第30話 花のまにまに、なお逢うことを 発端(二)
「な……。じょ、冗談、ですよね?」
「いいえ。冗談ではありません。卯月という神は、代々、前の代の卯月を殺すことで、代を重ねる神です。これまでに聞いてはいませんか? 卯月という神は、『神殺しの神』だと」
樂の脳裏に、月見の宴のとき、五宮神社の木蘭からかけられた言葉が蘇る。
――卯月の……? あの禍津神、神殺しの神がわざわざ挨拶にぬしをよこすとは――。
「……それでも、俺には、貴方を殺すことはできません」
「気持ちはわかりますよ。それがひどく辛いことだという記憶は、私にもあります。それでも貴方は、私を殺さなくてはなりません。そうでなければ、私は早晩大禍津となり、皆を手にかけ、この町に災いをもたらすでしょう。
「他に何か、方法は……」
「……ありません。あれば、よかったのですけれど。まあ、今すぐに、という話ではありません。――どうか、水無月までに、覚悟を決めておいてください」
しいて声だけは平静を取り繕って、卯月は早足に部屋を出ていった。
自分がどれだけ残酷なことを言っているかは、よくわかっている。
(それでも……何も伝えられずに、そのときが来るよりは、と思うのは、自己満足でしょうか)
そうしなければ、宮杜町――当時は村だったが――は滅んでいただろう。山が崩れ、川が溢れて、多くの人間が死ぬことになっただろう。
禍津神がもたらした、
そして、卯月が持つ記憶は、どうしても引き継がなくてはならない。全てに絶望して祟り神にすがった、あの哀れな女のことを、自分だけは覚えておかなければならない。
――この身の潔白を、誰も信じぬというのなら、ひとり生きていたところで、何の甲斐があるでしょう。
――先のない身を、貴方に捧げます。どうか、貴方だけでも、私が潔白であったことを知っていてくださいますよう。
かつて会った女はそう言って、その身を自分に捧げた。贄を得る対価に、自分はその記憶を引き継ぎ続けた。代を重ねる度に、女の記憶を含んだ己の記憶もまた引き継いで。
祭神を継ぐ代償か、継いだ者の名は失われ、過去の己の名も定かではない。
水無月の終わりには、樂もこうなるだろう。かつての自分と同じように、卯月を継いだなら、“樂”の名は
(ああ、でも、あの二人は覚えていますか)
とはいえ、当の本人が覚えていられなくなるのだから、実の両親が覚えていたところで何の意味があろうか。
自室に戻り、敷いたままの布団に横になる。冷たい布の感触が、頭に昇った熱をいくらか吸ってくれた。
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