日常の綻び

 白芽と霞、僕は二人の眷属となることを決めた。それがたとえ、言葉を変えただけの二股関係であろうと僕は後悔をしていない。これからもその関係を続けていくつもりだ。しかし、とは言ったものの……


 「はむっ……まだ、駄目」


 「ちょっ、ちょっと? もう10日以上も連続だよ? これ以上吸ったら……」


 「大丈夫、死にはしないから」


 「それは大丈夫って言わないよ!」


 こんなことになるとは思っていなかった。あれから、二週間ほどが経ったのだが白芽の様子が変化したのだ。その内の一つが、現在行っている吸血行為である。その行動自体は以前からしていたが、問題はその頻度にある。


 今までも貧血ギリギリまで吸われていたとはいえ、それは毎日では無かった。数日に一度くらいの頻度で、僕の体調を考慮したものだったのだ。それが今は、霞の家に泊まった日から毎日吸われている。僕が霞の眷属になったことによる反動なのだろうか。


 問題は、毎日のように血を吸われていたら僕の体が持たないことにある。そのことを白芽に伝えても、「霞に何とかしてもらって」としか言われないのだ。いつの間にか名前を呼ぶようになっていて、そこは嬉しい限りではある。だが、あまり霞を頼りたくないのが正直な所だ。


 それは、別に霞が嫌いだとか鬱陶しいだとか思っている訳では無い。白芽も霞も僕にとっては大切で、優劣をつけるつもりは無いのだ。けれど、貧血の僕に対する「何とか」が悩みの種なのだ。


 それは白芽の吸血が終わり、学校へ登校した後のことである。


 「えへへ……今日も、お願いしますね?」


 僕は今、学校の授業中に抜け出して霞と会っている。場所は以前霞と話した屋上への扉前だ。今の時間は体育なのだが、霞の都合で通常授業を抜けることもあった。重要なのは、この関係が常習化していることにある。僕は霞の家に泊まった日から、週に数回ほど霞と密会をしていた。


 霞は僕が来るとにっこり笑って、その笑顔とは不釣り合いなものを取り出した。それは、何故か彼女が常備しているナイフだった。霞はそれを使って自分の指先を切り裂くと、それを口に含んだ。


 「んんー? ふぇんぱぁーい?」


 「ご、ごめん。じゃあ、行くよ?」


 僕はそのまま、霞とキスをした。白芽としたような、舌まで入れてしまう激しいもの。どんどん絡まる唾液に混じって、霞の血が僕の体内に含まれていく。そこに不快感は無く、ただ体の火照りのみが残るだけだった。


 「ぷはぁ……うへへ、先輩とのキス嬉しいです」


 「ねぇ……これ、ほんとに口移しじゃないと駄目なの?」


 僕がこの行為に疑問を持つ点は、霞の血液の摂取方法だ。白芽の吸血に耐えるため、僕には増血作用がある霞の血を飲む、というのは理解できる。だが、どうしてこの立ち入り禁止の場所で、しかも口移しで血を流し込むのかよく分からないのだ。


 「も、もももちろんですよっ! 先輩の唾液と絡めないと、効果が無いんです! 決して、先輩とキスするための口実なんかじゃ無いんですからねっ!」


 「……嘘じゃない? ちゃんと正直に言えば、これからもこの方法でやっても良いよ」


 「……! えっっと……その……」


 僕がこの方法について追及すると、霞は毎回慌てるのだ。それに、白芽の反応も気にかかった。いくら霞の眷属になることを認めてくれたとはいえ、僕が霞と必要以上の接触をすることは白芽にとってあまり面白くないだろう。なのに、この密会の存在を知っておきながら放置している。上書きと言って同じようなこともしない。


 今日で五回目のキス、僕はついにその問題に切り込むのだった。もちろん、これが嘘ならば今後口移しはしないし、白芽にも報告する。考え込む霞を見ながら、そう考えた。それから2分ほどして、霞はその口を開いた。


 「嘘じゃないです……でも、絶対に口移しじゃないと駄目って訳でもありません。効果は落ちますが、私の体から流れ出たものを飲んでも、効果はあります」


 俯きながらそう霞は言った。なるほど、自分の欲求を満たすとともに、僕の体調を考えてのことだったのか。そういうことなら、僕が霞を責める理由は全くなかった。


 「何だ、じゃあ霞がしたいからしてた訳じゃないんだ。そういうのは、早く言ってよ」


 「さ、最初に言ったじゃないですか……! キスをするのは、必要なことだって……!」


 僕はそれを、霞に必要だからキスをしたいのではと思ったのだ。随分と挙動不審になりながらその説明をしていたので、つい勘ぐってしまった。そういうことなら、僕も異論はない。


 「ちょっと恥ずかしいけど、これも必要なことだしね。これからも、霞が良ければこのままでお願いするよ」


 「っ! はい! 私も先輩の健康のため、頑張ります!」


 霞の血を飲んだおかげか、貧血の症状が治まってきた。あまりにも即効性なので、何か副作用なものが無いかと思うのだ、特にないらしい。強いて言うなら結びつきが強くなるとのことだが、それは一体どういうことなのだろう? まぁ、霞との仲が深まると言う意味では合っていると思うが。


 「あのー……、私の個人的なお願いなんですけど、聞いてもらって良いですか?」


 「ん? どうしたの?」


 すると、赤い顔をした霞からお願いをされた。普段ならチャイムが鳴るまで会話するか、お互いの教室に戻るかだったのだが、一体どうしたのだろう。


 「その、ぎゅってしてください。先輩の愛を、私も欲しいです」


 「良いよ。霞には最近お世話になってるしね」


 霞はまだ遠慮があり、白芽なら真顔で言うことも顔を赤らめながら言うのでとても可愛い。白芽のあの毅然とした態度が、僕と触れ合っている間だけ緩むのも良いのだが、こういう純粋なものも大好物だ。出来るだけ優しく、霞を覆っていく。


 「ふぁ……そのまま、頭撫でながら褒めてください」


 「今日はどうしたの? 随分積極的だけど」


 「私からアピールしないと、先輩は白芽さんばっかり可愛がるじゃないですか。キスだって、白芽さんには毎日してるんでしょ?」


 「そんなことないって。白芽が求めてきたときだけだよ」


 白芽はキスよりも、僕の血を飲む方が好きだ。後、僕のメンタル的な問題もある。あまり何度も白芽と口を合わせると、僕の理性が持たない。白芽が暴走した時に、僕が止められない状況になるのは不味いのだ。だから、血を飲むかキスするかのどちらかを選ばせている。とは言っても、大抵血を飲むのだから意味は殆どない。


 「ふふっ……じゃあ、私が先輩の口を占領してるんですか?」


 「そうだよ。この事、白芽に言っちゃだめだよ?」


 「言いませんよ……白芽さんは怒ると怖いんですもん」


 それを聞いたら、どちらかではなくどちらもやることになる。それは良くない。キスだって、美幸さんとの約束に抵触ラインギリギリなのだ。そう毎日ちゅっちゅしていたらアウトだろう。


 「今だけは、先輩は私の……私だけの眷属かみさまです。だから、目一杯愛してください」


 霞のことを抱きしめると、彼女の香りが鼻をくすぐってくる。白芽の物とはまた違う、安心感のある匂い。白芽が良い匂いだとすると、霞の方は安心する匂いだ。共通する点は、どれだけ嗅いでも飽きることの無いと言うことだ。


 「う……ん。手つき、やらしいですよ」


 「霞の髪が綺麗なのがいけないんだよ。こんなの、やらしくもなる」


 白芽の髪とは真反対の黒、しかし彼女の髪にも負けない艶やかさがそこにはあった。あの完璧とも思える銀色の長髪を触り慣れている僕でも、思わず夢中になってしまう触り心地。白芽が絹だとすると、こちらはリネンと言ったところだろうか。何度も触りたくなる、中毒性のようなものがあった。


 「先輩に包まれながら頭撫でて貰うの、私の夢だったんですよ」


 「こんなことで良いなら、毎日でもするよ。霞の髪、とっても綺麗だからね」


 「もう……! そんなこと言われたら、もっと好きになっちゃいます……!」


 大変なことは大変だ。僕がしていることは道徳的に言えば間違っているし、時代錯誤な行為だ。白芽と霞の想いは日に日に重さを増しているし、それを受け止め続けるのも一筋縄ではいかない。けれど、それ以上に彼女たちが幸せそうにしていることが、何より嬉しい。


 だから、僕はこれからも白芽と霞を愛し続ける。そう誓うのだった。結局、チャイムが鳴るまで僕たちは抱きつき合っていた。傍から見れば、ただのカップルのようだっただろう。名残惜しそうに離れる霞と別れ、僕は自分の教室に向かった。


 この別館だけ、時間が止まっているかのような静けさだった。遠くを見れば生徒らしき存在は視認できるのに、こちらにはその賑やかさが全く感じられない。何だかこの空間に自分しかいないような気がして、僕は鼻歌を歌いながら渡り廊下を通った。


 別館から本館にまで戻るには、必ずこの道を通らなくてはいけない。均等に並んだ窓から光が差し込む道を、誰もいないことをいいことに真ん中を歩く。


 「こんにちは、励君」


 「えっ?」


 だから、視界の死角に居た存在に全く気付かなかった。声をかけられて、咄嗟にそこを振り向く。そこには、微笑みながらこちらを向く蓬莱先輩がいた。


 「あれ? 先輩、こんな所で何をして……」


 「それはこちらのセリフです。どうしてこの時間に、励君が別館に居るんですか?」


 ドキリとした。確かに、チャイムが鳴ったばかりの今、僕が別館から歩いてくるのはおかしい。こっちの方に授業をするような教室は無いし、部室だって帰宅部の僕には縁のない話だ。背中につうっと汗が伝うような気がして、心臓の鼓動が早くなってきた。


 「僕はちょっとこっちに用があって。あっ、先輩はどうしてここに?」


 「少し見回りです。実は最近、立ち入り禁止の場所に入り浸る生徒がいるらしいと、聞いたものですから」


 それを聞いて、思わず体が反応してしまった。大いに心当たりのある話だ、ついさっきまで僕がそこにいたのだから。今ここで霞が来るほど、苦しいことは無い。霞も、わざわざ外から回らない限りはこの通路は絶対に通ることになる。ならば、僕がすべきことは一刻も早く先輩をどかすことだ。


 「そうなんですか。でも、こっちには誰も居ませんでしたよ? もうすぐ予鈴もなりますし、先輩も教室に戻った方が良いですって」


 「そうですね。これ以上ここに居たら、次の時間に間に合わなくなってしまいます。ですがその前に、少し耳を貸してもらえますか?」


 「はい? なんでしょ……」


 僕は蓬莱先輩をここから動かすことに夢中で、彼女の表情など全く見えていなかったのだ。普段の蓬莱先輩と様子が違うと分かれば、少しは対策も出来たかもしれないのに。


 「後輩とまぐわいごっこをするのは、楽しかったですか?」


 「っ!!!」


 僕に白芽のようなポーカーフェイスがあれば、まだ誤魔化しようがあったかもしれない。けれど、僕にそんな特技は無く、あからさまに顔へ出てしまった。蓬莱先輩はそれを見て、くすりと笑ってこう続けた。


 「橘霞さん……でしたっけ。確か入学生代表の方ですよね、噂だと学力調査で文句なしのトップだって有名ですよ? そんな子と励君が知り合い、どころか不純な関係だなんて知りませんでした」


 「ち、ちがっ……」


 「違わないでしょう? だって、こんなものも撮れちゃったんですから」


 そこには、霞と僕が抱き合っている写真があった。上から見下ろすように撮影されたそれは、明らかにカメラが仕掛けられていた。本当に僕は愚かだ。あの場所での危険性に気付いていながら、それを今まで無視していたのだから。


 「新入生がいたずらで入り込んでいるだけなら、注意するだけで済まそうと思ってたんです。それがまさか励君だなんて……私はショックですよ」


 「……どうして、それをわざわざ見せに来たんですか?」


 証拠まで突きつけられ、僕にはなすすべがない。だが、蓬莱先輩の目的はどこか違う場所にある気がした。僕はそこに希望を託す以外の道筋が見えなかった。


 「話が早くて助かります。今日の放課後、ここに来てください。そこで、詳しいお話をしましょうね。逃げたら、どうなるか分かるでしょ?」


 「はい……必ず行きます」


 「ふふっ……素直でよろしいです。では、また放課後」


 そういって蓬莱先輩は去っていった。僕に残されたのは、脅迫写真とやり切れない感情だけだった。


-------


 「あっ! もうー、どこに行ってたのぉー!」


 うるさい、黙れ。お前たちに構っている暇は無いんだ。これ以上私をイラつかせるんじゃない。クラスメイトというだけのただの他人が、私に気安く喋りかけるな。反吐が出る。


 「すいません。少し保健室に行っていました」


 「えぇー!!! 大丈夫? 言ってくれたら、私もついていったのに!!!」


 どれほど心の奥底が煮えくり返っていようと、私の仮面を破ることは無い。皆が憧れる、皆が望む優等生の仮面を被り続けるだけだ。それに気付くようなものは、ここに居ない。当然だ、私だってつい最近まで感情の出し方が分からなかったのだから。


 ようやく、見つけたのだ。私の心を揺れ動かす存在を。私が渇望し続けた、私の運命の人を。それをあいつらが、勝手に穢した。許せない、あの吸血鬼どもも励君も。


 もう我慢は必要ない。私は私の目的のために、行動するだけだ。これほどまでに苛立ったのは初めてのことなのだ。自分でもどうなるのか分からない。最悪、励君を壊してしまうかもしれない。


 あぁけど、それも良いか。もし、彼が毒され切っていたなら廃人にしてしまおう。その後は私専用の眷属たべものとして飼ってあげればいい。毎日彼の肉を削いで、血を絞って、死ぬギリギリまで飼殺す。もちろん、失敗は絶対にしない。老衰で死ぬまで監禁してあげよう。


 残虐な妄想をしながらも、その手も顔も一切淀みなく動き続ける。本当に厄介な体だ。だが、便利でもある。誰も私を最低の人格破綻者だと分からないからだ。今までも、これからも私は誰にも気づかれずに死んでいく。


 願わくば、彼こそが運命の人であって欲しい。違うとしても、私のために運命の人になって欲しい。私に食べられることを至上の喜びとする、私と同じ異常者になって欲しい。


 放課後がこれほど待ち遠しいのは初めてのことだ。彼は沢山の初めてを私にくれる。だから、今日も私をこれまで以上に楽しませてほしい。私はピクリとも動かない皮膚の下で、おぞましい欲望を発露させるのだった。

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