよいよ今日の冒険活劇の始まりなのだと思うと心が躍動やくどうする。

『アニキ・』

 三度目の声がした。天の声は、今度ははっきりと前方から流れて来る。男は走り出した。何故かはわからない。金色のラインを越えた途端に、その声に対する興味と一刻も早く声の主に会ってこうどうしなければならない義務感とが混濁こんだくした。

 いつの間にか、男は両手で黒光りするマシンガンをかついでいる。戦闘本能を揺さぶる心地良ここちよい銃の重みに震える。銃を空に向けて引き金に指を掛けると、鈍く魂をえぐる発砲音と振動が男の陶酔とうすいてた。意識は快感に変わる。

 やはり、これは夢だ。翌朝にも一部始終を覚えているその夢が始まっているのだ。

「これが夢である事を、俺だけが知っている」

 そう呟いて、何かを期待する男の目前に街並みが広がり、沢山の人々が足早に走り過ぎていく。今度は当然のように人がいる。男が右手にM7サブマシンガンをたずさえているのも奇妙だが、まぁいい、これが男の夢の世界である事に変わりはない。

「この世界に来てしまえば、こっちのものだ。これは俺の夢だ、俺だけの世界だ」

 男はまさに水を得た魚になる。通常、夢は夢である前に仮想現実でもある。自身が仮想に創り出したとは言え現実と何ら変わらないのだ。だから、夢の中でも人は現実と変わらない行動をとる。だが、明晰夢は違う。夢自体の支配が可能となる、即ち理性に縛られる必要はない。男は神のごとき力を持ち、今そこにある世界の絶対的支配者となるのだ。異常な嬉しさが込み上げる。心神喪失とはこういう状態を言うのではないだろうか。

「何をしようか……」

 男の顔に思わず微笑いがれる。何度も明晰夢は見ているが、今回は特に異常な感激が込み上げてくる。

「俺はこの世界の支配者だ・?」

 突然、爆発音がした。表通りに面するビルが崩落し、驚愕きょうがくに肝が冷える。同時に、前方からキャタピラーの音を引きずって戦車が現れた。自分の夢である筈のこれ等全てのストーリーの予測がつかない。 

「そういう事か……」

 自分の腕の中にサブマシンガンがある事の意味が何となくわかる。

「これは、戦争だ」

 更に、前方から連続した銃声と爆発音が聞こえた。相手の銃がマシンガンであるのは間違いない。嫌な予感はするが心配はない、何故ならこの世界では自身が神なのだから。

 男は試しに思い切りジャンプした。思った通りに身体は宙を舞い、ビルの屋上へと飛んだ。流れ弾が手元を過ぎった。だが、大丈夫だ。自身には当たらない事は知っている。何故なら自分こそがこの世界の神だからだ。

 ビルの屋上からは地上の様子が手に取るように見えた。どうやら赤と青の軍が撃ち合っているようだ。

 これはどういう事なのか?男にはどうにも納得がいかない。自分の夢は自分の思い通りに展開しなければならないと思っていたのだが、地上で戦争が勃発しているだけでも違和感を覚える上に、更に天空の様子が変だ。薄暗い空に七色に輝くUFOらしき物体が舞い、まばらに通りを行く人々がそれを指差している。

 屋上から空へと思い切って飛んでみた。身体が羽根のように風に乗り静かに着地したが、地上の人々は依然として天空に目をり、口々に何かを呟いている。

「ヤバい、逃げろ」「逃げろ」「逃げろ」

 誰かが叫んだ瞬間、いきなり地上から雷光が立ち上がり天空を突いた。地上から逆立さかだった放電発光プラズマがスプライトのように天上に昇り、白い雲を蹂躙じゅうりんした。

 それに対抗するように、今度は天空から白い尾を引いて幾つもの爆撃が落ち、空に穴が現れ真紅しんくに輝くたぎったマグマがドロドロと地上に流れ出した。また別の空の穴からは、大量の水が流れ洪水となって地上を満たし、人々の溺れる姿が見えた。人々は高い建物に避難したが、水は建物さえ呑み込んでいく。天の怒りだ。30メートルはあるだろう津波が男の方へと向かって来る。

 地上からは、尚も天に向かって火を噴く槍が飛び、空の中に爆裂の光輪が見えた。そして、天から白い雲に包まれた巨大な船と多勢なる天空人が地上に落ちた。

 何だ、これは?何がなんだか滅茶苦茶だ。まぁ、夢だから仕方がないと言えば仕方がない。

 人々は悲鳴とともに逃げ出した。どこに隠れていたのか、数え切れない人の波が一方向へ流れていく。どうにもストーリーが予測できない。

「これは本当に俺の夢なのか。何でもやり放題の俺の夢なのか」そんな疑問が湧く。男はためしに走りながら、隣を走る女の尻を触ってみた。

「何するのよ痴漢、こんな時に。アンタ、馬鹿じゃないの?」

 女が呆れた顔で叫んだ。こんな時じゃなければ触っても良いのかとも思ったが、確かにそんなツッコミなど入れている場合ではない。

「皆さんどこへ行くんですか?」

「逃げるに決まっているでしょ。あの空の穴から神が、人喰い巨人が出てくるのよ」

 そう言って、女は全速力で痴漢男から逃げ去って行った。

「空から神が出て来る?」

 何かが変だ。これは男自身の夢、男が絶対神だ。だから、夢の先はいつでも予見出来なければならない。男の夢なのだから当然だと思ったのに、予測出来る事など何もない。

 男は走るのをやめた。自分の夢で逃げ惑うのは何とも理不尽だ。後ろを振り返ると津波は既に消えていて、空には水の流れ落ちた穴から何かの眼がこちらを見据えている。言い知れない恐怖が冷たい汗に変わる。夢であろうと怖いものは怖い。

 穴から人の手が、足が出た。真っ黒な人型が穴から姿を見せ、巨大な人型が地上に落ちた。激震が街を揺らし、人々の悲鳴が聞こえる。一歩、二歩と地響きを引きずって巨人が男に近付いて来る。

 男は、足下から人型の巨人を見上げた。巨人が薄気味悪く笑う。単純な恐怖が身体を包み込み足がすくむが、男はひるまない。何故なら、この世界では男に不可能な事など一つもない・筈だ。

 男は巨人に向かって飛びねると、マシンガンから変化した光る剣を強く握り、上段から一気に振り下ろした。鋭くがれた銀色のやいばが巨人を真っ二つに切り裂き、血みどろの身体の中から二つの赤く光る玉が現れた。

 天の声がした。

「アニキ、その二つの玉をぶっ潰してください」

 言われるままに、一つの玉を串刺にする。玉は赤い血飛沫ちしぶきとともに水風船のように破裂した。振り切った剣の感触、戦士になった快感に身体が震える。らえ切れないもう一つの玉が背後の方向へと飛び去った。男は既に先の読めない冒険物語の主人公に成りきっている。

「くそ、逃がすか」

 玉を追って走ると海岸線に出た。いつか、どこかの映画で見たような風景だった。海岸線が山の向こうまで続いている。きっと、あの砂山の向こうに自由の女神像が埋もれているに違いない。そして、猿達が馬に乗ってやって来るのだ。

「馬に乗った猿は、どこにいる?」

 見渡したが、猿は来そうもない。仕方なく砂山を超えた。

 砂山の向こう側には、期待された自由の女神像はなく、全長30メートル程の紫色のUFOが地上スレスレに浮いていた。まだまだ、全く先は読めない。

 あのUFOの中に猿達がいるのか。いや、グレイタイプのエイリアンがいるに違いない。いやいや、グレイではなくETか、はたまた戦闘型異星人プレデターか。

 もう既に自由の女神像の事は頭にない。安直な妄想をし続ける男の頭上を、紫色のUFOが飛び去って行く。逃げた玉の片割れはあのUFOに乗っているのか、そんな気がした。紫色のUFOの後方から、猛烈なスピードで追い掛ける黄色い三角型の宇宙船から声がした。

「早く乗ってください」

 三角型宇宙船から、声がした。男は取りあえず、ジャンプした。同じタイミングで、飛んでいる三角型宇宙船の下部ハッチが開き、男は中に吸い込まれた。淡い黄緑色の光が身体を優しく包んで引き上げ、床に降りた。

「ここが宇宙船の内部か?」

 船内には、見知らぬ若い男と幼い女の子がいる。若い男はかなりのイケメンで、肌の質感、髪色を見ると、地球人ではなさそうだ。女の子に至っては、可愛い少女と言った外見のロボットの類と思われる。

「お前、宇宙人か?」

 男は落ち着かない様子で船内を確認しながら、若いイケメンに訊いた。どうして良いのか居場所がない。

「アニキ、どうしたんスか。何か変っスよ」

 男は思わず「あっ」と声を出した。あの声の主だ。

「俺を呼んでいたのは、お前だったのか……」

「?」

 親し気に話す天の声の若いイケメン男は不思議そうに首を傾げ、女の子は操縦席に座ったまま男を見据えている。どうやら、二人とも男に敵意を持つやからではないようだ。

「お前等は、何者だ?」

「何者って……どうしたんスか」

 若いイケメンは、明らかに男を見知っているようだ。まるで会話が噛み合わない理由は何か、何かがどこかで狂ったのか。それにしても、夢の支配はどうなったのか。

「これは俺の夢だ。ここは全て俺の世界なんだ」

「アニキ、何を訳のわからねぇ事を言ってんスか、これは夢じゃないっスよ。これのどこが夢に見えるんスか?」

 イケメンが船内の壁を叩いた。鈍い金属音が響く。確かにそこら中にリアリティがあふれている。男は右手で床を触った。触った金属床の質感は本物でしかない。

「アニキ、頭大丈夫っスか。この人、本当にアニキなのかな?」

 操縦席に座るロボットの女の子が機械的な声で言った。

「意識鑑定センサーで確認済みだ。宇宙の狂人、ぱぱす号船長で東宇宙連邦宇宙局所属の宇宙専攻警察官、ジョニー・シードに間違いないぞ」

「じゃあ、何でだよ?」

「多分、それはこの宇宙に最近になって劇的に流行はやりつつある、「宇宙健忘症候群」と考えれるぞ」

「何だよ、それ?」

「「宇宙健忘症候群」は最近流行はやり出した病で、一時的に全ての記憶を失ってしまうみたいだな。原因は不明」

「嘘だろ、面倒臭ぇな。俺がアニキに説明しなけりゃならねぇって事か?」

「そうだぞ」

 仕方なさそうにイケメン男が言った。

「アンタはオイラ達の兄貴分で、この宇宙船の船長。オイラは助手のポポ、あっちはAIパイロットロボットのミミ。オイラ達は、東宇宙連邦宇宙局所属の宇宙専攻警察官スよ。あぁ、面倒臭ぇな」

「俺は警察官なのか。カッコいいな」

「カッコ良くはないっスよ」

「何故?」

「あぁ、面倒臭ぇ」

「それは、ワタシ達がクズ野郎と呼ばれているからだぞ」

 ミミが事務的な口調で言った。

「クズ野郎?」

「宇宙専攻警察官は、簡単に言うなら海賊をえさにする賞金稼ぎだ。しかも、ワタシ達を含めて宇宙専攻警察官のほとんどは元々海賊だったので、海賊からもクズ野郎とか外道げどうとか呼ばれているぞ」

 何やら事情やら歴史がありそうだ。関わりたくはないものだが、夢にしては随分と手が込んでいる。

「ところで、これからどこへ行くんだ?」

「あぁ、頭痛がする」

「ワタシ達は今、宇宙海賊バライカ・バルカン軍を追っていて、アニキがバライカ軍の殺し屋で、赤い玉のケサラン・パサランの片割れのケサランをぶっ潰したから、残りの馬鹿パサランとその仲間達を追い掛けて、奴等の溜まり場に行くところだぞ」

「俺が、殺し屋の片割れをぶっ潰した?」

 そんな覚えはない、と思う。

「アニキ、二つの玉の内の一つをぶっ潰したじゃないっスか?」

 そう言えば、言われるままに一つの玉を串刺にして、赤い血飛沫ちしぶきが飛び水風船のように破裂したような気がする。で、もう一つの玉が背後へと飛び去った。

「あの玉が、殺し屋ケサラン・パサランの片割れのケサランっスよ。だから、逃げたパサランを追い駆けるっス」

「なる程・」

 男は何となく納得した。冒険活劇が始まっているのだから、このストーリーに何ら矛盾はない。 

「それとさ、ミミ。女の子なんだから、もうちょっと言葉の使い方を優しくした方がいいよ」

 ミミと呼ばれる女の子ロボットの言葉使いに物言いをつけた男に、イケメンが困惑した様子でツッコミを入れた。

「ミミはロボットだから設定でどうにでもなるっスけど、ミミがナメられねぇようにって、アニキが態々わざわざセッティングしたんじゃないスか?」

「ワタシは気に入っているぞ」

「そうなのか、じゃあいいか。でも、もうちょっと女の子らしいのがいいな」

「……了解……です」

 ミミの言葉遣ことばづかいがたおやかに変化した。

「それで、海賊の溜まり場なんてわかるのか?」

「簡単っスよ。奴等は宇宙海賊ガライカ・バルカンの手下っスから、C8に行く筈っス。これは全部アニキからの聞いたんスよ。思い出せないんスか?」

「残念だが、全く知らん。ガライカって誰だ?」

「ガライカはこの宇宙最強の海賊で、飛び切りのいい女だけど中身は唯のオッサンの悪魔だから、絶対に関わりになるなってアニキが教えてくれたんじゃないスか?」

「そうなのか」

 どうやら、イケメンと女の子は警察官で、男の部下らしい。成り行きにイケメンが天をあおいでいる。パイロットロボットのミミが甲高い声で告げた。

「ドノコ銀河系恒星ソナノカ係属第四惑星ワガネ第6衛星ナデンに、到着しました」

「ここは、どこだ?」

「この星周辺エリアは別名C8と言って、バライカ軍のアジトがあるんス。赤い玉の片割れのパサランは、絶対ここにいるっスよ。ここまで、ヤツのノータリン臭がして来やがるぜ」

 黄色い三角型宇宙船は、音もなく赤茶色の星の西端に広がる砂漠に着陸した。

「アニキ、行くっス。あっそうか、全部忘れているのか、あぁ面倒臭ぇなぁ。その格好じゃマズいっス。ベルトのベゼルを右に3コマ回してください」

 男の軍服が、瞬時に西部劇のならず者に変化した。

「これが宇宙海賊の格好なのか、マカロニウエスタンみたいだな」

「何スか、それ。まぁいいや、このスカイ・ウォーカーに乗ってください」

 小さな円形の金属板は、地上10センチメートル程を浮いていて、側面が青く点滅している。スカイ・ウォーカーと言うらしいこの板に乗ると、足が張り付いたように離れない。

 砂漠に隣接する山のふもとに洞穴が見え、その周辺に巣窟アジトらしい建物が幾つも連なっている。あちらこちらに、海賊のものと思われる色鮮やかな宇宙船が乱雑に置かれ、洞穴を進んだ奥にネオンの光が飛び回る電飾に飾られた扉がある。

「アニキ、ここっス」

 音もなくスライドして扉が開いた。まるで西部劇の酒場のような空間の電飾は百歩譲って良いとしても、自動式のスライドドアはどうか思う、ムードが台無しだ。

 それだけではない、地球人とは明らかに違う見た事もない宇宙人とおぼしき生物達が、何かを片手にうなずき合っている。ヒト型だけではなく、クマやらワニやらトリがいる、動物園のようだ。手に持っている色とりどりの球体は多分酒のグラスなのだろう。

 男とイケメンのポポは、ズラリと並ぶテーブルの最奥に陣取っているカマキリ顔男の隣に座った。テーブルの手前にボタンらしきものがあり、押すと液体の入ったガラスの球体が現れる。ガラスの球体の中でプラズマのような雷光が激しく踊っている。球体ガラスを額に当てると、身体中のアドレナリンが湧き出すような感じがする。酒の類なのだろう。

「お前、パサランだろ?」

「何だ、手前ぇは。やんのか、コラ」

 ポポの誘いに乗った海賊パサランと仲間達が銃を抜いた。その時、店内の空気が一瞬で凍り付いた。

 店の扉が開き、真っ赤なバトルスーツに全身を包む小柄なヒト型女が、数人の屈強なボディガードを引き連れて店に入った。長いブロンドの髪が風に揺れている。寸隙すんげきもなく、宇宙各空域を暴れまくる無法者の海賊達は一斉に直立し、そろって両手を挙げて震え出した。女の顔を一瞥いちべつしたポポは、小声で言った。

「アニキ、あれがガライカ・バルカンっス。顔を見られないように隠れてください」

「カマキリ顔のパサランは、どこかしらね?」

 手を挙げる店内の海賊達の目が一点に集中し、店内奥のパサランの居場所を教えている。最奥まで歩いた女が立ち止まった。

「あらまぁ、パサランちゃん。こんなところに隠れていたのね?」

 筋骨隆々の海賊兵のボディガード従えるバライカ・バルカンは、長いブロンドの髪に凶暴さを隠しているのが見てとれる。海賊兵は戦闘力を誇示する巨大なビーム砲弾を担いでいる。

「ケサランがられたんだってね。何故かしら、宇宙警察ごときに・」

 言い終わらない内に、女のビームガンがカマキリ顔を吹き飛ばした。血みどろの身体に首と頭がない。

 眉一つ動かさず、何事もなかったようにきびすを返す小柄な女は、手を挙げずに足を組み凝視ぎょうしするポポに興味を示した。

「あら、宇宙専攻警察のポポ君じゃないの。何故ここにいるのかしら?」

うるせぇよ、オレがどこで何をしようとお前にゃ関係ねぇ」

 ポポは挑戦的にシラを切ったる。緊張が走る。

「ワタシに嘘は通用しないわ。先輩のジョニー君はいないの?火の玉ジョニー、皆殺しのジョニー、狂人ジョニー・シードに会いたかったのにね。降伏こうふくした海賊を星ごと核爆弾で潰したとんでもない気狂きちがいに、ちょっと用があるから今直ぐに呼びなさい」

「知らねぇって言ってんだろ」

「そう、じゃあ殺されても・」

 先程と同様、言い終わらない内にビームガンが光る。

「こっちだ」

 身を隠していた男は物陰からふいに姿を現し、女よりも一瞬早くビームガンの引き金に指を掛けた。男の銃から発射された光弾が女のほほかすめた途端、激怒して震える女、宇宙最強の海賊と恐れられるガライカ・バルカンが部下に叫んだ。

「店ごとぶっ潰せ、皆殺しだ」

 ボディガード達は、瞬時に担いでいた大型ビームガンを狂ったように撃ち放った。酒場に機銃掃射きじゅうそうしゃの火の雨が降り注ぐ。更にボディガード達は、小型爆弾を投げ散らかして、早々に姿を消した。

 店内は、木っ端微塵に吹き飛んだ後、炎に包まれ阿鼻叫喚あびきょうかん坩堝るつぼと化した。その中を、ポポは慌てる事もなく慣れた仕草で「アニキ、ヤツを追い掛けますよ」と言いながら、燃え上がる炎をけて表に出た。その頭上を、黄色い三角宇宙船ぱぱす号が飛んで行く。

「アニキ、早く」

 ポポは、スカイ・ウォーカーで走りながら、黄色い宇宙船に向かってジャンプした。男は見よう見真似みまねで後に続く。柔らかい黄緑色の光に包まれて、二人は船内へと吸い込まれた。

「ミミ、発進。ヤツらを追い掛けるっスよ」

「不可能です」

 勇むポポに、パイロットロボットのミミが予想外の言葉を返した。

「何んでだよ?」

 理解出来ないと言わんばかりに激しく訊き返すポポに、ミミはゆっくりと船窓の外を指差した。船外に、ガライカ・バルカンの艦と思われる赤紫色の巨大なUFOが浮かんでいる。飛び去るでもなく、黄色い宇宙船と同速度で悠々と並走へいそうしている。

「野郎、オイラ達を誘ってるっスね」

 お約束のように、黄色い宇宙船のモニターにガライカの姿が映った。

「ポポ君、今からこちらにいらっしゃいな。もしかしたら、ワタシを捕まえられるかも知れないわよ。ジョニー君も一緒にね」

 モニター画面が消えた。

 巨大な赤紫色にかがやくUFOから、小さな赤く光る球体が黄色い三角宇宙船ぱぱす号に近付ちかづいて来る。

「あれは何だ?」

「ガライカのご招待用球型宇宙艇っスよ。あの球体で本艦に連れ込んで半殺しにするのがガライカの趣味だって、アニキがいつも言ってたじゃないっスか。アニキに教わった事をアニキに説明するのは、やっぱり何か変な感じっスよ」

 ポポは、ミミに向かって勇んだ声で「核爆弾搭載ミサイルの用意だ、今度こそ撃ち落としてやらぁ」と叫んだ。イケメンのくせに随分と血の気が多い。

「ご招待なのか……じゃぁ、折角だから行こう」

 男の言葉にポポは仰天し、聞き違いではないかと何度も男の顔を見返した。

「ガライカからの誘いがあったら、何がなんでも全力で直ぐに逃げろって言ったのはアニキっスよ」

「そんな事を言ったのか、何故だろうな?」

「そんなの知らないっスよぅ、本当に行くスか?」

「行くよ」

「ぎょべべべべ」

 躊躇ちゅうちょ欠片かけらもない男の言葉に、イケメンが壊れ掛けている。

 近付いて来た光は、ポポの言う通りの宇宙艇だった。上部のガラス状の扉が開き、男とポポの二人はその小型艇に乗り込んだが、当然の如く操縦席はなく、扉が閉じると宇宙艇は自動操縦で飛び、上空に浮かぶ巨大なガライカ艦に向かって飛んだ。

 近付く程に、一層ガライカ本艦の巨大さが認識される。ガライカ艦の下部まで来ると船尾せんびハッチが開き、奥へと誘われた。

「デカいな」

「そうっスね。海賊の中でも、ガライカの艦は特にデカいって兄貴が言ってたっス」

 内部には圧倒的な空間が広がり、その広大さに気後きおくれする。空間はどこまで行くのかと思う程に続き、球型宇宙艇は奧へ奧へと進んで行く。その先の彼方に、宮殿を思わせるまぶしいドーム状の空間と、ガライカと思しきヒト型の女の姿があった。

「あれか?」

「多分、そうっス」

 球型宇宙艇が女の前で停止した。頬杖ほおづえあしを組む女の姿は、ほんの少し前に酒場を木っ端微塵に吹き飛ばし焼き払った非情の悪魔とは少し雰囲気が違う。真っ赤なバトルスーツをまとう姿に違いはないが、何かが違う。

 ガラス扉が開き、緊張感に満ちた二人がガライカの前に歩み寄った。同時に、ポポが威嚇いかくした。

「おい、ガライカ。随分と不用心だな、下っ端の馬鹿共はどうしたんだよ?」

「あらポポ君、他人の家に来たら先ずは挨拶よ。それくらいの常識はわきまえてね」

 ポポが首を傾げた。

「あれ、随分感じが違うな。お前、本当に宇宙の悪魔ガライカ・バルカンか?」

「随分な言い方ね」

「いや、猫かぶっていやがるに違いない。最初に言っておくけど『ワタシの前にひざまずけ』なんて間抜けな事は言うなよ。オイラ達は正義の味方の宇宙警察官で、お前は悪者の宇宙海賊なんだからな。お前こそ、自分の立場をわきまえろ」

 海賊達を震え上がらせ、宇宙にその名をとどろかす海賊ガライカ・バルカンは、不思議そうな、そして全てを理解したような顔をした。

「なる程ね。アマドーンの予言と意識交差理論が愈々いよいよ正しい、という事なのかしら?」

「アマドーンの予言とは何だ?」

「あら、ジョニー君、お久し振り」

「俺は、お前など知らん」

「なる程、これも辻褄つじつまが合っているわ」

「ガライカ、ゴチャゴチャうるせぇよ。大人しくしやがれ」

 ポポが感情的に叫んだ。

「煩いのはアナタよ、ポポ君」

「何だと、この野郎。手前ぇなんぞ、オイラがとっ捕まえてやるよ」

 ポポは攻撃のタイミングをはかり、既にガライカに飛び掛からんばかりに意識が膨れ上がっている。

「アナタの安物の正義感には耐えられないわ。ポポ君は直ぐに消えなさい」

「何だと手前ぇ、俺を誰だと思ってやがんで・はい」

 激しくえるポポが、急に大人しくガライカの言葉に従った。ポポは夢遊病者のように球型宇宙艇に乗って帰って行った。何かが変だ。

折角せっかくのイケメンを、久し振りに間近で鑑賞しようと思ったのにね。さてと、邪魔者はいなくなったわ。始めましょうか」

 悪魔と呼ばれる宇宙最強の海賊ガライカが、ヒト型の美麗びれいな宇宙人である事は間違いないのだが、二人で何を始めようと言うのだろうか。まさか、宇宙平和の為の討論でもするのか。

「何をたくらんでいる?」

「別に、何も企んでなんかいないわ」

「それなら、俺とおしゃべりりでもしようと言うのか?」

「まぁ、そんなところね」

 怪しい女の誘いに乗った振りをして、男も身構える。

「アナタの名前は何?偽者にせものジョニー君」

「何故、それを知っている?」

 男は一瞬で返す言葉を失った。どうやら、ガライカ・バルカンは、男の夢に出て来るただの役者の一人ではなさそうだ。

「アナタは、『火の玉ジョニー』『皆殺しのジョニー』『狂人ジョニー』と怖れられている宇宙専攻警察官ジョニー・シード……じゃないわよね?」

「そうだ。俺の名は田中幹たなかつよしで、確かにそのジョニーとか言うヤツじゃない。だが、それは俺のせいじゃない。お前等が勝手に勘違いしただけだ。それに、そもそもこれは俺の夢なのだから、当然俺が支配できる世界なのだから、俺が謝る必要さえない」

 男が自信をもって言い切る言葉に、ガライカはかすかに微かに笑った。

「アナタは、勘違かんちがいをしているわ」

 勘違いとは何か?この世界が男の明晰夢である事に勘違いなどある筈もない。

「タナカ・ジョニー君。アナタに、とても良い事を教えてあげるわ。ポポとミミは、意識認証システムで人を識別している。だから、二人がアナタを勘違するなんて事はあり得ないのよ」

 女は何かを伝えようとしている、男はそんな気がした。

「アナタはタナカ・ツヨシ君、でもポポ君はアナタをジョニー・シードとして認識している。何故かしらね、タナカ・ジョニー君?」

 男には、女の言っている意味が理解出来ない。何故、男はジョニー・シードなのだろうか、幾ら夢とは言っても、システムで認別しているのならば、正しく認識しなければ理屈が通らないではないか。

「答えは簡単。アナタはタナカ・ツヨシであり、ジョニー・シードでもあるからよ」

「そんな筈はない。俺は田中幹たなかつよしで、これは俺の夢だ」

「そうね。それは、間違いではないわ」

「当たり前だ。だから、全ては俺の意識が創り出したものなんだよ」

「それは、ちょっと違うかしらね」

「何が、どう違う?」

「この世界はね、アナタの夢であると同時に、私の夢でもあるからよ」

「そんな筈はない。俺は今夢を見ている、その中にお前が存在している。だから、俺はこの世界の神なんだ」

「残念ね。アナタが神でいられるのは、アナタが創り出した夢の中だけ。ここは夢のシンクロ世界なのよ」

「シンクロ世界?」

 ちょっと誇らしげに「この世界は俺のものだ」と叫ぶ男に向かって、ガライカが奇妙な事を言い出した。夢のシンクロ世界とは何だ。

「つまり、アナタの世界であるとともにワタシの世界でもあるのよ。別の表現をするなら、アナタの夢であるその世界はワタシの夢の中に存在するという事なの。そして、それぞれのフィールドは金色のラインで区切られている」

 金色のラインはそういうい意味なのか。男は返す言葉を失い、思考が混乱した。

「刃物で刺された気分はどうだったかしら?」

「あれは、お前の仕業しわざなのか?」

「仕業なんて大袈裟なものじゃない。あれも、それから酒場を木っ端微塵に破壊したのも、ワタシが夢の中で創り出した幻影に過ぎないわ、刃物で刺されたり爆破なんてインパクトがあるじゃない?」

 夢の操作が出来る、それが金色のラインと夢のシンクロという事なのか。

 ガライカが口端くちはしを上げて微笑んだ。悪意は感じられないが、悪趣味ではある。美麗びれいな容貌と中身はかなり違うようだ。

「俺の夢とお前の夢、そしてまた別の夢がシンクロしているのか?」

「まぁ、そういう事だわ。この世界に、自分の夢のフィールドを持つ夢フィールダーがいるって事よ」

 男は困惑した。ガライカの言葉の通りだとすると、自分の夢の中に他人がいる事になる。男の夢の中に自我を持った夢フィールダーなる者がいる、そんな事はあり得ない。この夢は男の意識の中にある。だから、男の意識が途切れれば消滅してしまうこの世界の中で、他人が自我を持つ事は不可能だ。だが、現にガライカは男の夢の中にいる。では、男がシンクロしたジョニー・シードの男の意識はどこへ行ってしまったのだろう。やはり辻褄つじつまが合っていない。

「何を言っているんだ。俺は俺だ、ジョニー・シードとか言うヤツじゃない」

「それなら、自分の姿を見てご覧なさいよ。地球人のタナカ・ツヨシ君」

 男は宇宙船内部の磨かれた金属製の壁に映る自身の姿に、「あっ」と驚いた。それは見慣れた自分の姿ではない、いかつい海賊のような、顔に、身体中に傷痕きずあとが残る姿が映っている。

 男は、驚きと同時に状況を少しだけ理解した。自身の意識とは別に、自分は見知らぬ者の姿をしているのだ。

「という事は、俺がジョニー・シードとか言うヤツの意識を乗っ取ったって事か?」

「そうとも言えるわね。でも、さっきも言った通り、この世界は君の意識の中であると同時にワタシの意識の中でもあるのよ。つまり意識のシンクロね」

「意識のシンクロ。夢で意識がシンクロするなんて事かあるのか?」

「あり得るのよ。だからこそ、アナタはアナタの意識をこの世界に広げる事が可能になる」

 男には、今一つ理解が出来ない。薄っすらとわかるのは、自分の意識が他人の意識の中にあり、自分の意識の中にも他人の意識が存在する可能性があるらしいという事だけだ。

「アナタは東宇宙の地球人、ワタシは南宇宙のバライカ星人、時空間に差異があり過ぎて現実に会う事はないわ。この世界は、そういう人間達の意識のシンクロが創造つくり出した世界って事なのよ」

「何故、そんな事が起きるんだ?」

「何故起きるのかは、ワタシにもわからないわ」

 ガライカが続ける。

「先住者アマドーンが予言したのよ」

「予言?」

「そう、この世界の終末についてね」

 バライカは、更に不思議な話を続けた。

「ここは、夢幻むげん領域の一部分よ。この領域がいつ出現したのかは誰も知らないけれど、ここに予言者アマドーンが夢フィールドを立てたのよ。そこに、ワタシの意識がシンクロして、更にワタシの意識の中にアナタがシンクロした。これからもシンクロは続いて、その内にこの世界に終末が訪れる」

「この世界の終末?」

 夢の世界に終末が来るのか。自身の夢なのに、知らない知識やストーリーが展開するのは奇妙だ。

「予言者アマドーンが言ったの。『いつの日か、先住者の意識にシンクロが起こり、更にその意識にシンクロが起こる。その後、シンクロは『アトランダムなシンクロ』となって無差別に幾重にも起こるようになり、世界と住者全ての意識が崩壊する』とね。そして、その弟子ラコムが表したこの世界を数値化した意識交差理論によれば、『先住者の意識へのシンクロは先住者の創造から夢幻時間で333時間後に起こり、更に333時間後に次の意識にシンクロが起こる。そこから333時間後にこの世界が消滅する事になる」

 意識交差理論とは何か。これが男の夢ならば、その理論も男自身が考えたものなのだろうか。夢の世界の終末までの時間を、どうやったら想定出来るのか。言った者勝ちの与太話ではないのか。自身の夢の筈なのに、知らない知識が多すぎる。

「何の事か、さっぱりわからない」

「何となく理解すればいいわ。先住者の創造した意識に起こる最初のシンクロ、即ち先住者アマドーンの意識にワタシがシンクロしたのは、予言通り夢幻時間333時間後だった。そして、これも予言通り333時間後にワタシの意識にアナタがシンクロした。その状況から考えれば、この世界は残り333夢幻時間で消滅する」

「でも、先住者にシンクロしたのはお前だけじゃないだろうし、俺がシンクロする前にもお前にシンクロした奴だって俺だけじゃないだろう?」

「いえ、先住者アマドーンの意識に最初にシンクロしたのはワタシだし、ワタシの意識に最初にシンクロしたのはアナタよ。それがわかるのはワタシにだけ」

 男はガライカの意識にシンクロしているらしい。意識のシンクロという意味が判然としない。

「アナタは、ワタシの意識の中にいるとともに、夢フィールダーでもあるという事」

 男は自身の夢を見ているのだが、それはあくまでもガライカの意識の中でしかないらしい。どうしても納得がいかない。

「何故、俺がお前の意識の中にいると言い切れるんだ?」

「アナタがジョニー・シードだからよ」

「何故、ジョニー・シードがお前の夢だと言い切れるんだ?」

「そんなの簡単。ジョニー・シードは、ワタシが創造したマリオネットだからよ」

「マリオネットって何だ?」

「夢の登場人物って事ね」

「そうなのか。じゃぁ、俺はジョニー・シードというお前の夢の配役なのか」

 ガライカは、頷きながら続けた。

「宇宙一の海賊ガライカ・バルカンと宇宙専攻警察官ジョニー・シードの壮大そうだいな戦いのドラマよ、ワクワクするでしょ?」

 宇宙最強の悪魔、宇宙海賊ガライカ・バルカンが、喜々としてスペースオペラを語っている。

「そのドラマがね、途中まではワタシのシナリオ通りに進んでいた。それが、ある時からマリオネットが急に私の支配を拒絶し出したのよ。その理由は、何者かがワタシの意識の中へとシンクロしたからだと直ぐにわかったわ。ワタシが夢の世界に創造したジョニー・シードに、何者か、つまりタナカ・ツヨシがシンクロしたって事なのよ。次は間違いなく『アトランダムなシンクロ』で、タナカ・ツヨシ自身の意識にもシンクロが起こるわ」

「なる程な、状況は何となくわかった。そのシンクロ世界が残り333時間で消滅するって事か?」

「この世界の消滅については、既にアマドーンもラムコもこの世界にはいないから、正確に残り333時間あるかどうかはわからないけどね」

「予言者は、この世界から何故消えたんだ?」

「さぁね、寿命かも知れないし、何かの理由でシンクロしなくなったかも知れない。ここは、時間も空間も超越した人間の意識が絡んだ世界なの」

「今流行りのバーチャル世界、METAメタか?」

「ちょっと違うわ。物質は意識がつくり出した存在。つまり、この世界に存在するものは全て現実にも存在しているという事」

「この世界も、ある意味で現実という事なのか」

 何となくわかって来たような気がする。何故男がこの世界に来たのかはわからないが、この世界は意識を持った住人とその意識から創造された者達によって成立しているのだ。そして、その夢フィールドエリアは黄金色ラインで区切られている。新たにこの夢フィールドの住人になろうとする者は、そこに存在する住人の意識にシンクロするしかない。この世界の住人の数は増え続けていて、333時間後に消滅する。

「今、この世界にはどれくらい夢フィールダーがいるんだ?」

「さあね。正確にその数はわからないけど、ワタシが会った事があるのは三人、数としてはもっと他に何十人、何百人、何千人いても不思議じゃないわ。ラムコの意識交差理論では、シンクロは1対10でねずみ算式に起こる筈。アマドーンの意識にシンクロした者がワタシやラコムを含めて10人いて、次にその10人それぞれの意識に10人がシンクロするから、この世界の終末には10×10で幾何級数きかきゅうすう的に夢フィールダーが増える事になる。今どれ程いるかは想像も出来ないわ」

 バライカは、男が夢だと思っていた世界を説明しながら、男を宇宙船に招いた目的を話し出した。

「ワタシは、アナタがシンクロするのを待っていたの」

 待っていた、とはどういう意味なのか。待たれる覚えはない。

「アナタが地球人である事は知っているわ。アナタ達東宇宙の地球人は100年程度生きるらしいけど、ワタシは南宇宙のバライカ星人で約1000年生きる。だから、幾らでも待つ事が出来る」

「何故、俺の事を知っているんだ?」

「アナタがこの世界に来る以前に、一人の地球人がこの世界にいた事がある。その地球人の意識からワタシがアナタを誘引ゆういんしたのよ」

「俺を知っている誰かがいたって事か。でも、俺なんかを引っ張って、何の得があるんだ?」

 呼ばれた事自体は、特に興味をかれるような事ではない。これは、あくまでも男の明晰夢であって、夢のストーリーに他ならないのだから。とは言え、その理由、目的が何か、気にはなる。

「アナタをここに呼んだのは、依頼したい事があるからなの」

「依頼?」

 宇宙の悪魔、宇宙海賊ガライカ・バルカンが、いきなり青いカードを出し突飛な事を言い出した。

「簡単な事よ。ワタシはね、この世界の消滅を止めたいの。この世界の消滅を止める方法は一つしかない。アマ銀河系恒星ウヨイタ係属第三惑星にチキという星がある。その星のニホという国のティーバという場所に、この世界の表裏を変換させる事が出来ると言われる七色の玉が存在する。その神の力を秘めた玉をここに持って来てほしいのよ」

「この世界の表裏を変換させるってのは、どういう意味だ?」

「この夢の世界と現実世界を転換、つまりこの世界を現実に変えるのよ」

「そんな事が出来るのか?表裏を変換、チキ、ニホ、ティーバ、どう考えても何が何やらさっぱりわからないな」

「チキ、ニホ、ティーバは、この世界にそういう場所があるって事よ。そしてそれは、名前は違うけど、この世界にあるアナタの星なのよ」

「俺の星が、この夢の世界に存在しているのか?」

「どう、興味ない?」

「ちょっと、待ってくれ」

 話が急過ぎて頭が付いていかない。男の意識を持ったその地球人とは誰か。まぁ、それはどうでも良いとして、夢の世界に地球があって日本がある?

「さっぱりわからないが、仮に俺がそこに行ったとして、その玉をそんな簡単に持って来れるものなのか?」

「アナタがこの世界に来る前から存在する意識の夢フィールダーは、琥湶星雲こいずみせいうんという名の喰えない狸爺たぬきじじい。その意識によれば、地球とチキは同次元領域に存在しているわ。但し、同次元の領域とは言っても現実と同じかどうかは全くわからないし、この世界にも「事故」や「死」は存在するから気をつける必要はある。どう、行ってみたいとは思わない?」

 夢のストーリーとは言え、この女に何かの魂胆こんたんがないはずはない。そう思いながらも、男は誘惑に勝てない。夢の中にある地球とはどんなものなのだろう。高まる期待を抑える事が出来ない。だが、どう考えても怪しい。仮に、夢と現実を転換させる玉があるとしても、ガライカは何故みずから行かないのか。男に依頼する絶対的必然性が皆無だ。

「一つだけ質問だ。何故、俺に依頼する。お前が行けばいいじゃないか?」

「その理由は行けばわかるわ」

「怪しいな」

「怪しくはないわ。理由なんて簡単、アナタと狸爺の意識がシンクロする筈なのよ。だから、アナタならきっとその場所で七色の玉を得る事が出来るわ。それから、もしかしたらだけど、そこにいる狸爺なら、この世界の消滅までの時間を正確に知っている可能性があるわ」

 男は余り乗り気がない。

「七色の玉を首尾良しゅびよくここに持って来れたら、報酬はアナタの星の金額で1兆円を支払うわよ」

「1兆円、何だそりゃ。俺のような一般庶民に1兆円なんて言われても実感がまるでない。それに、そもそも夢の世界で金を貰っても意味がないだろ?」

「意味を創るのよ。さっきも言った通り、世界の表裏を変換するというのは、つまりはこの世界を現実にひっくり返すという事よ」

「なる程な、ひっくり返せば現実って事か」

「そう言う事、どうかしら?」

「金はどうでもいい。それより、地球を見てみたいな」

 これは夢だ、男自身が夢と意識する明晰夢だ。という事は、世界の表裏を変換するなどというお伽噺は現実にはあり得ないし、1兆円の報酬が現実に手に入る事などない。それよりも、夢の中の地球とはどんな姿なのだろう。想像出来るような出来ないような、曖昧模糊あいまいもことしている。一見の価値はある。

「アナタの気が変わらない内に、この世界の地球への招待状を渡すわ。このカードをパイロットロボットのミミに渡しなさい。この中にアマ銀河、恒星ウヨイタ、チキ、ニホ、ティーバと玉の在り方の宇宙座標が入っているわ。狸爺たぬきじじいの名は琥湶星雲こいずみせいうん、忘れないでね」

 ガライカは、四角い金属製の青いカードを男に手渡した。

ちなみに、ジョニー・シードがお前の創造なら、ポポやミミも・」

「当然ね」

「あいつ等は、お前の思い通りに動くのか?」

「アナタが来る前までは、完全に動いていたわね。ジョニーやポポの追跡をかわしながら宇宙の海賊王になる、という永遠に続く冒険活劇が続いていたのよ。まぁ、元々はワタシの創造物だから当然なんだけどね。ところが、アナタがジョニーにシンクロした途端、アナタの世界で動くようになった。今はワタシの言う通りに動く部分なんて殆どない。ちょっと悔しいわね」

「ポポが、お前の命令に従ったのは、そう言う事なのか」

 赤紫色の巨大艦が飛び去った。三角型宇宙船に戻った男は、早速青い四角いカードをパイロットロボットのミミに渡した。

「アニキ、大丈夫っスか。ガライカに頭かじられてないっスか?」

「大丈夫だ」

「畜生、くやしいな。今までもガライカを逮捕出来そうになった事は何度もあったっスよ。けど、あの目でにらまれると身体が言う事を利かなくなるっスよ。ヤツは超能力者に違いないっス」

「超能力者じゃなく、創造主らしいぞ」

「何スか、それ?」

「そんな事よりも、これから地球へ向かう」

「地球って何だ?やっぱり、アニキもガライカの超能力でオカシクなってるっスね」

「地球は俺の母星だ」

「えっ、アニキとオイラは西宇宙の出じゃなかったかなぁ?」

「まぁ、いいじゃないか。細かい事は気にするな。さて行くか」

「発進します」

 ミミが快活な声で言った。

 愈々いよいよ、冒険活劇ストーリーの本筋ほんすじへと向かおうとしたその時、突然ぱぱす号の後尾に爆発音が響き、船がしこたま揺れた。

「後尾左側部にミサイル三発の爆裂確認しました。損傷はなし」

 三発のミサイルがぱぱす号を直撃したようだ。ぱぱす号のバリアは特別に堅牢に補強されている為、ミサイル程度ではびくともしない。

「何だ?」

 モニターにクマ顔の男が強制的に侵入した。クマ男が叫んだ。

「ポポよ、探したぜ。ここで会ったが手前ぇの不運、くたばりやがれ」

「あの野郎、ふざけやがって、銀河パトロールのくせに」

 いきなりの展開に困惑するしかない。 

「何がどうなっているんだ、銀河パトロールというのは悪党なのか?」

「銀河パトロールは、オイラ達宇宙専攻警察と同じ宇宙政府の警察局に属しているから悪党じゃないっスけど、人によっては昔の恨みでグダグダ言ってくるヤツはいるっスよ。特に、あの野郎はアニキとオイラで海賊やってた頃に、北宇宙で船ごと木っ端微塵にした事を未だに恨んでやがって、会う度に本気で戦争仕掛けてきやがるっス」

「何だ、そりゃ駄目だ。そういう馬鹿はとことん痛い目を見せないと駄目なんだ」

「毎回ぶっ飛ばしているっスよ」

「甘い、そんなヤツには倍返しだ」

「あんなヤツに六発も撃つんスか?」

「いや、それは勿体もったいない。反転してヤツの船に正面から突っ込む」

「いいっスね」

「ミミ、衝突寸前で回避して、同時に一発だけミサイルを操縦席にぶち込んでやれ」

「了解、寸前でぶちかまします。チキンレース、開始」

 ミミが嬉々ききとした声で応えた。喧嘩腰できびすを返したぱぱす号は、一気に速度を増しながら銀河パトロールの船に真っすぐに突っ込んて行く。今にも正面衝突しそうな回避寸前に、操縦席で叫びまくるクマ顔が見えた。ポポとミミが中指を立てた。ぱぱす号から躊躇ちゅうちょの欠片もないミサイルが発射され、至近距離で命中、銀河パトロールの船が爆裂した。

「アニキ、ミミの操縦だから上手くいくのは当然なんスけど、何でも忘れてる割にはビビらなかったっスね?」

「ビビったりはしないさ。なんせ、これは俺の夢だからな」

 男の言葉に二人は小首を傾げた。

 そうこうしている間に、ワープを抜けて目的空間を含む銀河に近付いた。モニターで宇宙空間を見回すポポは、きらめく銀河に怪訝な顔をしている。

「ポポ、どうした?」

「この銀河には、人の気配がないっスよ」

 ポポには、星であろうが銀河であろうが、生物の精気を感じる能力があるらしい。

 ミミの声がした。

「グリース銀河、到着です」

「ミミ、カケロク頼むっス」

「了解、×6カケロク発進します」

「カケロクって何だ?」

 男の疑問に、ミミが待ってましたと説明した。流石はAIパイロットロボットだ、手際が良い。

×6カケロクは、前・後・左・右・上・下6方向0.8光年に飛ばす球体型偵察機です。それぞれ偵察機は、更に+0.2光年圏までのレーダー監視が出来ますので、全てが揃えば、ぱぱす号の周囲1.0光年の宇宙レーダー網システムが構築されます」

 船内にモニターに6つの画面が現れ、それぞれに×1カケイチ×6カケロクの番号がついている。

「大型の民間のものと思われる艦船が近付いている以外、周囲1.0光年内に、生命体反応はありません」

 男は驚き感嘆した。凄いと言わざるを得ない。とても、これが男の夢とは到底思えない。しかも、自身の知らない知識までめられたこのストーリーは、一体誰が考えたのだろうと感心した。そして、再び男の脳裏に「これは本当に自身の夢なのか」という単純な疑問が湧き上がる。

×1カケイチの右舷方向0.3光年に艦船あり。相当のスピードで接近しています。進路が重なる為、回避予定します」

 右方向から向かって来た民間と思われる大型艦船は、あっという間にぱぱす号とすれ違った。

 海賊の軍艦には見えない、そんな大型艦船が、すれ違い様に砲口をぱぱす号に向けて撃った。突然の攻撃に仰天する男に、そんな事など気にも留めないポポが言った。

「アニキ、大丈夫スよ。ぱぱす号には鉄壁のバリアがあるから、核爆弾一発くらい喰らってもビクともしないっスよ。あれ、アニキに説明するのに違和感がないっス。元々この宇宙船はアニキの船で、オイラの知識は全部アニキから教わったものっスよ」

 知識がない事だけでなく記憶にない事も多いこの夢は、男の夢の筈だ。きっと、多分、そうだと思う。

 大型艦船は撃つだけ撃って通り過ぎて行った。その行為にも疑問が残る。

「あれは、何故?」

「あれは、オイラ達が宇宙専攻警察だからっスよ」

 今度は、男の疑問を予測したポポが説明した。元々、男から聞いたであろう知識をポポ自身が男に説明する事に対する疑問は既にない。

「前にも言ったっスけど、オイラ達は元海賊で、今はその海賊をとっ捕まえているっス。だから、海賊からは恨まれ、一般人からも『人として最低のクズ』とうとまれていて、こういう事は良く起きるっスよ」

 ポポやミミの表情に、後ろめたさは感じられない。

「そうなのか」

「けど、『そんな事は気にするな。誇りと気概を持てとは言わんが、暴れる海賊をぶっ飛ばす事もこの世界には必要なんだ。気楽にやろう』ってアニキが言ってた通りだと、オレもミミも本気で思ってるっスよ」

「本気で、思ってます」

 男は感動した。高々夢の中で、そんな格好良い事を言った覚えはさっぱりない。唯一つ言える事は、この夢は間違いなく誰かの意思で何かに向かっていて、ポポもミミもそれを感じている。だが、それが何なのかはわからない。

「そうか。でも、行かなければならない場所がある」

「アニキが言ってた『地球』って星スか?」

「そうだ」

 パイロットロボットミミの操縦する宇宙船ぱぱす号は、宇宙座標に従って東宇宙へと向かった。アンドロメダ銀河に似た巨大な渦巻き銀河を超えて、アマ銀河系、恒星ウヨイタに係属するテンノ星、カイオ星、ド星、モ星、カ星の星々をまたぎ、第三惑星チキに着いた。近くに月のような衛星もある。

「地球だ……」

「あれが、アニキの星スか。アニキとオイラの星は、南宇宙のサマカ星じゃなかったかなぁ?」

 それはどう見てみても地球だった。宇宙船ぱぱす号は、惑星チキの外宇宙から一気に成層圏に向かって突入した。そこから日本列島、ではないニホ列島の一点に向かって進み、関東平野から房総半島にそっくりな中心部へ、光の尾を引いて滑って飛んで行った。

「あれは日本、ニホとは日本の事、ティーバとは千葉の事なのか……」

 千葉、ではないティーバに近付くと、海が見えた。独特の灰色の波が海岸に打ち寄せている。ポポが呟いた。

「汚ねぇ海だなぁ」

「ティーバは、千葉だから仕方がない。海が汚いというよりも地盤が関東ローム層、つまり富士山の花崗岩かこうがんで出来ているからなんだよ」

「何言ってるか、わからねぇっス?」

「汚ねぇ海を見ながら、発進します。もう直ぐ座標値に到着です」

 ミミが言ったその時、ぱぱす号の後尾右部に爆発音がして船が揺れた。

 三発のミサイルがぱぱす号を直撃したようだ。どこかで同じ事があったような気がするが、核爆弾も遮断しゃだんする程の最強のバリアを誇る宇宙船ぱぱす号が、ミサイルごときで損傷するなどという事態はない。

 ミサイルは、後方に見える銀色の宇宙船、銀河パトロールの船が撃ったに違いない。これも見た事のある光景だ。

 モニターに、見た事のあるクマ顔の男が強制的に映り込んだ。あのクマ男だ。変わらぬ物言ものいいが鼻につく。

 クマ男が叫んだ。

「ポポよ、俺様にとってお前から受けた攻撃など屁でもない。ここが、お前の墓場になるのだ」

「またかよ。あの野郎、ふざけやがって」

「何だ、同じ警察のくせに随分とねちっこいヤツだな。本気出さないとヤバいかな」

 男は思案した。中途半端は意味がない、どうするか。考えても妙案は出ない。それならば、アレしかない。

「宇宙のヒーローのオレが、この場でトドメを差してやろう」

「宇宙のヒーロー、トドメって、アニキ、何言ってるんスか?」

「まぁ、見てろよポポ。ミミ、あいつの宇宙船の下腹部に一発だけミサイルを撃ってくれ」

 男は宇宙服を着ける事もなく、宇宙船のハッチを開けて外へ出た。

「アニキ、何する気か知らないっスけど、宇宙服なしでこんな汚ねぇ海に落ちたら確実に死にますよ」

 忠告などまるで耳に入らない男は、最早もはや正義の宇宙ヒーローになり切っている。

 ぱぱす号から撃ったミサイルは、銀河パトロールの船の下部に正確に命中した。船首が上を向いたところへ、男は絶妙のタイミングで飛び込み叫んだ。

「我・剣・義・以・槌・打・悪・霊・退・散、俺の正義の刃を受けるがいい」

 呪文とともに剣が出現した。

「アニキ、それ何ですか。どうやって出したんスか?」

「俺には出来るんだよ。何故なら、これは俺の夢だから」

「また、それっスか。相変わらず意味がわからねぇっスよ」

 ポポは、仕方なさそうに緊急救命具を男に向かって発出した。ちょっとだけ、位置がズレた。

 男は大上段に構え、「天誅てんちゅう」と叫びながら、縦一文字に剣を振り下ろした。嬉々ききとして、正義のヒーローに成り切っている。そこへ、ちょっとだけ位置のズレた緊急救命具が、完璧なタイミングで男の後頭部を直撃した。ぱぱす号から投げ渡された緑色の緊急救命具は、即座に、そして中途半端に男の身体を包み、黄緑色に変身し掛けた意識朦朧いしきもうろうの男は、海の中へと消えた。

「母ちゃ、あれ何だ?」

 幼い女の子が海に向かって何かを指差した。時化た荒波を蹴散けちらし誰かが、いや何かがやって来るのが見えた。全身が黄緑色のヒト型の姿の何かが海の上を歩いてやって来るのだが、それが何かは皆目かいもくわからない。

「母ちゃ、カッパだ」

 海から上がり、三歩程歩いたカッパは波打ち際に倒れ込んだ。

「ナミ、カッパ見に行く?」

「怖いけど……行く」

 子供は小声で母親に言った。近付くに連れて、砂場に倒れている人のようなものが見えた。それは、全身を黄緑色のウェットスーツに包んだだけの、単なる気の触れたオッサンなのかも知れない。

 見れば見る程に奇妙な感じがする。ウェットスーツにはつなぎ目もファスナーもない。スウェットスーツの肌にぴったりと張りついた感じ、表面の金属的光沢がその素材がゴムでない事を示している。

「母ちゃ、これはカッパか?」

「さあ、何だろうね」

 二人には、このヒト型の物体が何なのか想像もつかない。黄緑色の物体の左手首に赤いボタンが見える。

「あっ、カッパが動いてる」

 黄緑色のカッパは、何とかして左手首の赤いボタンを押そうとしているように見える。右手がようやく左手首の赤いボタンを押すと、一瞬でウェットスーツが小さくちぢみ、カッパは全裸になった。

 男が素っ裸で浜辺に横たわっている様子は、かなり不気味だ。しかも、男の体には毛がなく、頭髪とうはつ眉毛まゆげも陰部にも毛という毛がなく、全身に入れ墨かと見紛みまごう程の傷跡がある。ナミは驚いて母親の背中に隠れた。

「あらまぁ、カッパかと思ったらヘンタイだったのね。どうしようか、このままじゃどう見てもヘンタイの水死体だね。急いで救急車を呼ぶしかないか」

 そう言って携帯電話を取り出した母親を、カッパが片言かたことの日本語で制した。

「・このままに・しておいてくれれば・大丈夫・誰にも・」

 そう言われたものの、放置する訳にもいかず、女と子供はカッパを引きずって、海の家へと運んだ。息はあるが全身が紫色にれ上がり、相当ヤバい感じがする。

「オハヨウ」

 海の家の一日の始まりとともに、意味もなく元気なバイトの早川紗弥加はやかわさやかがやって来た。女は椅子に座ったままで、煙草たばこ片手に挨拶した。女は並川香織なみかわかおり29歳。女の子はナミ5歳。

「タイヘンだ。香織さん、裏に裸の水死体がある」

 裏に回ったバイトの紗弥加が腰を抜かさんばかりに仰天ぎょうてんし、叫びながら女の元へと飛んで来た。

「タイヘン、香織さん、水死体・」

「紗弥加、違うぞ。あれは、朝、母ちゃとワタシが見付けて、拾って来たカッパだ。まだ生きているぞ」

「カッパ?」

「本当は何だかわかないんだけどね。取りあえず、水死体じゃないみたい」

「それなら、直ぐに救急車か警察に・」

「それがね、水死体じゃないカッパが「放っておいてくれ」って言ってるのよ」

「そうなんですか?」

 海の家の一日は世話せわしい。次から次へとやって来る客に対応するのは半端じゃく忙しい。暑さがピークになる昼過ぎなど、大人だろうが子供だろうがバイトだろうが、ありのように動かなければ回らないのだ。

 だが、それも極端に天気次第で、雨の日などは当然の如く客など滅多に来ない。

「紗弥加ちゃん、今日は天気が良くないからゆっくりやろう」

「はい。たまに、こんな日があるとホッとしますね。今日はナミちゃんの勉強でも見ますよ」

「いつも有り難うね。元々ナミの家庭教師で来てもらったのにね」

「そんなのゼンゼンいいですよ。毎日色々とヘンな客が来て、私も面白い経験させてもらっているし、ナミちゃんは可愛いし」

 紗弥加は、バックパックを降ろしながら呟いた。

「香織さんて白金台の奥様なのに、子供育てながら海の家やってるなんて凄いな」

 女は、シロカネに住んでいる。高級住宅街に住むシロガネーゼなのだが、夏の間は海の家を営んでいる。

「今は白金台の住人だけど、実家は浅草橋の焼鳥屋だからね。この海の家はテキヤの祖父じいちゃんのだし。ただの暇つぶしだから、ちっとも凄くなんかないよ」

「そんな、あこがれちゃいますよ」

「テキヤの暇つぶし女に憧れるなんて、紗耶香ちゃんヘンタイ?」

「ヘンタイだ、ヘンタイだ」

 ナミが意味もわからず、はしゃいでいる。

「あっ、雨です。今日はお客さんは来ないだろうな」

 小雨のパラつき始めた天気に紗耶香が呟くと、見るからに人相の良くない三人のやからが入って来た。

 リーゼントにアロハと金のネックレス、胸元と両腕からのぞ是見これみよがしの刺青タトゥー、どう見てもカタギではない。このところ、黒い車でやって来ては、いつものように明らさまに嫌がらせを繰り返している輩達だ。

「おい姉ちゃん、責任者の女を呼べや」

「何ですか、警察呼びますよ」

「早ぅ呼べや。あのガキがどないなってもエエのんか?」

 仲間と思われるチンピラが、泣き出したナミを後ろから押さえ付けている。

「このガキがどうなってもいいのか?」

「あっ、ナミちゃん」

「何をしてるの、その子を放しなさい」

 子供の泣き声に驚いた女は、慌てて奥から駆け寄った。

「もう限界たぜ、このガキに怪我けがしてほしくなけりゃ、この場所から出て行きな。ここは今日から海賊ツパンキ連合のものにするからよ、わかったか?」

「子供は関係ない、離しなさい」

 子供を人質にして、チンピラが威嚇いかくする。人のまばらな朝の海の家に緊張が走った。

 騒動を聞きつけたいかつい大男が、チンピラの背後から場に割って入った。紫色と肌色の斑模様まだらもよう、全身が傷だらけの大男は妖怪にしか見えない。傷痕きずあとを残す全裸の妖怪男は、チンピラ達の刺青など諸共せず自らの存在を見せ付けている。

「何だ、こいつは。バケモンか?」

「何だ、手前ぇは。このガキがどうなってもいいのか?」

「そんな子供は知らん」

「何?」

 男は、指図するチンピラ男の前に歩み寄り、左胸の位置に右手をかざした。

「二度は言わない、消えろ」

「何だと、やっちまえ・」

 男が左胸の位置に右手を翳したチンピラ男が、いきなり前のめりにうずくまった。顔色が土気色つちけいろに変わっていく。

「こいつの心臓を止めた。早く病院に行った方がいいぞ」

 うずくまるチンピラ男に歩み寄った別のチンピラが叫んだ。

「ヤバい、心臓の音がしねぇ。車に運べ」

 チンピラ達は、心臓の動かなくなった一人を車に乗せて、慌てて走り去った。

「取りあえず、有り難う、救かったわ。まずは、そこにある服を着て」

「いや、別にお前等を救けた訳じゃない。ちょっとあいつ等が気に入らなかっただけだ。それより俺の方こそ、礼を言う。あのままだったらヤバかった」

「もう大丈夫なの?」

「あぁ。もうこの星のほとんどの耐性が得られたらな」

「耐性?」

「特に海の大腸菌はキツかった」

 女子大生は疑問を投げた。

「さっき、アイツ達に何をしたの?」

「ヤツの心臓を掴んで一時的に止めただけだ。死にはしない」

「アナタ、何者?」

「答えが難しい。元々はサラリーマンで、何故か宇宙人の女の創造した夢フィールドにシンクロした。ここだけの話だが、これは俺の夢なのだ」

「頭、大丈夫?」

「大腸菌が脳に入って、バカになったのかしら」

 翌日も相変わらず小雨がパラついている。男はリハビリを兼ねて海の家に泊まり込み、不器用に朝の掃除をしている。

「香織さん、雨やみませんね」

「私は、雨が嫌いじゃないんだ。昔、ダンナとデートする時はいつも雨が降ってた」

「ロマンチックですね」

「違う、違う、唯の雨女あめおんななのよ」

 小雨のパラつく中を、昨日のチンピラ達がりる事もなく、再びやって来た。黒いワゴン車から降りたチンピラ達は昨日の倍程の人数がいる。手には金属バットやら鉄パイプを持ち、車の中に昨日と違う金髪男が乗っている。金髪男が強圧的に言った。

「昨日はウチのもんが世話になったらしいが、今日はそうはいかねぇぜ。これが、何だかわかるか?」

 金髪男は、そう言って黒光りする拳銃を大男に向けた。男がひるむ様子はない。

「先に言っておく、武器は使うな。武器など持っていても、それ以上に強い奴などいくらでもいる。それでもやるのなら、本気で殺し合いする気でやらないとケガをする。オレも使い慣れない武器でいい気になっていた。「俺の正義の刃を受けるがいい、天誅」なんてカッコつけてる場合じゃなかった」

「手前ぇ、何を言ってやがんだ?」

「兎に角、武器は仕舞しまえ」

 男は、右手にたずさえる無線機に向かって言った。

「ポポ、聞こえるか?」

「アニキ、心配してたっスよ。今どこっスか?」

「それより、バリアの類はないか。まぁ、なければないでもいいんだけど」

「左手のベゼルを回してゼロにすればOKっスけど、それは最初からセットしなけりゃダメっスよ。バリアなしで海に飛び込むなんて自殺行為っス」

「俺にはそんなものは必要ない。それに、あれは飛び込んだんじゃない、お前が俺に救命具をぶつけたから海に落ちたんだ」

「違いますよ、不可抗力っス」

 ミミが言った。

「いや、意図的にぶつけました」

「やっぱり、そうか」

「ミミ、この野郎。ロボットのくせに嘘吐うそつくんじゃねぇ」

「こいつは、誰と喋ってやがんだ。面倒臭ぇ、やっちまえ」

 数人のチンピラ達は、いきなり男を殴打おうだした。だが、男は既に神と化している。金属バットなど屁でもない。男は両手で金属バットをさばく。

「ダメだ。こいつにはかねぇ」

「今、俺を殴ったむくいだ。昨日のヤツと同じ苦しみを味わえ」

 男が両手をそれぞれにかざして静かに握り締めると、チンピラ二人の悲鳴がした。次々と倒れ、転げ回っている。

「ま、待て。わかったから、待て」

 その言葉に、男はかざしていた両手を下げた。そのタイミングで、車中の金髪ヤクザが男に向けて拳銃を撃った。更に二発、三発と容赦なく撃ちまくった。

 至近距離からの弾は、男に確実に命中した。命中した筈の弾丸をバリアがさえぎる。

 金髪ヤクザが奇妙な事を言った。

「撃っても死なねぇ化け物か、凄いね。けど残念だな、お前が何者かは知らねぇが、誰もオレにはかなわねぇんだよ」

 ワゴン車から金髪の巨大な男が現れた。2メートルはあるだろう金髪ヤクザが男に言った。

「この世で俺に敵う者なんぞいねぇよ。オレは全てを超越する、オレは最強だ」

 その言葉を聞いた男は微笑わらい出した。男の夢の中で、男に向かって最強だと叫ぶのはかなり間が抜けている。

 拳銃を三発撃たれても倒れない妖怪相手に、金髪ヤクザは臆する様子はない。拳を振り回しながら居丈高いたけだかに叫んだ。金髪ヤクザの拳が男の顔をかすめた。

「オレは神、オレの勝ちだ」と叫ぶ金髪ヤクザの言葉に失笑しっしょうした途端、男の後頭部に衝撃が走った。男は突然受けた衝撃を理解出来ない。金髪の拳はけた筈だ。誰もいない背後からいきなり殴られたとしか思えない。

 この世界で、男に衝撃を加える事が出来るのは、夢フィールダーだけではないか。という事は、男とバライカ以外の夢フィールダーがここにいるという事なのか。

「これで最後だ」

 再び、叫ぶ巨金髪の拳が男の顔面を捉えた瞬間、男はひらりと拳をかわした。躱した筈の顔面がゆがむ程の鉄拳に、男は身体ごと吹き飛んだ。意識が薄れていく。それを見ていたポポとミミが呟いた。

「おかしいな、バリアが効かねぇなてあり得ないっスよ」

「あり得ませんね」

 ポポとミミが同時に首を傾げた。

「アニキ、大丈夫っスか?」

「ダメだ。後は頼む」

嘘臭うそくせぇっス、まぁいいや」

 そう答えたポポは、いきなり坊主頭のチンピラのふところに現れ、左のポケットから取り出した円筒形の金属棒の赤いボタンを握り締めた。その瞬間、金属棒からまぶしく輝く光の剣が出現し、光の剣から肉を焼く音がした。坊主頭が悲鳴を上げ、野垂打のたうち回った。

「この棒には触らねぇ方がいいと思うぜ。この光はプラズマだからよ、丸焼きになっちまうからな」

「ポポ。そいつじゃない、金髪のヤツがフィールドをコントロールしている」

「フィールドをコントロールって、何言ってんスか?」

流石さすがだな」

「この世界にフィールドを持っているお前は、何者だ?」

 金髪ヤクザは、怪訝な顔で訊き返した。

「それはオレが訊きてぇ事だ。兄さん、いい事を教えてやるよ。これはな、夢だ。俺の夢なんだよ。だから、兄さんがどんなに意気がったって俺には勝てねぇんだ」

 驚きだった。それは、男自身がバライカに言った言葉と寸分も違わない。男の夢に勝手に入り込んで来るフィールダーがいるという事は、ガライカが言っていた『アトランダムなシンクロ』が既に起きているのかも知れない。だとするなら、この世界の消滅までの時間はそれ程ないという事だ。

 通信機からミミの声がした。

「銀河パトロールの船から、エネルギー反応を検知、回避してください」

 男とポポはミミの声に反応して、その場から急遽退避きゅうきょたいひした。

 天空に静止する、見た事のある銀色の宇宙船から、一筋の光がチンピラ達の黒い車に雷のように落ちた。轟音とともに跡形あとかたもなく吹き飛んだ黒い車の残骸が激しく燃えている。そこにチンピラ達の姿はなかった。

 何が起きたのか、男とポポの理解が宙を舞う。

「ポポ、あれってあの銀河パトロールのクマ野郎だよな?」

「そうっスね」

「何がどうなったんだ?」

「さぁ、良くわからねぇっス」

 銀色の宇宙船の上に立ち、得意げに叫ぶクマ男の声が聞えた。居丈高な物言いが気にさわる。

「あの金髪野郎は、宇宙海賊ツパンキだ。こんなところに隠れていやがったとは思わなかったぜ」

「待てよ、この野郎、ふざけやがって。海賊退治はオイラ達のショバじゃねぇかよ。ショバを荒らすんじゃねぇよ」

 銀河パトロールのクマ男の語りが続く。

「ポポよ、宇宙凶悪犯、海賊ツパンキ逮捕の協力に免じて、今回だけは見逃してやる。感謝しろ」

 そう言い残して、銀河パトロールのクマ男が宇宙船に戻る仕草を見せた。

「ポポ、あの金髪ヤクザは宇宙海賊だったのか?」

「そうみたいっス」

「それを、銀河パトロールのクマ野郎が逮捕したのか?」

「そうっスね」

 どういう事なのだろうか。あの金髪は、自分が夢フィールダーだと言っていた。そのフィールダーを逮捕するという事は、クマ野郎も夢フィールダーって事なのか?確かに、バライカは「この世界の終末には夢フィルダーが幾何級数的に増える」と言っていた。男は『アトランダムなシンクロ』が起こっている事を確信した。

 銀河パトロールのクマ男の語りがまだ続く。

「ポポよ、見逃すのは今回だけだ。次に会う時が、お前の最後だ」

 物言いが一々いちいち気に障り、腹が立つ。海賊退治の宇宙専攻警察に喧嘩を売っているとしか思えない。

「何なんだ、あいつは。随分と偉そうだな」

「アニキ、やっちまっていいっスか?」

「当然だ。銀河パトロールだからって、やっていい事と悪い事があるだろよ?」

「アニキらしくなってきたっスね。ミミ、あの野郎に口の利き方を教えてやれっス」

 クマ男の額に赤いレーザーポイントが見える。

 ミミは、当然のように言い放った。

「準備済です。口の利き方テキスト搭載のレーザーホーミング誘導弾を、クマ野郎にプレゼントします」

 クマ男が、悠々と銀色の宇宙船に戻っていく。銀色宇宙船のハッチが開いたのを見計みはからったように、ぱぱす号からのプレゼントである誘導ミサイルが飛んだ。

 誘導ミサイルは、キビキビと元気良くクマ男の宇宙船内に飛び込み、アグレッシブに激しく爆裂した。銀河パトロールの宇宙船が跡形もなく吹き飛んだ。

「マリオネットでも夢フィールダーを潰せるのか……」

 既に、誰が夢フィルダーなのかわからない程に、数が増加し続けているのだろう。しかも、フィールダー同士は勿論、自分の創造主以外ならばマリオネットであろうと、フィールダーを潰す事が出来るらしい。何にしても、この世界の終末まであまり時間はないようだ。

「気を取り直して、座標に飛びます」

 ミミの声とともに、黄色い宇宙船ぱぱす号はティーバの山奥へと飛んだ。

 幾つもの山と谷を越えて、座標に到着した。だが、それらしいものは何も見えない。そこに、何かが足りないのではなく、何もないのだ。

「ミミ、この座標に間違いないのか?」

「間違いないです」

 AI搭載のスーパーロボットミミの座標理解に間違いのあろう筈はない。もしも、間違いがあるとするならば、ガライカの座標が正確ではなかったと考えるのが賢明だろう。

「何もないな」

「ないっスね」

「赤外線、紫外線、X線、各センサーに反応ありません」

 緑の森林が続く周囲とは明らかに違い、周囲約1キロメートル程の円形に平坦な空地のような空間が存在している。部分的に樹木はあるのだが、その一帯に特別なものは何もない。目視の他、センサーに感知するものもない。

「アニキ、どうしますか?」

「そうだな、帰るか。何もないもんな」

「一応、最終確認の為、着陸します」

 座標ポイントの中空で停止していたぱぱす号が、高度を下げた。

「いや、着陸確認の必要はない・」

 ぱぱす号が樹木の先端れまで降り、男がその状況に踏ん切りを付けようとした時、その空間で何かが動いた。動物の類ではない。

「時空間歪曲を感知」

 空間の一部が歪んでいる。ぱぱす号の下に、正体不明の何かが存在するのだ。

 いきなり、モニターに声が響いた。

「キサマ等は何者か、この空間は立ち入り禁止となっている。直ちに、立ち去れ」

「怪しい者じゃない、ちょっと頼みたいことがあるんだ。琥湶星雲こいずみせいうんって人に取り次いでくれないかな?」

「アニキ、そんなんじゃなくて、もっとガツンといった方がいんじゃないっスか?」「ミサイルぶち込みますか?」

「いや、大丈夫だろ、多分」

「琥湶星雲?……待て」

 しばらくして、再び声がした。

「許可が下りた。但し一人のみの入山にゅうざんとなる。案内用のガラスポッドに乗れ」

 天空から一基のガラス状の球体が舞い降り、ぱぱす号のかたわらに静止した。球体の扉が開き、男は一人で球体に乗りこみ、前面にある注意書き「赤いボタンを押セ」に従った。

 ボタンを押した途端に球体は急激なスビートで舞い上がり、惑星チキの成層圏せいそうけんから外宇宙、更には恒星系の深遠しんえんにあるオールトの雲まで一気に飛んで、そこからビデオの逆回しのように惑星チキの外宇宙に戻った。

 男は、青い星の姿にれした。夢で地球を見る事が出来るとは思ってもみなかった。

「惑星チキか、地球のように美しいな」

 ガラス状の球体ポッドは、今度は星の引力で一気に落下し、途中空間に存在する黒い輪の中へと飛び込んだ。そして、宮殿の中と思われる空間へ瞬間移動した。途中、どこかで見た事のある金色のラインが見えた。

 移動したその空間は広い、かく唯々ただただ広い。床は大理石で、壁から天井まで黄金色に装飾されている。ポッドを降りた男は、その空間で何かの始まりを待っている。

 緊張感が高まる中、空間の端にある扉が開き、濃紺のうこんの羽織・はかま姿の男達に続いて一際大柄な黒装束くろしょうぞくに黒髭の老人、そのうしろに色打掛いろうちかけの若い神女かみひめが現れた。

 濃紺の男達が男を取り囲み、男の前に立った老人は鋭利な視線を放ちながら男に訊いた。

「キサマは何者か、我がヒカリのさとに何用か、或いはわしに用か?」

「俺は田中幹たなかつよしって言うんだけど、頼みたい事があるんだ」

わしの名を、何故知っておるのか?」

「ガライカ・バルカンって女から、チキ星ニホ国ティーバに、琥湶星雲こいずみせいうんという狸爺たぬきじじいがいると聞いた」

「狸爺はまぁ良いとしても、ガライカ・バルカンとな。随分と胸糞悪むなくそわるいい名を聞いたものだ。心緒しんしょのままにキサマをぶち殺しても良いのだが、一応「頼み」というものだけ聞いておこう」

「大した事じゃないんだけどさ、ここにこの世界の表裏を変換させる事が出来る七色のお宝玉があるだろ、その玉を俺にくれないかな。駄目なら貸してくれるだけでもいいんだけどさ」

 大柄な老人と若い女は、互いに首をひねりながらも「お宝玉」の意味を探っている。

「星雲、こやつは何を言っておるのじゃ?」

神姫かみひめ様、この者の言うているお宝玉とは『久瑠璃玉くるりだま』の事かと思われます」

「確かに、『久瑠璃玉』を使えば夢とうつつを逆転出来るが、そんな事をしてどうするのじゃ?」

「さて、愚か者共の考え故、わかりませぬな」

「『久瑠璃玉』って言うのか。爺さん、それを俺にくれよ」

「馬鹿者、『久瑠璃玉』とは『背瑠璃せるり神玉かみたま』というとうとい神具。お前が何を考えているやは知らぬが、『背瑠璃ノ神玉』を使うには幾つかの難事なんじがあるぞ」

「難事って何だ?」

「一つは、神玉は人間如きにはあやつれぬどころか、触れただけで溶けて消えるぞ。二つは、仮にこの神玉により威神力いじんりき発現となれば、お前の夢とうつつを反転してしまうぞ。我等は夢であろうと現であろうといささかも変わる事はないが、お前の現は夢となってしまうが、それで良いのか。三つは、そうは言うてもわし神玉しんぎょくをお前に与える事など金輪際こんりんざいない」

 老人の話はまわくどいが、早い話が駄目なのだ。それはそうだろう、正体もわからぬ訪問者に代々伝わる神玉を渡す筈がない。

「そんな事言わずにさ、頼むよ」

「残念じゃが、かなわぬな。早々に立ち去るが良い。さもなくば、我等の軍隊が八つ裂きにしてくれようぞ」

「随分乱暴だな。夢なんだから穏やかに話そうよ」

「夢とは、如何いかなる意味じゃ?」

「これはさ、俺の見ている夢なんだよ」

「星雲よ、この者の言う夢とはどういう意味なのか?」

「神姫様、この者の言う事を信ずるならば、我等は愚か者の意識の中にいるという事になります」

「愚か者とは、誰じゃ?」

「こやつの意識の中だと言っておるようです」

じいさん、その通りなんだよ。これは俺の夢なんだ。だから、逆らえないんだよ。俺がその玉をもらっていく」

あらがえぬ?」

「星雲、身体が動かぬぞ。これが夢という意味なのか?」

「そういう事になりますな」

愚者ぐしゃよ、あいわかった。神具をお前に渡そう、但し久瑠璃玉くるりだまは使い方を誤れば世界を滅ぼしかねぬぞ。く考量せよ」

 運ばれて来たその玉は、久瑠璃玉と言うらしい。パチンコ玉程の大きさで金属製の箱に収められている。男のてのひらにある久瑠璃玉の中、七色の雷光が輝きながら弾け続けている。

 男は躊躇ちゅうちょした。この久瑠璃玉には、本当に何かの力が備わっているように見える。その玉をガライカに渡して良いものなのだろうか。

 そもそも、男にはこの久瑠璃玉を海賊ガライカに言われたままに盗み取らなければならない必然性はないし、かと言って世界をひっくり返すかも知れない神玉を後生大事に保持する必要も、理由さえない。

 しかも、仮にガライカがこの神玉で世界の表裏を変換するのだとすると、男の現実が夢になるという事だから、その対価として腐る程の金を貰ったとしても一人で使いようがない。現実の世界で仕事に就いて齷齪あくせく働くのは、自分の為である以上に嫁や子供の為でもある。それを消去して考えた事などない、当然に金と天秤に掛けるしつのものではあり得ない。

「さて、どうしたもんかな」と男は立ちすくみながら、てのひらに神玉を乗せた。

 同時に、濃紺の羽織・袴姿の男達、そして大柄な琥湶星雲こいずみせいうん色打掛いろうちかけ神姫かみひめ。その誰もが仰天した。

「神玉は、触れただけで人間の身など溶かしてしまう筈……」

 男を嘱目しょくもくする一同が言葉をしっしている。

「爺さん、一つわからない事がある。俺は頼まれてこの玉をはらいに来たんだが、依頼主に「何故自ら行かないのか」と質問したら、「行けばわかる」と言った。だが、何もわからない。それに、俺はここに一度来た事がある気がするけど良くわからない。これは俺の夢だから、俺が知らない事が起こるのは変なんだけど、今この光景は現実としか思えない。俺が持っていない知識は、一体誰の意識なんだろうか?」

 誰にどんな風にいたら良いのかさえもわからない、疑問ばかり増えていくこの状況。男が星雲と呼ばれ老人に疑問を投げると、星雲から質問が返った。

わしに落ちぬ事が幾つもある。仮にこれが愚者の夢として、何故神玉に触れる事が出来るのじゃ?」

 男を見据える神姫かみひめが言った。

「こやつは、我等の一族なのか?」

「わかりませぬが、それ以外のゆえは考えられませぬな」

「その玉は触れる事さえ出来ないって言ったが、俺が触れるんだから他にも触る事が出来るヤツだっているだろ?」

「確かに居られるが、お前のような愚者ではない」

「どんなヤツなんだ?」

「崇高なる光神の遣いたる三光護みこご様を「ヤツ」などと言いおったな」

 老人が激怒した。

「キサマのその口、かっさばいてくれようぞ」

「まぁまぁ、そんなに怒らないでくれよ。謝るからさ」

三光護みこご様とはな、五千年の宇宙の危急ききゅうに立ち向かう為にその神身しんしんを現される貴い御神人みかみとじゃ」

「そんな凄い人と、この俺が関係あるって事なのか?」

「信ずる事が難儀じゃが、そうなるな。儂もお前に良い事を教えてやろう。これはな、夢ではない。してや、お前の夢ではなく現実じゃ」

「夢じゃない?」

「それにここはチキという星ではなく、ニホなる名の国でもない」

「ん?爺さん、何を言っているんだ。そんな子供染こどもじみた冗談・」

「残念だが嘘ではない。ここは天の川銀河系恒星太陽係属地球、この国は日本じゃ」

「冗談じゃないのか?」

 老人の真剣な眼差しに、男は笑う事が出来ない。ここは地球などという事があるだろうか、確かに月も火星も木星も、地球も日本列島だって見た。だが、男は夢の中で海賊に会い、ここまで来たのだ。それでもここが現実の地球だと言うのか。読み解くのは外国製家電品の取説とりせつ以上に難解だ。どう理解して良いのかわからない。

「信じられねば、己の知る場所へ行って見るが良い」

「ツヨシ・君・」

 どこからか、天の声がした。それが嫁の声であり、男を呼んでいるのは間違いない。何かが起こっているような予感がする。

 この世界は現実ではなく夢世界だ。現実から夢世界へと入った男が、いつの間にか夢世界から現実世界にいるのか。

「そうだ、帰ろう。爺さん、この神玉は返すよ」

 その言葉を残して、男は宇宙船へと戻った。ポポとミミが心配そうに男を迎えた。

「取りあえず、日本の世田谷区へ飛んでくれ」

「ここって、ニホとかいう国のティーバって場所じゃなかったっスか?」

「違うらしい」

「?」 

 AI搭載のスーパーロボットミミは、男の指示に従うべくコンピューターを駆使くししているが、かなり苦戦している。

「どうした、ミミ?」

「ガライカの青いカードには、日本、世田谷区という座標がありません。×6カケロクで探していますが、この星には存在していないようです」

 男の思考が宙を舞う。琥湶星雲こいずみせいうんは、これは現実でここは日本だと言い、ガライカから渡された青いカードは、これが夢世界でここはニホだと言っている。これはどう理解したら良いのだろうか。

 そう言えば、戻る時には気にしていなかったせいでじっくりとは見ていないが、宮殿からこの宇宙船の間に、金色のラインを見たような気がする。あれだ、ガライカに説明された夢のフィールド境界線。それが夢と現実の境界線になっているのだ。きっと、そうに違いないと男は想定した。安直という気もするのだが、そう考える以外に見極める手立ても発想さえ湧いてこない。

「存在しないのなら、仕方がない。帰るには、目覚めるしかない……」

「帰る?どこへ帰るんスか」

「現実へだ」「?」

 そう言いつつ、男は考えた。どうやって目覚める、どうしたら現実へ戻る事が出来る?明確な方法は知る由もないが、何とかしなくてはならない。

 どうする、どうする、どうする……そうだ。これは、B級小説に良くある夢の中で夢を見るというパターンに違いない。という事は簡単だ、覚めれば良いのだ。一つで駄目なら幾つでも覚めれば良いのだ、簡単だ。

「目覚めるぞ」

 目を閉じて一点に集中した。意識が薄れていく感覚がわかる。再び目を開けると山の向こうにまで道が続き、夕焼け空が赤く燃えている光景が見えた。これも夢に決まっている。何故か男は理由もなく走り出した。走らなければならないような気がしたのだ。気が遠くなる程必死に上り坂の山道を駆け上がった男は、愕然がんぜんとした。目の前には何もない。坂道を登り切った先にある筈の大地は抉れて断崖絶壁となり、遥か下には海洋が広がっている。

だが、男はひるまない。何故ならこれは自身の夢であり、空を飛ぶなど造作もないのだ。

 両手を広げると、身体は鳥のように軽く風に乗る。いつの間にか周囲の光景は山間やまあいに変わり、峡谷を右回りに滑っている。これはきっと夢が連続しているのだ。そして、風景が変わる度に夢から覚めているに違いない。幾つの夢から目覚めただろう、風が頬を撫でる。

「ツヨシ君・」

 また天の声が聞えた。聞き覚えのある嫁の声だ。その途端に、暗く長いトンネルの奥へ引き込まれ、目を開けると男は白い部屋にいた。

 そこが病院である事は、直感的に理解出来る。病室のベッドに横たわる男の容態を、担当医が静かに告げている。

「ご主人の場合、原因が不明で対処が出来ず、意識が戻る可能性は50%程度です」

 男は目を覚ました。

「あ、ツ・ツヨシ君・ņ∋」

 嫁が言葉にならない事を叫んだ。病室を見回した後、男は呟いた。

「病院か、何日?」

「10日・」

 嫁が返す状況を男は全て理解した。嫁は涙ぐみ、医師らしき男達が目を白黒させている状況を悟った男は、嫁にびた。

 首を横に振って、嫁は泣き崩れた。当然だ、10日間も意識なく眠っていたのだろう、妻のその苦悩が誰にわかるだろうか。それなのに、男は眠っていた間、夢の中で遊んでいたのと大差はない。意識のない男が意識を取り戻して一件落着とは言っても、実は何も解決していない。またあの眠りはやって来るに違いないし、そして再び10日間眠り続ける可能性だってある。さて、どうしたものか。安易に眠りにく事も出来ない。

 翌日、どんなに考えてみたところで高々たかだか夢の話なのだから、なるようにしかならないとベッドの上で達観して、それでもどうしたら良いのかと窓際まどぎわで考えあぐねる男を、見舞う者が訪れた。

 四人部屋のベッドを仕切るカーテン越しに、若い女が男に声を掛けた。嫁は買い物に行っている。ナースステーションがざわついている。

此方このかたはタナカ・ツヨシ様の御在所ございしょで御座いますか?」

 何だ、その喋り方は。誰なのか心当りはまるでない。カーテンを開けた男の前に、白く光る絹のような着物に身を包む高貴なオーラを放つ女が立っていた。

「タナカ・ツヨシ様で御座いますね。私、ヒカリの郷より名代みょうだいを申し使って参りました」

「ヒカリのさと?」

 はて、どこかで聞いた事があるような、ないような。その響きに聞き覚えはあるのだが、思い出せない。悪意は感じられず、見た目の美しさに警戒心は皆無だ。

れにお乗りください」と、女は簡易シャワーのカーテンのような布で自分と男を囲い込んだ。何やら奇妙な話ではあるが、言われるままに男はその中に入り、そして出た。黒いリングとカーテンの外は病室ではなかった。

 マジックショー的な一瞬で、男は荘厳そうごんな黄金色の空間にいた。病室でないのはわかるのだが、それ以上はその場所がどこなのか、発想さえ出来ない。だが、どこかで見た事があるような、ないような。このシチュエーションから出て来るのは、いかつい僧侶に決まっている。果たして、予想を裏切らない大男が男の前に座った。

愚者ぐしゃ殿、またお会致しましたな」

「誰だっけ?」        

「思い出せませぬか?」

 いきなり「思い出せぬか」と訊かれてもわからないが、深淵しんえんに去った記憶がおもむろに呼び覚まされていく。

「星雲で御座いますよ」

 男を愚者と呼ぶ老人の笑顔に、敵意がない事がわかる。

「あ?あ、あぁあ、思い出した。えっと、確か、えっと、そうだ、あの時の爺さん」

 呼び起こされ記憶が、洪水のように溢れ出る。

「そうだ、そうだ、えっと、確か、星雲せいうんさん。久し振り」

「愚者殿、いや田中幹たなかつよし殿、その節は気脈きみゃくを通じて頂き誠に有難ありがたきに存じます」

「星雲さん、どうしたの、そのしゃべり方は?」

「あれから、我がヒカリの郷の人別帳にんべつちょうにて確認をしたところ、田中殿は我等ヒカリの一族である事が判明しました。しかも、貴方の御母上様並びに御妹姫様は三光護みこご様に在らせられ、貴方の下の御子はヒカリの郷の御館様になられる事になっております」

「何、それ?」

「貴方も、光の力を持つ御方である事がわかったという事です」

「へぇ、そうなんだ」

「あれれれ。でも、あれは現実で、これは夢の筈だから・あれ?」

 何故、あれとこれが繋がるのかはわからない。

「田中殿、これは夢じゃよ。実はな、わしも夢フィールダーなのじゃよ。それから、田中殿が病院にいたのも夢じゃよ」

「えっ、あれもこれも夢なのか?」

 どこから夢になったのだろうか。男が夢から覚めて病院にいたのが夢で、夢ではなく現実だと言っていた老人のいる世界も今は夢であるらしい。意識の境界ラインに思い当たる節はないが、いつの間にか全てが夢になっている。まぁ、夢とはそんなものかも知れないが。

「田中殿、行きますぞ」

「行くって、どこへ。ヤバい所?」

「いやいや、ヤバくなどはありませぬ。単なる戦争です」

「戦争、ヤバいじゃないか。で、誰と戦争するんだ?」

「相手を説明するのが難しいが、簡単に言うならば田中殿自身ですな」

「俺が俺と戦うのか?」

「そうです。今、田中殿は以前わしが会った愚者ではない」

 男は近くの大鏡に映る自身の姿を確認した、普段の自分と何ら変わらない。そう言えば、男が以前老人に会ったの時は、ジョニー・シードという宇宙海賊の姿だった。

「何故なのか、その理由がわかりますかな?」

「全く、さっぱりわからない」

 男は両手を広げて、オーバーアクションで表現した。

「難しい事ではありませぬ。この世界は、夢フィールダーとマリオネット、即ち操る者と操られる者の二者で成り立っております」

「そういう事か。じゃあオレは以前は操られる者として、今回は操る・あれ?」

「田中殿は、以前も今回も操られておるのです。但し、操る者が別である故に姿が違うという事です」

「そういう事か。今回は誰が操っているんだ?」

「儂ですな。これは、儂の夢の中なのです」

 いつの間にそうなったのだろうか。わかったような、わからないような、現実のような、そうでないような感覚が身体を包む。男は思考を停止した。夢の中で、あれこれ考えても仕方がない。

「今から以前の夢フィールダー、ガライカ・バルカンの夢へシンクロしますぞ」

 老人はそう言った。男は従うより他に方法がない。戦争とはどういう意味なのか、まぁ、何にしてもどうにかなるだろう、所詮しょせん夢なのだから。天空に七色のグラデーションが出現した。美しく、そして空虚な色彩の世界が広がる。

「星雲さん、これは何だ?」

「ワープです。瞬間移動と言っても同じですな」

 二人は、いつの間にか宇宙船の操縦席にいる。広い操縦席から推測すると、かなり大型の船のようだ。またも、宇宙空間に七色のグラデーションが出現し、空虚な色彩の世界が広がる。光の突き詰まるその先に静寂の世界があり、見たような大型船が見える。

「あれがガライカ・バルカンの宇宙船じゃな」

「爺さんは以前にガライカの名を聞いて「胸糞悪むなくそわるい」って言ったけど、ガラリアを知っているのか?」

「知りません」

「知らないヤツに、胸糞悪いなんてあるのか?」

「正確には、ガライカ・バルカンは知らんと言う事です」

「じゃあ、あれは・」

 目前に、はっきりとガライカ・バルカンの紫色のUFO型戦闘用大型宇宙船が見えている。

「かつて、この宇宙を荒らし回った海賊ガライカの宇宙船ですな」

「昔のガライカを知っているって事か?」

「それは、今のガライカでもありますな」

「どういう意味?」

「夢がシンクロしているからですじゃ」

 これも、わかったような、わからないような話だ。

「田中殿、愈々いよいよ戦争ですぞ」

「いきなり?」と言った瞬間に周囲の光景が変化した。老人と男は、一瞬の内に見た事のある場所に移動した。そこはあのガライカの宇宙船の内部だった。老人と男は、ガライカのいる空間で、ホログラムの姿になっている。

「ガライカよ、久し振りじゃな」

「お前は星雲せいうんか、挨拶もなく他人の宇宙船にホログラムで侵入するとは、無礼にも程がある。老いじじいが何の用だ?」

「お前のようなクソばばあには言われたくないな。ガライカ軍と戦争をしに来たのじゃよ」

 男は流れる展開に付いていけない。

「爺さん、いきなり戦争って言ったって、俺達だけで何が出来るんだよ?」

「儂と田中殿だけだと思いますかな?」

 星雲が指差した宇宙空間に、数え切れない青い光の点滅が見える。

「あれは?」

「我等の従軍じゅうぐんですな」

「俺達だけじゃなかったのか・」

「当然です。攻撃、開始じゃ」

 青く点滅する宇宙船から光の矢が飛ぶ。背面にガライカ軍の宇宙戦艦が赤く点滅するのが見える。

「星雲よ、我等も全面戦争の準備は出来ているぞ。タナカ・ツヨシを地球に行かせた時点で、老い耄れ爺が出て来る事くらいの予想は簡単だからな」

「確かに、当然じゃな」

 男の想像を遥かに超越するビーム弾の嵐が、星雲軍からガライカ軍へと発射されたが、ガライカ軍の戦艦を包み込むバリアが当然のように全てをはじいた。

「そんなクソ攻撃なんてでもないわ。昔と何も変わっていないのね」

「どうかな、油断大敵じゃぞ」

 老人は、両手を広げて呪文を唱えた。

「時空間・閉鎖、時空間・消滅」

「待って、それを使うのは卑怯だわ。正々堂々と戦いなさ・」

 ガライカ軍の戦艦、赤い点滅が消えた。

「どうなっているんだ?」

「ガライカのいる時空間を、丸ごと消しただけです」

 宇宙戦争が瞬時に終結した。余りにもあっけない。

「そうなのか。ところで星雲さん、この世界の寿命はあとどれくらいなのかな?」

「精々、0.5夢幻時間ですな。この世界は今、バブル崩壊の一歩手前。早々の回避が賢明です。田中殿、さらばです」

「星雲さんも元気で・」

 男は自宅の寝室で目覚めた。意識の塊の世界だったあの夢の世界は、おそらくは消滅したのだろう。

 夢の中で感じた、あの夢が誰かの意思で何かに向かっている事。それが何なのかは結局わからず仕舞いだが、だからと言って、特に支障はない。男は、それからも同じように、明晰夢を見続けている。


第一話 完(第二話につづく) 

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