第4話 乗り越えられると思ったんだ、君がいてくれるなら その4

 そして、あっという間に迎えた、12月22日。今日この日まで、俺や優花に橘からの接触はなかった。

 俺はただの医師だから、橘も飽きたのだろう。世の中のワイドショーでは、今日この時も、目まぐるしく話題が切り替わっている。つい先ほど見た今朝のニュースでは、人気俳優と女優の熱愛が発覚したと盛り上がっていた。

 このまま言わない道を選ぶのもありではないかという、ずるい考えが頭を過ぎる。

 実際、あの人に相談をした時には、こう言われた。

「彼女には、知り合いの子と言いなさい。それでいいから」

 秘密は、無理に暴く必要はない。嘘をつく方が優しさになる時がある。そんなこと言っていた人もいた。

 俺は、eチケットがしっかり2人分届いたことを、メールで確認してから羽田空港へと急いだ。期待と不安が入り混じる心を抱いて。

 嫌な予感が、なかったとは言えない。むしろ、いつこの時がくるのかと、心の何処かで常に思い続けていた。

 だから、空港で会った優花から、あの子の存在を口にされた時に真っ先に思ったのは、この時が来たか……だった。

 どうやって優花がこの事実を知ったのかを、問いかけることなどすっかり忘れてしまっていた。

 分かっていたけれど。覚悟をしていたつもりだったけれど。いざこの時が来ると、全身が強張ってしまった。言うべき言葉が、見つからなかった。

「……樹さん」

 しばらく、俺が黙っていると、優花が口を開いた。その声に、感情が乗っていない。

「……何……?」

やっとのことで、絞り出した2音。でも、掠れてしまい、うまく伝わったかは分からない。

「すみません……」

 優花が、謝ってきた。俺は聞けなかった。君は何に謝っているのか、と。

 それから、また数十秒ほど無音の時が続いてから、優花はこう言った。

「……頭冷やしてきてもいいですか……?」

 俺は、ただ頷くしか……できなかった。

 羽田空港の出発ロビーには、複数の時計台があり、よく待ち合わせに使われている。

 優花に、メッセージで「時計台で待っている」と書いた文章と、時計台付近の写真を送ってから、俺は、近くのベンチで考えていた。

 優花が、どこに向かったのかは分からない。顔を上げた時には、優花はすでに消えていたから。荷物と共に。

 このまま、もし帰ってしまったとしたらどうしよう。電車、バス、タクシーと、彼女が家に帰る手段はいくらでもある。彼女には俺から逃げる権利も、あるのだから。

 刻々と、時計台の針は進んでいく。さっき人がいたはずの横も、いつのまにか空になっていた。搭乗手続きをしなくてはいけないタイムリミットも、迫っている。

 スマホを握る手に、力が籠った時、それは震えた。おそるおそる、画面を見る。優花だった。

 どくんと、心臓の鼓動が、大きくなった。


「あ、樹さん!!こっちです!」

 俺を見つけた優花が、笑顔で手を振ってくれており、俺はついつい早足になってしまった。

「すみません、呼び出してしまって……」

 君を迎えに行くのは当然だ、と言いたかったが、長年の運動不足のせいか、少し走っただけで息が切れてしまった。

「だ、大丈夫ですか!?お水、買ってきましょうか?」

「いや……だ……大丈夫……」

 こんな自分が、心底情けないと思った。

 優花から、この場所の写真と「迎えに来て欲しい」と書かれていたメッセージが送られてきた瞬間、俺は駆け出した。

 国際線ターミナルの特徴でもある、江戸の街並みを通り抜けて俺がやってきたのは、5階にある有名キャラクターのグッズが数多く売られている店。

「はぁ……」

 大きく深呼吸をしていると、そっと額にタオルがあてられた。顔を上げると、優花が心配そうに俺の顔を覗き込みながら、俺の額の汗を拭き始めた。

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ……」

 俺は、なんだか気恥ずかしくなり、タオルを受け取って自分で拭いた。そのタオルからは、俺が好きな優花の香りがした。

 汗が引き、息が整ったところで、俺は優花に尋ねた。

「どうしたの?道に迷った」

「あ、いえ、そうではなくて……」

 優花が、少し言いづらそうに口をもごもごさせた。

 一体、どうしたと言うのだろう。でも、ここで言葉を急かすのは違うと、俺は知っている。優花は、じっくりと考えてから話をする癖があるから。

「実は聞きたいことがありまして……」

「聞きたいこと?」

「樹さんのお子さんの件です」

「……え?」

「ハワイにいるん……ですよね?」

「ど、どうして……」

 優花の口から、あの子の事が話されることに、俺は戸惑いを隠せなかった。

「誰から聞いた?」

 唇の震えを抑えながら、そう聞こうとしたと同時に、優花は聞いてきた。

「女の子ですか?男の子ですか?」

 聞き間違い……だろうか?

「……ごめん、優花」

「はい」

「聞いても……良いか?」

「はい」

「……俺の子供の性別が……知りたいの?」

「はい」

「どうして?」

「お土産を買った方が良いんじゃないかと思いまして」

「……え?」

「ハワイにいるとのことですし、樹さん、会おうと思えば会えますよね」


 それどころか、あの子が住んでいる家に、数日泊まる予定になっている。まだ優花には言ってないけど。

「もし会われるなら、私からもお土産を……と思ったんですが……もしかして……樹さんの方でもう用意してますか?」

「あ、ああ……」

 スーツケースの中に、頼まれていた漫画本が数冊入っている。電子書籍は買えるが、現物も欲しいという、あの子のリクエストがあったから。

「じゃあ……逆に多すぎても……迷惑ですかね?」

「たぶんそこは気にしないと思うけど……」

「あ、ほんとですか?じゃあ、私からもせっかくなのでプレゼントできればと。なので性別、教えてくれませんか?」

「それで、性別は?」

「女の子だ」

「ご年齢は?」

「9歳」

「9歳の女の子だと……もう、おしゃれにも興味を持つ時期ですよね。ハワイと言ってもアメリカですし」

 俺は、目の前の彼女のことをまだちっとも理解していないのだろう。

「名前も、お聞きしても良いですか?」

「マナ・桜・ミラー……」

 どうして、彼女が俺を責めないのか、見当もつかないのだから。

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