第5話 私は、あなたを選びたい その5

「い、樹さんちょっと離れて……」

「嫌だ!」

「えっ……!?」

「優花……良かった見つかって……ほんとに……」

「樹さん……?」

「勝手に、どこか行ってしまわないで……」

「それはむしろ」

 むしろ、それは樹さんの方ではないか、と、言いそうになった。

 あなたがいつか、私なんかの元を去るだろう、と。でもそれを言ってしまうことは、樹さんを傷つけることになるのかもしれないと、初めて今日、考えることができた。

 私は、今にも口から出てきそうな言葉を、ごくんと飲み込みながら、樹さんにこれまでもらった言葉を思い出した。

「俺は、森山さんが良いんだ。側に居させて欲しい」

「キスをしても、いいですか?」

「ただ、俺の側にいて欲しい」

 色んな、嬉しいことを言ってくれた。それに対して、私は何1つ、彼に言葉を返せていなかった。いつも、受け取ってばかりいた。

 私が、言われて嬉しかったことを、今、樹さんに返したいと思った。それが、彼と付き合い始めてから私が、ちゃんと初めて選んだこと。

 そうして口を開いた時、ぽつりぽつりと雨が降り出したことに気づいた。でも、日本の雨のように、どしゃぶりではなかった。むしろ霧雨を浴びているように気持ち良かった。

「優花、こっち」

 樹さんは、私の手を引っぱった。そのまま一緒に鳥居を潜ると、そのまま拝殿の屋根の下に入った。

「このままここで、様子を見よう」

 真剣に空を見ながら言う、樹さんの横顔はやっぱりとても綺麗で、優しさに満ちている。

「ダメですよ」

 私は、その顔に振り向いてもらいたくて、わざとむっとした顔をして、キツめに言ってみた。予想通り、樹さんは戸惑いを隠せない表情で私の顔を見た。

 私は、数秒だけそのまま表情をキープしたが、あまりの樹さんの戸惑いっぷりと、アロハシャツの組み合わせがおかしすぎて、大声で笑ってしまった。

「ゆ、優花……?」

「ごめんなさい、ついおかしくなっちゃって……あははは……!」

「え?何が?」

「樹さん……ここは神社ですから、ちゃんとお参りしてから雨宿りしましょうね……あははははは」

 樹さんと付き合って初めて、大口をあけて、腹抱えて笑ってしまった。

 いざ、お参りをしようと手を合わせて気づいた。お賽銭に使えるお金を持っていなかったことに。

 後で、ちゃんと改めて来ますから、と心の中で唱えてから、私は手を合わせる。説明されているお参りの作法は、日本と全く一緒だった。

 こうしていると、川越でのデートを思い出す。樹さんと、初めてちゃんと遠くに出かけた日。樹さんと自分のあまりの違いに悲しくなり、逃げ出そうとした日。そして、樹さんに告白された、特別な日。あの場所も、縁結びで有名だった。

 ちらりと横目で樹さんを見てみた。真剣に、何かを祈っていた。川越の時は、私の方が長く祈っていたから、樹さんの祈り姿は見られなかった。私の視線に気付いたのか、樹さんがこちらを見た。

 表情はほとんど変わらないはずなのに、今にも泣きそうだと気付いた。そんな彼が、心の底から愛しいと思った。

 樹さんは、再び私の手を握ってきた。その手が、微かに震えている。

 私は、震えを止めるように、しっかり固く、樹さんの手を握り返した。

 私は、この人の目が本当に好きだ。この人が、私を見て微かに口角が上がるのが、好きだ。

 私は、そのまま空を見上げてみた。樹さんを、隣に感じている自分が好きだ。樹さんと一緒に見る景色が好きだ。いろんな好きが、溢れてきてたまらない。それは、彼と出会う前には知らなかった気持ちだ。

 1人でも、それなりに楽しかった。幸せだった。それもまた事実。そうなる努力をしたから。

 それでも、彼と出会ったおかげで見つけた、数多くの好きは、私をより幸せにしてくれる。

 樹さんは、どうだろう?私と同じ気持ちに、なってくれるのだろうか……?私と一緒にいると、幸せだと思ってくれるのだろうか……?

「樹さん」

 樹さんの手が微かに震えた。

「何?」

 声は、いつも以上に、優しい。私は、体ごと樹さんに向けた。

 私はすうっと、ハワイの空気を肺に取り込んだ。そして、言った。

「樹さんに、許してほしいことがあるんですけど」

「……何を?」

「私が、樹さんと一緒にいるのを選ぶこと」

 難しいことは考えずに、ただ心の中に表れてくれた、そのままの本音を。


 樹さんは、鳩が豆鉄砲をくらったかのような表情になっていたが、数秒後

「急に何を……!?」

 と言いながら、顔を赤くした。いつもの私なら

「あ、すみません、迷惑でしたよね」

 と謝ったことだろう。でも今日は、そうしないように頑張ってみた。そして、別の言葉を選んだ。

「私が、ただ樹さんの側にいたいと、思ったんです」

 私が樹さんに言われて、本気で驚いたこと。

 私は、これまで努力をしなければ、誰かの側にいることすら許されなかった。でも彼は違う。ただ、ありのままの私に、側にいてほしいと言った。嬉しかったのに、あの時は信じられなかった。

 でも、今ちゃんと分かった。樹さんは、本当にそう思ってくれているのだと。

ようやく、自信を持てた。私が、そう言って良いのだと。彼を、選んで良いのだと。

「優花……!」

 樹さんは私を抱きしめてきた。力強く。そして、耳元で囁いてくれた。

「結婚して」

 私は、頷く代わりに

「私も、樹さんと結婚したいです」

 きちんと声に出せた。

 その時、周囲から拍手が沸き起こった。

 私と樹さんが慌てて離れると、いつの間にかたくさんの観光客らしき人たちが私を見て拍手をしていた。


「おめでとー!」

「いいぞー!!」

 その歓声の中に、あの2人もしっかりいた。

「ユーカ!!おめでとう!!!」

 スマホのカメラをこちらに向けているマナちゃんと、満面の笑みを浮かべながら、うんうん、と頷いているケビンさんが。

「なっ……何で……!?」

「そりゃあ、ユーカさんがいなくて大慌てだったイツキを連れて、君を一緒に探したのは私たちだからね」

「そ、そうだったんですか……」

 これは素直に、申し訳ないと言いたい。

「ちなみに、アロハシャツ着せたのはマナだよ」

「……何故?」

「だって、ダディー絶対プロポーズすると思ったんだもん」

「えっ!?」

 マナちゃんいわく。樹さんはマナちゃんにも、私との関係性を何度も相談していたらしい。昨日の夜も、マナちゃんの部屋で作戦会議をしていたとのこと。

 あまりにも樹さんがうざいから、いっそのこと早くプロポーズしろ、とけしかけたらしい。ちなみにアロハシャツはハワイでは正装とのこと。樹さんを見るとあさっての方向を向いていた。

「あっ、見て!」

 マナちゃんが空を指差すと、空に大きな虹がかかっていた。マナちゃんの声を合図に、私たちに注目した人たちが、一斉に空を見た。それと同時に、樹さんが私にキスをしてきた。

 最初は軽いキス。それからもう1回、今度は私からキスをした。

 虹が見守る中で、私と樹さんは永遠の愛を意識した。

 そうして迎えた12月24日。

 私の誕生日を祝うためと、樹さんはハワイの色々なロマンチックな場所へと連れて行ってくれたはずだった。

 けれど、申し訳ないことに、この日の記憶が全て吹っ飛んでしまったのだ。

 約束の「特別の日」のおかげで。

 せっかく樹さんが予約してくれた、最高級ホテルのスイートだったけど、それもどんな部屋だったのかすら、覚えていない。それくらい、私は樹さんとのハジメテは衝撃的だった。

 漫画や小説でイメージはしていたけど、実際はまるで違った。樹さんの肌の気持ちよさと、吐息と、香り、それにたくさんくれた

「愛してる」

 が、私の脳内の全てを占めている。

 私が、彼の愛情にちゃんと答えられたかはわからないが、彼を体内で受け止める選択をして良かったと、本当に思っている。

「優花、愛してるよ」

「私も、愛してます……樹」

 もう、私なんかとは言わない。その誓いと共に、私は樹さんの体に、初めて自分から抱きついた。

それから、もうハジメテじゃなくなった行為が始まってしまったのは、また別のお話。

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