第95話 レウィナス一家との出会い◆

 獣人の娘が目を開けたのは、シェイムズが応急手当を施してから、一晩経った次の日のことだった。


 差し込む朝日に照らされて彼女が目覚めると、見たことのない豪華なベットに、絨毯じゅうたんや家具の置かれた広い部屋を見て目を丸くした。自分が住んでいる木造りの粗末な掘っ立て小屋とは全く違うことに驚いてしまったのだ。


 そして彼女は、自分の寝ているベッドの横で、もう一人、床に膝を突いたままベッドの上に頭を埋めてぐっすり眠っている少女の存在に気付く。


 おそらく、自分が眠っている間、一晩中ここで涙を流していたのだろう。着替えもせず、格好は以前会った時のままで、彼女の目は真っ赤に腫れていた。


 やがて、その少女は薄っすらと目を開くと、体を起こしてこちらを見ている獣人の娘に気付き、パァッと顔を明るくして声を上げた。


「おはよう! 良かったぁ!」


 獣人の娘が起きたことに喜んだラビは、靴を脱ぐことも忘れてベッドの上に飛び乗った。


「傷は大丈夫? まだ痛くない?」


 そう問いかけられ、彼女はハッとして掛けられたシーツを上げて見ると、自分の体の至る所に、白い包帯が巻かれていた。


「わ、私は、助けられたのか……」


 そう独り言ちる彼女に向かって、ベッドの上でアヒル座りするラビが、むっと頬を膨らませて言った。


「もうあんな無茶なこと、絶対にしないで! 今度またやったら、めっ! ですからねっ」

「なっ……お、お前が言えたことか⁉」


 獣人の娘が赤くなってそう言い返す。ラビは、彼女の元気になった姿を見て顔を綻ばせ、ベッドの前に手を差し出した。


「私、ラビリスタ・S《シャロ》・レウィナス! みんな、私のことをラビって呼ぶわ。あなたのお名前を聞かせて!」

「……私は、ポーラ。ポーラ・アルテマ」

「ポーラちゃんね! よろしく!」

「ちゃ……『ちゃん』付けするな! これでも私の方が年上なんだぞ……」


 目を背けてしまうポーラにお構いなく、ラビは彼女の包帯だらけの手をそっと握ると、痛くないように優しく握ってあげた。


 これが、このヴェルデシア世界で初めて、人間と白熊族とが互いに手を取り合った歴史的瞬間だったとは、一体誰が想像しただろう?


「……お前は私を軽蔑けいべつしないのか? この白い髪を見れば、自分が白熊族であることなど一目瞭然なのに――」


 ポーラの問いかけに、ラビは首を傾げた。


「ケイベツって、何? 私難しい言葉、よく分からないけれど、私はポーラちゃんのこと嫌いじゃないわ。助けてもらったのに、どうして嫌いにならなきゃいけないの?」


 逆に問いを返されて、ポーラは目を丸くして言葉を詰まらせてしまう。そして同時に、彼女の持つ汚れのない純粋な優しさに、心を打たれていたのだった。


 ――と、その時、部屋の扉が開いて、ラビの両親が中に入って来る。


「あら、もうお目覚めになられたのね。……ラビったら、その子のことを心配するのは良いけれど、靴のままベッドに上がらないでちょうだい」

「あっ……ごめんなさい、お母様」


 ラビはすごすごとベッドの上から降りる。


「あなたの話はラビから聞いています。私たちの娘を危険な獣たちから救ってくれたと。……本当に、感謝の言葉しかありません」

「い、いえ、私はその……」


 戸惑いを見せるポーラに、ラビの母はにこりと微笑み、「傷が痛むようであれば言ってくださいね」と優しく声をかけた。


「ふむ……君はどうやら獣人のようだが、私がこれまで見てきた獣人の中でも初めて見る種類のようだね。君たちは一体どんな種族なのかな?」


 頭から覗いた獣の耳を見て、レウィナス家の主であるシェイムズがそう言うと、ポーラは少し戸惑いながらも、自分たちのこと――白熊族についての情報を、彼に語って聞かせた。この大陸にしか住んでいない少数族であること、女性は生まれた時から戦士として育てられること。そして、人間たちからは忌み嫌われ、今は皆人目に付かない森の中で密かに暮らしていること、などなど。


 けれど、話したところで、この人たちもきっと、私たちの種族のことを分かってはくれないだろう。ポーラはそう思っていた。これまでだってそうだった。白熊族の話を聞いた誰もが、蔑んだ目で自分たちを見て、獣人だと分かった途端に、自分たちを動物のように扱うやからもいた。だから――


 そんな結末を覚悟してポーラが話し終えると、椅子に座って聞いていたシェイムズは、膝を打って立ち上がり、目を輝かせながらこう言ったのである。


「驚いた! 我が領内の大陸に、まだ交流の無い異種族が住んでいたとは! 君が話してくれた種族独自の文化も、なかなか興味深くて面白いね。……だが、いくら少数で、文化が他と違って少し特殊だからと言って、差別される理由にはならないはずだ。私は、君たちの力になりたい。君の仲間や一族たちとも、ぜひ一度会って話をしてみたいな」


 ポーラはまたまた驚いてしまった。自分の種族についての話を、ここまで興味津々になって聞き、同情の意まで示してくれた人間を、彼女はこれまで見たことがなかったのだ。


 そんな心の広い一家のおさを前にして、ポーラは感動のあまり言葉を失った。これまで、白熊族だと知られた途端に石を投げられ、罵倒され続けてきた彼女にとって、自分たちのことを理解してくれる人間がまだここに居てくれたことに、喜びを隠しきれなかった。


 そうして、気付けば彼女の目からは、一筋の涙がこぼれていた。小さい頃に教えられた白熊族戦士の教えで、「涙は弱者か敗者しか流さない」という格言があったが、敗者の流す涙とは違って、心はすさむどころか、温かい何かに包まれていくようで、異様な安心感に包まれていた。


「あっ、傷が痛むの? お母様、ポーラちゃん、まだ痛がってるみたいよ」


 涙するポーラを見て、心配そうに母親の着るドレスの裾を引っ張るラビ。


「ち、ちがっ……この涙は、そんなのじゃなくて……」


 涙を流しながらも強がろうとするポーラ。この短時間ですっかり仲良くなってしまった二人を見て、シェイムズとその妻はほほえましい表情を浮かべていた。


 ――こうして、人間と白熊族との融和対策は、一人の貧しい獣人少女と、心優しい一家の出会いから始まったのだった。

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