四 : 思いと思い(1)-前進あるのみ
天正四年五月七日。河内若江城を発った織田勢三千は、天王寺砦を囲む門徒勢に襲い掛かった。
先陣は佐久間信盛・松永久秀・細川藤孝・若江衆、第二陣に滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・稲葉一鉄等、第三陣は信長の馬廻衆等。先陣は摂津近隣の武将、第二陣は救援に駆け付けた者、第三陣は総大将信長直属の軍という構成だったが……。
「行けー!! 押して、押して、押しまくれー!!」
総大将である信長は僅かばかりの供廻りだけ連れ、最前線の松永久秀の陣に混じって指揮を執っていた。刀を振り翳し、声を嗄らしながら味方を叱咤するこの人物が天下人織田信長だと雑兵達は思いもしないだろう。ただ、火の玉のように攻め掛かる信長の勢いに釣られるように、全軍の士気は極めて高かった。
それに加え、門徒勢は織田方の動きを察知していなかった様子で、突如現れた織田勢に対して明らかに動揺していた。その隙へ付け入るように、信長は畳み掛けるべく味方を督戦する。織田勢の激しい攻めに、門徒勢は不意を突かれたこともあり防戦一方だった。
織田勢の鉄砲が火を噴くと門徒勢の兵がバタバタと倒れ、その様を目の当たりにした他の兵の足が止まっている所に織田勢の長槍部隊が立ち竦んでいる兵を貫き、叩いていく。戦国時代の槍の長さは大体二間半(約四・五メートル)だったのに対し、織田方の長槍は三間(約五・四メートル)から三間半(約六・三メートル)あり、これは信長の一存で変更されていた。
信長公記にこういう記述がある。
――其の折節、竹
要約すれば『ある時、(信長は)竹槍での叩き合い(試合)を見ていると、「槍が短いのは勝手が悪い」と言い、三間または三間半にした』という感じだ。信長がまだ“うつけ”と呼ばれていた頃、家臣の若い衆や近所の若者と一緒になって合戦ごっこに明け暮れていた時の経験が活かされていた。尾張の兵は周辺諸国と比べて特に弱いとされ、その中でも如何に強くするかという信長独自の創意工夫が反映されていた。
織田勢の遮二無二の攻めに、数で優位に立っている筈の門徒勢は明らかに押し込まれていた。それでも、信長は内心焦りに駆られていた。
(今、十兵衛を失えば、天下布武の達成が十年は遅れることとなろう。さらなる高みへ上るか転げ落ちるかは全てこの一戦に懸かっている。損害覚悟で攻めて、攻めて、攻めるしか方法は無いのだ)
幸い、兵達の士気は
明智・佐久間の両勢が籠もる天王寺砦まで、まだ距離がある。その間に埋め尽くした門徒勢を追い払わない限り、信長は息つく暇もなかった。
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