第1話 人生最後のデートだと思っていたのに その8

 そうしてやってきた、約束の日。

 私は氷室さんと2人、浴衣姿で小江戸の街を歩いている。たくさんの観光客で道は混雑しており、ちょっとでも離れているとすぐに逸れてしまいそうだった。

「森山さん、こっち」

 氷室さんは私の手を自然に取った。私は、自分の手汗が気になって仕方がなかった。

 こんなに間近で氷室さんの顔を見たのは、婚活の日以来。浴衣と和風っぽい背景の効果もあり、綺麗な顔立ちが一層際立っていると、思った。

 それに比べて私は、浴衣に汗染みがついたらどうしようと、気にしてばかりいた。

「森山さん、口を開けて」

「え?」

 氷室さんの声に合わせて、無意識に口を開ける。すると、口の中が急に甘くなった。

「お芋とあんこの味?」

「川越名物の和菓子だそうですよ」

 横を見ると、お店の人が爪楊枝に刺さった和菓子の試食を配っていた。

 氷室さんも、幸せそうな表情でかけら口にしていた。

「美味しいですね」

「は、はい!お芋好きなので!」

「俺も芋、好きですよ」

「本当ですか?」

「川越はさつまいもの産地と聞いていたので、楽しみにしていたんです」

 ああ、そうか。氷室さんが私を川越に誘ったのは、こうやって、芋のお菓子を食べたかったのだろう。 

 おしゃれな浴衣デーの相手としては申し訳ないほどの差がある私たち。

ただ、美味しいものを食べるのが好きな同士としてであれば、まだこの人の横にいてもいい気がした。

「氷室さん、あの人が持ってるのを見てください!」

 私は、真横を通り過ぎたカップルが持っていた、プラスチックのカップに入った細長いさつま芋チップスを指さした。

「あれ気になってたんです!今度は私が奢りますから、食べませんか?」

「良いですね。行きましょう」

 開き直った私は、氷室さんを連れて、あちこちのさつま芋スポットを巡った。

 さつま芋のソフトクリームやシュークリームなど、1年分のさつま芋スイーツを、お腹がはち切れそうになるくらい食べた。

 その全ての支払いは、いつの間にか氷室さんが全部してくれていた。

 私はどうやってそのお金を返そうか、考えなくてはならなかった。

「氷室さん。川越来て、よかったですね」

「本当に」

 私と氷室さんは、さつま芋スイーツを思う存分堪能した。これで、充分川越を満喫できたことにしたい。

「そろそろ帰らないと、日が暮れますよね」

 私は、ここに来るきっかけになったものを忘れたフリを、した。

 でも、氷室さんはそれを許さなかった。

「森山さん、何言ってるんですか」

「え」

「風鈴、見に行くんでしょう?」

 氷室さんはさぞ当然、という顔をして、また私の手を取った。

 私も、そうされることに慣れ始めてしまった。

 大きくそびえ立つ鳥居をくぐり抜けると、雑誌で見るよりも、ずっと現実的で賑やかな空間が広がっていた。

 ここには、色鮮やかな江戸風鈴が2000個飾られている風鈴回廊が夏の間設置されている。涼やかな音が耳に心地よく入ってくる。

 そして、その回廊を見ようと、たくさんの人が行列を作っていた。

「並びますか?」

 氷室さんはそう聞いてくれた。私は首を振った。

「どうして?」

「きっと、時間がかかってしまうでしょうから、また今度機会があればでいいです」

 私はいくつかある理由の内、それだけ言った。

「しかし……」

「それより氷室さん、お参りしませんか?」

 私は、氷室さんが何かを言いかけたのを遮るかのように、風鈴の行列よりずっと人が少ない本殿の方に誘った。

 ここは、縁結びで有名な神社。

 いつか出会うであろう、恋人との縁を真剣に願う人達や、今側にいる恋人との縁を深めたいと考える人達の想いが集まっている場所。

 そんな場所に、自分なんかが氷室さんのような人と来ていることが、やっぱり申し訳ないと思ってしまう。

 私が祈る必要なないかもしれないけれど、氷室さんにいい人が現れますように、と100円のお賽銭だけでじっくりと祈った。

 その時間が、少し長すぎたのだろうか。横にいたはずの氷室さんは、いつの間にか賽銭箱の前から離れて、人混みの中にいた。

 何をしているんだろう?

「森山さん」

 氷室さんが手招きをする。

 近づいてみると、そこにあったのは、小さな釣竿と、たくさんの鯛の形をしたおみくじだった。

 目の前の女の子が、ヨーヨーすくいと同じようなやり方で、真っ赤な鯛を釣っていた。

 その横で、彼氏らしき男の子が女の子の写真を撮ってあげていたのが、とても微笑ましかった。

「釣るおみくじ、面白いですね。森山さんやります?」

「そうですね」

 私も空いてる釣竿を手にして、赤い鯛を釣ろうと糸をたらした。

 その時、ふと、その横にピンクの鯛がたくさん置かれている台があるのを見つけた。

 SNS映えしそうだな。

 近づいてみると、ピンクの鯛は恋みくじと、書いてあった。

 私なんかが釣るとか、ギャグにしかならないな。やっぱり私は普通のおみくじの鯛を釣ろう。そう考えて釣り糸を垂らしたところ、氷室さんが私の肩を叩いてきた。

「森山さん、はいこれ」

 氷室さんは、私にピンクの鯛を渡した。

「ど、どうして……」

「欲しそうな顔をしていた気がしたので」

「私、そんな顔してましたか!?」

「少なくとも、先ほど食べたさつま芋のお菓子を見る時の顔と、同じ顔をしていました」

 どれだけ、自分は物欲しそうにしていたんだろうか。無言で考えていると、氷室さんが急に「すみません」と謝ってきた。

「どうして謝るんです?」

「俺、失念してましたが……自分で選ばないとおみくじになりませんよね」

 言われてみれば、そうだ。

 他人に引いてもらうおみくじなど、聞いたことがなかった。

「戻しますね」

「待ってください」

 氷室さんが、手の中にいるピンクの鯛を戻そうとしたのを、私は止めた。

「これに、します」

「ご自分で選ばなくて良いんですか?」

「はい。だからこれを選んだんです」

 私はそのまま氷室さんの手から、ピンクの鯛を選び、中のおみくじを開けてみた。

『未来に幸福あり』

 おみくじに書かれていた言葉に、心が踊った。

 氷室さんにお礼を言おう。

 私が顔を上げると、そこにいたはずの氷室さんが、また急に居なくなっていた。

 でも、ちょっと見渡しただけで、すぐに氷室さんを見つけることはできた。

 何故なら、浴衣を着た美人な女の子達数名に囲まれて、境内の中でより目立っていたから。

 薄いピンクや黄色などのパステルカラーに、ちょっと個性的な柄。帯にはキラキラ輝く帯留めが、コーディネートの良さを引き立てている。

 もし、私が着れば良さを殺してしまう。そんな浴衣を完璧に着こなした、SNS映え間違いない美女達が、氷室さんと話をしていた。

 私は、ほぼ無意識にスマホでシャッターを切った。

 やっぱり、こっちの方が氷室さんはずっと絵になると、実感した。

 私はそのままその写真を削除してから、メッセージの画面を開いた。

『体調が悪くなりました。先に帰ります。申し訳ございません』

自然と、打ち込めた。それはきっと、無意識にこの文言が頭の片隅にあったからだろう。

 送信は躊躇わなかった。それからすぐ、氷室さんに見つからないように人混みに紛れながら鳥居を出た。

 いつもは、この体型のせいで人混みに紛れてもすぐ見つかってしまう。だけど、今日は自分からすっと、いなくなりたいと思った。このまま、氷室さんの前から消えてしまいたいと、願った。

 だからだろうか。すんなりと、氷室さんには見つからずに小江戸の街並みまで戻ってくることができた。

 こういう時は成功してしまうんだな、と少しだけ悲しくなった。

 さらに15分ほど歩いたところに、バス停があった。ここまで来れば、さすがに見つからないだろう。そこでバスを待つことにした。バス停の近くにあった店のガラス扉で自分の残念な姿を見てしまい、私の悲しみはまた積もった。

 ぼろぼろになった髪型。汗で化粧が崩れた顔。しわしわになった浴衣。そして草履を無理して履いてきたため、足がどんどん痛くなっていた。

 こんな姿の自分が真横にいるなんて、やっぱり氷室さんにとって良くない。

 私は、やっぱり第三者として、美男美女カップルを見ているのがお似合いだし、そっちの方がよっぽど性に合っている。

 早く。バスが来てほしい。早く。早くバスに乗って、駅に戻ろう。電車に揺られながら日常に還れば、きっと芽生え始めてる気持ちを消すことができるだろう。

 例え今日、氷室さんとこれきりになったとしても、私はきっと、いい思い出にできる。

これまでも、そうだった。そしてこれからも、私はそうして生きていくのだ。1人で。

 そんなことを考えた、丁度その時。バスが、見えた。少し混雑しているのが、フロントガラス越しに分かった。

 バスが止まり、扉が開く。私は乗り込む順番を待ち、中に入ろうとした。

 その時、いきなり誰かから手を掴まれ、後ろに急に引っ張られた。

「どうして……」

 立っていたのは、氷室さんだった。息を切らせながら。

「体調……悪いって言うなら……俺がいたほうがいいでしょう」

 急いで走って来たのだと分かるほど、氷室さんの浴衣ははだけていた。

「大丈夫です。1人で、帰れますから……」

 掴まれてる手を振り払おうとする。でも、ぴくりとも動かない。

「送ります」

「いいです」

「送らせてください」

 そう言うと、氷室さんは私の手を掴み、人混みを縫うように歩き始めようとした。

「痛いっ!」

 綺麗な鼻緒は、今や私の足を痛めつける凶器に変わっていた。私の足は鼻緒ずれにより、すでに限界に来ていた。

 氷室さんは、私の声で事態を察したのか、懐から絆創膏を取り出した。

「な、何してるんですか!?」

 氷室さんはその場で跪き、私の足にできている傷の上に、絆創膏を数枚貼った。

 私の足の甲に、氷室さんの指先が当たるたびに、何だか変な気持ちになってしまった。

「これでどうですか?」

 氷室さんは、跪いたまま私を見上げた。

 その体勢は、まるでシンデレラで求婚する王子様のように見える。そのせいなのだろうか。周囲から、黄色い歓声まで聞こえてきた。

「氷室さん、大丈夫ですから、もう立ってください!」

 私は氷室さんを引っ張り上げてからすぐ手を離そうとする。でも逆に氷室さんに掴み返されてしまう。

「言いましたよね、特別な日にすると」

 そう言う氷室さんの目には、微かな怒りを感じた。

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