第8話

 高校三年の春。部活の遠征を終えて、夜道を自転車で走る。

 試合自体は明るいうちに終わったけれど、勝利の祝杯ならぬ祝ソーダ片手にファミレスで乾杯。気付けばあっという間に夜だった。

「タクト、じゃあな! お疲れ!」

「お疲れ様!」

 そして心の中で呟いた。

 俺はタクトじゃない。弟は風邪でベッドの中。

 別れ際まで隠し通せたことに、試合への勝利とは質の違う爽快感があった。


 前髪の分け目と口調を少し変えるだけで、皆は俺をタクトと見なした。いつもより機敏だったかもしれないが、気合いがそうさせたのだと受け取られたはずだ。俺はバスケ部、弟はバドミントン部。共通点のない競技だが、負けず嫌いとスタミナの良さが功を奏した。


 大通りを抜け、住宅街へ入る。途中、前方の学習塾から生徒が溢れ出てくるのが見えた。出入り口付近で迎えを待つ面々の中に、こちらに手を振る姿が。フレイアだった。このまま無視して走り去り、弟の高感度を下げても良かったのだが、良心の呵責を感じ彼女のもとへと自転車のハンドルを切る。

「偶然だね。勉強お疲れ様」

 こんなに嬉しそうにするなんて、彼氏というのはよほど大きな存在なのだと痛感した。

「そっちこそ、遅くまで部活お疲れ様」

「うん」

「ねえ、なんでラケット持ってるの?」

「遠征試合だったんだ」

「そうだけど、そうじゃなくて。だってカイトはバスケ部でしょう?」

 一瞬何が起きた理解できなかった。ジャージも髪型も口調も、何なら自転車だって弟のものなのに。彼女は易々と見破った。

「よく気づいたな」

「見分けるコツがあるの」

「どんな?」

 その先ははぐらかされ、自転車のリアキャリアに腰掛ける君。そのまま静かに視線ばかりを寄越す。「送ってくれるでしょう」。こちらに拒否権は無いように思われた。

「落ちるなよ」


 彼女の家、セキュアまでそう遠くないはずなのに、永遠に感じられる道のり。何を話していいかわからないし、君も静かになった。ただ、腰元に回された腕の感触だけが、君と二人でいることを教えてくれていた。

 ようやくセキュアが視界に入ったとき。君は言った。

「さっきのコツだけどね。本当は、それがなくても見分けられるの。二人は全然違うから」

「初めて言われた」

「そう?」

「で、コツって何? 気になるんだけど」

「カイトの香り」

 酷く焦った。試合後に制汗剤でケアしたとはいえ、この距離では……。

 静かに俺の背に顔を寄せ、何を思っているのだろう。


 ごめんね。そう聞こえた。


 間もなくセキュアに到着。リアキャリアから降りて、スカートの裾を直す君。

「いつか消えると思うけど」

 一人きりの自転車。ペダルは軽やかに進むけど、物足りなさを感じるのは、どうして。

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