第14話 お前に選択肢を二つやる

 それから、恐竜親子がお腹一杯にして湖の底へ帰っていくと、俺の船にただ一人残された少女は、少し不安そうに片手を胸に当てながら、尋ねてくる。


「ねぇ……あなたは、本当に幽霊船なの?」

『あぁ? それはアイツらが勝手にそう決め付けてただけだろ。……ま、こんな辺鄙へんぴなところにどこの国籍かも分からない無人の船が浮かんでいれば、誰だって幽霊船だと怪しんで当然だと思うけどな』


 俺は適当にそう返事を返しておく。


「……もし幽霊船なら、私も呪い殺すの? 私を殺して船員名簿に名前を加えて、呪いで死体を操って、体が腐り果てるまでここで働かせるの?」


 少女の問いに、俺はあきれてしまう。高貴な貴族のお嬢様が、一体どうすればそんなえげつない妄想を思い付けるんだ……


 しかし、俺の船に乗っているということは、この先彼女をどうしようと俺の勝手な訳なのだが――


『……ふん、俺にそんな力なんかねぇよ。今の俺は、誰かの手を借りなきゃ何もできないただのボロ船だ。これでも一応魔導船だから、お前を家まで運んでやることもできたんだろうが、あいにく俺には空を飛ぶだけの力もないし、何より錨が下りたままじゃ、ここから動くこともできない。おまけに、俺の船には乗組員が誰もいないから、錨を上げてくれる奴も、帆を張ってくれる奴もいない』

「えっ……ってことは、あなたは今までずっと、この湖に一人でいたの?」

『ああ、そうだな。……だから悪いが、帰るんなら湖を泳いで陸地まで行くことだ。そうして運よくどこかの町か村にたどり着ければ、家に帰る手立ても見つかるだろうさ』


 「この船で働かなきゃお前を呪い殺す」と脅して、この船を飛ばせるようにするための駒として、彼女をこき使うこともできただろう。だけど相手は女だし、まだ子どもだ。そんな奴を一人乗せて働かせたところで、このデカい船を動かせる訳がない。俺が飛ぶ前に、彼女の方が重労働に耐えきれず倒れてしまうだろう。


 けれども少女は俺の言葉に対し、首を横に振って答えた。


「……それは無理。湖があるこの小大陸には、人の住む町や村なんか無いって、商人たちが言っていたのを聞いたわ。……それに――」


 少女はそこまで言って、急に言葉を詰まらせる。何か嫌なことでも思い出したかのように、胸に当てた手をギュッときつく握りしめた。


「それに、たとえ戻れたとしても、もう私の帰る家はどこにもないから………」


 胸を抑えながら口にした彼女の言葉を聞いて、俺はあの商人が、奴隷について語っていたときの言葉を思い出した。


「貴族同士のいさかいに巻き込まれて一族を根絶やしにされた、哀れな――」


 なるほど、何かあるだろうとは思っていたけど、色々と複雑な事情を抱えていそうだ。


『……お前、元々は一国の領主の娘か何かだろ? 商人がそう話してたのを聞いたぜ。貴族同士の争いに巻き込まれて国を滅ぼされた、哀れな姫君だってな』


 少女は胸にチクリと刺す痛みを耐えるように歯噛みしながら、着ているキャミソールの裾を両手で強くつかんだ。


「……そう。でも、領主だったお父様もお母様も……みんな殺されて、私一人だけ生き残ったの。土地は全て乗っ取られて、私の帰るべき場所は失われた。だから今戻っても、きっとまた奴隷に戻されるか、殺されるしかない」


 少女はそう言って顔をうつむけた。彼女の足元の床に、ぽつぽつと水滴が落ちてゆく。


 静かに肩を震わせて泣いているその少女を、俺は黙って見ていた。ここでなぐさめや同情の言葉をかけることもできたのだろうが、そんなことをする奴は馬鹿だと俺は思った。彼女は家族を皆殺しにされたのだ。それだけの深い傷を負った今、どんなに易しい言葉を掛けたところで、彼女の心の傷がえることはないだろう。


 それに、俺は涙を見るのが嫌いだった。俺にとって涙が思い出させるのは、この世界へ転生される前の胸糞悪い記憶しかないからだ。――かつての、弱々しくて情けない自分の姿を、思い出してしまうから。


(ちっ、クソッタレめ………)


 心底から湧き上がってくる怒りが、果たして泣いている少女に対して向けられたものなのか、それとも、かつての弱かった俺自身に向けられたものなのか、よく分からなくなっていた。


『――おい、お前』


 ……俺は溜め息を吐いて、泣いている少女に声をかける。少女は涙で濡れた顔を上げて、上目遣いで俺を見た。


 情け――とまでは言わないが、これから先どうするか、「選択肢」を与えることくらいはしてやろうと、俺は思った。


『お前に選択肢を二つやる。一つは、ここで他の船が来るのを待って助けてもらう。ただし、その場合は俺の船から降りてもらう。お前一人で、食べ物も水も寝る場所も全部そろえろ。お前一人だけで生きていくんだ。運が良ければ、生きているうちに通りかかったどこかの船がお前を見つけてくれるだろうよ』


 『お前一人で全部できれば、の話だがな』と言葉を付け足す。


『そしてもう一つは――俺のもとで、乗組員として働くか、だ。もしこっちを選ぶなら、俺がお前をこの船の乗組員として認めてやる。夜は俺の中で寝ていいし、衣食住の面倒もある程度は見てやるよ』


 『ただし――』と、こちらも言葉を付け足す。


『俺もいい加減、ここから出たいと思ってるんだ。俺が魔導船として飛べるよう、お前にはせいぜい働いてもらう。かなりキツい重労働だって、俺は平気で押し付ける。本来なら男百人くらいいてやっと動かせるようなデカブツだ。お前一人だけで俺を動かすのは無理かもしれない。お前の体が持たないかもしれない。それでもいいというのなら、だが』


 少女は俺の提示した二択を聞いて、しばらくの間、選択に悩んでいるようだった。どちらを選ぶにせよ、少女がそれだけの試練に耐えられるかどうか、それにかかっていた。もしそうでなければ、どちらを選んでも彼女を待ち受けるのは死のみだ。


 少女はしばらく黙り込んだ後、意を決したのか、涙を拭いてその顔を上げる。少女の吸い込まれそうなほどに美しい碧眼へきがんが、俺の視線と交わった。


「………この船で、働かせてください」

『いいのか? かなりの重労働を毎日やることになるぞ。後で変更は効かないからな』

「雑用でも何でもやります。……だから、ここで働かせてください」


 俺は少女の目をじっと見た。その青い瞳は無垢に輝いていて、真っ直ぐで、いつわりや迷いなど微塵も感じさせなかった。


(………仕方ないか)


 なにせ俺が最初に言い出したことだ。彼女の決めた選択に、俺も責任を持つべきだろう。


『……お前、名前は?』

「あっ……」


 少女は、自分がまだ名前を伝えていないことに気付くと、貴族らしくかしこまって背筋を伸ばし、胸に手を当てて自己紹介した。


「私の名前は、ラビリスタ・Sシャロ・レウィナス。両親は私のことを『ラビ』と呼んでいました」

『よし、ならラビ。お前をこの船の乗組員として認める。これからよろしく頼む』

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」


 こうして俺は、乗組員の最初の一人を勧誘することに成功したのだった。

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