第8話

 窓から外を見下ろすと、街にはまだ明かりが灯っている。大浴場からのこの風景が好きで、いつもこのホテルを取ってしまう。チャンスがあれば、翔真にも見せてやりたい。

 俺は湯に浸かって、ゆっくり身体を伸ばす。今回のミーティング、無事に終わって良かった。わざわざ出張をして、現地まで来た甲斐があったというものだ。

 天井から落ちた水滴が音を立てる。浴室内には誰もいなくなっていた。俺はハンドタオルを頭に載せて、肩まで身体を沈める。

 二週間前のあのカップル、悠親と一美だったっけ。インパクトが強い二人だった。一応、連絡先は交換したが、仕事が忙しかったこともあって、あれっきりだ。翔真はまだ連絡を取っているのだろうか。話を聞けて参考になったこともあったが、悪影響がないか心配だ。彼らにたぶらかされて、変なことにならなければ良いが。って、恋人というよりも、まるで父親だな。

 ガラガラと音を立てて、誰かが入ってくる。川村だ。俺に気付いて声を掛けてきた。

「藤原さん、お疲れ様です」

「おう、お疲れ」

 川村は腰にタオルも巻かず、浴槽に近付いてきた。俺はすかさず注意する。

「お前、そのまま入るつもりじゃないだろうな。ちゃんと身体、洗えよ」

「はーい。藤原さん、母ちゃんみたいですね」

 俺だって大の大人にそんなことを言いたくない。そういうことを言われてしまう自分の行動を反省しようという頭は、ないのだろうか。とはいえ、素直に洗い場ヘ行ったのだから、あまりうるさく言わないでおこう。川村は身体を洗いながら、俺に話し掛けてきた。

「晩飯、美味かったですね。オレ、あの魚の料理、気に入りました」

「そうか。あれ、この辺りの郷土料理なんだよ。空港でお土産用のセットが売ってるぞ」

「良い情報、ありがとうございます。じゃあ、明日はちょっと早めに空港ヘ行きましょう」

「わかった」

 身体を洗い終えた川村が浴槽に入ってくる。翔真と出会って男を意識するようになるのかと思ったが、そんなことは全然ないな。川村もルックスは悪くないが、その裸を見ても何の感慨もない。まあ、何か変化が起きても困るのだが。やはり俺にとって、翔真は特別なのだろうか。いや、単純に川村がそういう対象ではないだけという気もする。だって、翔真の学生証を拾った時は――。川村の声がした。

「ちょっと、藤原さん。何、俺の身体をジロジロ見てるんですか。やめてくださいよ」

「いや、見ていないって。考え事してたんだ」

 俺は湯で顔を洗う。その間に川村は、ぶつくさ言いながら、浴槽に身体を沈めた。

「あぁ、いい湯ですね。仕事の後だから、なおさらです」

「だな。お前がとっさに言ってくれた提案があったから、向こうも納得してくれたんだ。ありがとな」

「どういたしまして。お礼にご褒美をくれても良いんですよ。女子大生との合コンとか」

 こいつ、まだ言うか。いい加減、何か設定してやって、誤魔化した方が良いかもしれない。

「そのうちな」

「藤原さん、またそれですか。もうオレ、聞き飽きました。本当に大学生と付き合っているんですか」

「ああ」

 女子大生じゃなくて、男子大学生だけどな。俺は心の中でつぶやく。

「じゃあ、最近はどうなっているんですか」

「今はテスト期間中だから、メッセージのやり取りだけしかしていない。けど、その前は二人で飯を食いに行ったり、その子の友だちとお茶したり」

「なんだ。藤原さんも、人が悪いな。オレの合コンのために準備してくれているんじゃないですか」

「違う違う。友だちって言っても、相手の二人はカップルだから」

「なんだ、ダブルデートってヤツですか」

 言われてみれば、そう言えないこともないが、悠親と一美と会ったのをそう言って良いのだろうか。川村は話を続ける。

「けど、友だちに紹介してくれるっていうことは、相手も本気なんですね。やっぱり順調なんじゃないですか」

「そうなのかな。けど、そういえば『学園祭にも来て欲しい』って言われていたな」

「えっ? なんですか、それ。オレも行きたいです」

 騒ぐ川村を抑えながら、俺は考える。学園祭に呼ばれたということは、きっと翔真の友だちと会うことになるだろう。まさか恋人と説明はしないだろうが、親しい間柄だと思われても構わないと彼が思っている証拠のような気がする。

 ヤバいな、凄い嬉しい。

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