第1話 人生最後のデートだと思っていたのに その6
あの、地獄の婚活事件から数週間後。
私は、浴衣という夏デートに鉄板なアイテムを身につけて、駅の改札口である人を待っている。
紺色の生地に、白い花が描かれている大人っぽいデザインの浴衣は、少し痩せていた時期に気合い入れて買ったもの。まだその頃の私であれば、そこそこの自己肯定感は保つことができていたかもしれない。
けれど、今は違う。
「やだ。似合わない癖に浴衣なんて着ちゃって」
「浴衣が可哀想」
私の横を通り過ぎる人たちからの、悪気しかない小さな声が耳に次々入ってくる。
「もう、帰りたいな……」
浴衣が似合わないって言われたらどうしよう。
そんな不安に、胸が押しつぶされそうになった私は、逃げるためにメッセージを送ることに決めた。
「お腹が痛くなりました、すみません」
全てを打ち込み終えて、待ち合わせ相手に送信しようとしたまさに今、その相手から電話がかかってきてしまう。
「……はい」
『森山さん?氷室です』
「……森山です」
『今、どちらにいますか?森山さん?』
「……実は私……まだ家にいて」
『え?』
「急にですね、お腹を壊してしまいまして……それで、今日、行けそうになくて……」
言ってしまった。
これでもう、お誘いが来なくなるかもしれないけど、でも嫌われるよりずっとマシだと思った。
「たぶん、風邪を引いてしまったと思うので……今日はごめんなさい、またの機会に誘ってください」
早口でそう言ってから、会話を切ろうとした。
『おかしいですね』
「え」
『俺の目が正しければ、森山さん、今駅の改札前にいますよね?』
「……ええ……と?」
『そして今、何かを考えるために頭をうごかしましたね』
「あ、あの?」
『それに、風邪だと言うなら、なおさら俺に森山さん』
真後ろから、肩を叩かれた。嫌な予感がする。
「俺と、会ったほうがいいと思いません?」
私の背後には、紺色の浴衣をびしっと着こなした、待ち合わせ相手の氷室さんが怪訝な顔で私を見ていた。イケメンオーラを放出しながら。
タワマン婚活事件から今日まで、氷室さんと私が直接会ったのは2回。
まず1回目は、あの日私が写真を見せた最寄駅のカフェを案内した時。Tシャツ、ジーンズというラフな格好に、質の良いジャケットを羽織った姿を待ち合わせ場所の駅で見かけた時は、あまりの神々しさに目が潰れるかと思った。できれば近づきたくないとすら思った。
1度は、氷室さんのような人の近くに立っていても許されるようにと、ファッションやメイクを動画で勉強し直し、それなりに良さそうな服をECサイトで揃えた。だが、1度家で身につけてみた結果、思ってしまった。
豚に真珠という言葉がこれ程まで似合う人間は、世界中に果たして私以外存在するのだろうか、と。
どうせ最初から何もかも違うのだから、いっそ割り切って今日を乗り越えよう。そう考えた私は、買い揃えたものは封印し、いつも通りの格好であえて行くことにした。
あの服を着てくれば良かったかもしれないと、氷室さんを見かけてすぐに私は後悔した。
「森山さんこんにちは」
「……こんにちは……」
私が、氷室さんにおそるおそる近づくと、どこからともなく声が聞こえてきた。
「え、あのイケメンあんなデブが彼女なの」
「だったら私もいけるかも?」
という声がちらほら聞こえてきた。
彼女だなんておこがましい。これは、デートではない。断じて。勘違いなんかしない。
私は繰り返し、念じ続けた。
「……どうしました?森山さん」
「さあ氷室様!目的地はこちらでございます。おほほほほ」
今日は、氷室さん専属のカフェガイドになるのだ!であれば分不相応の格好も、許される、はず)
「あ……はい……」
氷室さんの表情は、相変わらず変化はなかったが、すぐに感じた。
間違いなく、私に対してドン引きしている。
きっと、氷室さんと会うのは今日で最後だろう。
だから、今日さえ乗り切ればいいだろうと、私は気楽に考えていた。
この日はランチタイムだけのはずだった。
おすすめのご飯を食べて、お茶飲んで、さっと帰るはずだった。
それなのに、席についた途端に、私と氷室さんは自然と話が弾んでしまった。
最初は、氷室さんオススメのカフェの話から。氷室さんの甘いものへのこだわりの話、好きな本や映画の話など、氷室さんに関する話が尽きることがなかったのだ。
話の切り上げ方が分からない、というのもあったのかもしれない。だけど、氷室さんの話を聞いているのは楽しかった。なので私は、うんうん、と真剣に聞き入ってしまっていたのだ。
その結果、予定ではとっくに家でまったりしていたはずのディナーの時間までカフェに入り浸ってしまった。
挙句の果てに、全て奢って頂いた。
「案内していただいたお礼です」
金額は約4000円分。
流石に、申し訳なさすぎるので1度は拒否したが、結局は氷室さんの押しに負けた。
これで氷室さんと会うのは終わりになるだろう。私にとっては、当然の考えだった。
ところが、氷室さんを最寄り駅まで送っている時に尋ねられた。
「それで、どうしましょうか?」
「どうしましょうか……とは?」
「次、どこに行きますか?」
「次、ですか?」
全く想定していなかった問いかけに、私はパニックになった。
「……特に……ないです」
失礼極まりない返事しかできなかった。
「そうですか。わかりました」
氷室さんはそれだけ言うと、それ以後は会話なく別れてしまった。
普通なら、これで終わりだと思うだろう。少なくとも私は完全に油断をしていた。
「ここは、どうですか?」
その日中に氷室さんから「次会う場所の候補です」と写真画像を送られた時は、息が止まるかと思った。
そこは、写真を見ただけで分かる、SNS映えの潜在能力高めの喫茶店だった。
きっと、カフェやアニメについて語れる仲間認定をされているのだろう。
これまでの氷室さんとのやり取りを脳内で振り返った結果、そうとしか思えなかった。
メッセージのやり取りは、これまでも毎日続いていた。
氷室さんは私と同年代。子供の頃見たアニメやドラマの話で盛り上がることもある。
だから、2回目のカフェの誘いはアニメの事も語れるお友達、として受けることにした。
だが、運命が大きく変わる予兆が出たのが、まさにこのカフェでの出来事だった。
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