三 : 孤立無援(5)-信長の正念場

 五月四日に京を発した信長は、翌五日に僅か百人の兵と共に河内若江城に入り、各将の到着を待つこととした。

 本願寺攻めを任せていた塙直政が討死、さらに重臣・明智光秀が一万を超える敵勢に包囲され窮地に陥っている状況に一刻の猶予も許されないと判断した信長は直ちに出陣を決断、近隣の諸将に緊急の動員令を発して急ぎ参集するよう呼び掛けた。近年、信長は予め大軍勢を用意してから出陣していたが、今回のように兵が揃っていない中で迅速かつ不確定要素が多い中での出陣はここ数年では例がなかった。

 信長の動員令に応じて、播磨で毛利攻めの準備をしていた羽柴秀吉や、安土城築城の監督をしていた丹羽長秀、伊勢の滝川一益、大和の松永久秀、さらに戦力補充の為に尾張へ戻っていた佐久間信盛など、錚々そうそうたる面々が若江城に集結した。ただ、緊急の動員令で取る物も取り敢えず駆け付けた者がほとんどで、連れて来た兵も百人二百人に留まった。

 翌六日も各地から軍勢が到着したが、それでも全て合わせて三千程度に過ぎなかった。織田家主力の岐阜・織田信忠や越前の柴田勝家に至っては到着の目途すら立っていなかった。

 そうした状況の中、信長は諸将を集めて軍議を開いた。

「……天王寺砦から、『あと数日、持ちこたえられるか難しい』と報せが届いている」

 信長は険しい表情で告げるが、居並ぶ諸将から反応は無い。

 これだけ急に戦端が開かれるとは想像していなかった為、天王寺砦の兵糧や弾薬の備蓄は充分ではなかった。特に、度重なる攻防戦で弾薬や矢の消耗は激しく、このままの状態が続けば遠くない日に底をついてしまう。今は砦に籠もる味方が奮闘していることで持ち堪えている状況だが、弾薬や矢が尽きてしまえばそれまでだ。

「されど、我等の手勢は三千程度。万を超える本願寺勢が相手ではいささか分が悪うございます。日を追う毎に遅れていた兵も加わっておりますので、もう数日待たれては……?」

 最前列に座る筆頭家老格の佐久間“右衛門尉”信盛がおずおずと発言する。

「なれば、お主は我が子がむざむざと殺されていく様を黙って見ているだけでいいと思うのか?」

 信長が鋭い眼光で睨み据えると、信盛はグッと言葉を詰まらせる。信盛の嫡男・信栄は今も守将として天王寺砦で戦っている。窮地にある我が子を一刻も早く救い出したいと思うのが親心だろう。

「今も懸命に戦っている連中を、俺は見捨てたりしない。明日、数が揃わずとも仕掛ける。皆、支度を怠るなよ」

 信長が堂々と宣言すると、皆一同にこうべを垂れた。一度こうと決めたら頑として譲らない信長の性格を皆熟知しており、それ以上の発言は出なかった。

 続々と諸将が下がっていく中、松永久秀は最後までその場に残り、信長の方を一礼してから去っていった。

(……弾正、笑っていたな)

 軍議の時から秘かに気になっていた。一様に険しい表情を浮かべる中、久秀一人だけは俯いていたが確かに笑っていた。他の者は戦況を表した絵図を食い入るように見つめるか、信長の顔色を窺う者ばかりなのに、強張った諸将の様子を眺めて楽しんでいるようだった。

 久秀の笑顔に何か意味があるのではないかと、妙に引っかかる。

 久秀の悪行は“将軍殺害”や“東大寺焼き討ち”など、枚挙に暇がない。現に、五年前には信長に反旗をひるがした前科がある。一方で、元亀元年に金ヶ崎からの撤退時には危険を顧みず向背定かでない朽木元網の説得を買って出たし、元亀年間の一番苦しい時期は献身的に織田家を支えてくれた。主が弱っていれば平気で寝首をくのが久秀だが、それでいて窮地にある主を見捨てない一面もあるから不思議な男だ。

 味方の危機にいち早くせ参じた裏で本願寺方と通じる……なんて事も十分に考えられる。思えば、久秀が若江城に三百の兵を連れて現れたのは五日の夜。大和信貴山城から駆け付けたとしても些か早いし、連れて来た兵が他の諸将より多い三百というのも気になる。あまりの段取りの良さに、久秀はこうなる事を予め想定していたのか?

 そこまで考えて、信長は疑念を払うように頭を振った。確証が無い事にとらわれては物事の本質を見誤る。絵図を手元に引き寄せ、改めて目を落とす。

 天王寺砦に籠もる明智・佐久間の両勢は合わせて三千、若江城に駆け付けた兵も三千。対して、天王寺砦を囲む本願寺勢は一万。斥候の報告では一万五千とも。天王寺砦の味方を救い出すには五倍の相手に挑まなければならない計算だ。あまりに無謀な賭けで信盛が止めようとするのも無理はない。

 しかし、悠長に構えていられない程に事態は切迫していた。

 数で圧倒する本願寺勢を相手に天王寺砦を守る明智・佐久間の両勢は本当によく耐えてくれている。だが、それもいつまで保つか分からない。先日の戦で直政が討死したのも痛手だが、織田家の重臣である光秀を目の前で失う事になれば、天下人の面目に傷が付いてしまう。厳しいと分かっていてもやるしかないのだ。

(……ここまで厳しい戦いに臨むのは、いつ以来だろうか)

 信長が戦に臨むのは大なり小なり“勝てる”と思った時で、それ以外の時は極力戦を避けるように努めていた。全く勝ちが見通せず戦に臨んだのは、永禄三年に奇蹟的大勝利を収めた桶狭間の戦い以来か。

 今川の侵攻に怯えていたあの頃から、織田家は比べ物にならないくらいに強く大きくなった。四方八方を敵に囲まれ、西に東に振り回され、有能な家臣を数多く見殺しにしたが、苦難を乗り越えたことで織田家は逞しくなった。……それなのに、今もまた少ない兵で遥かに上回る数の相手に挑まなければならないとは、夢にも思っていなかった。

 乾坤一擲けんこんいってきの大勝負に勝ってから、俺は戦のやり方を変えた。それまではこちらが多少の劣勢でも相手が応戦する準備が整う前に一気呵成で押し切ることもあったが、桶狭間の戦いの後は用意周到に勝てる準備を整えてから戦に臨むようになった。状況の変化に応じて迅速に動くこともあったが、あくまで“勝てる”と自信を持ってから行動していた。今川義元を討ち取ったあの時から十六年。何万の兵を率いて出陣する身にまでなったのに、勝てるかどうか分からない博打のような戦に再び臨まなければならないとは、何たる皮肉か。

 ふと、自分がくつくつと笑っていることに気付いた。

(……そうだよな。笑うしかないよな)

 呼び掛ければ数万の兵を動かすことが出来て、周りから天下様上様と呼ばれる所まで上ってきたのに、尾張一国すらまとめられなかった頃と同じことで悩んでいる。……俺も少々勘違いしていたようだ。

 開き直ると、気持ちが幾分か軽くなったように感じた。決戦を明日に控えた信長の表情に悲壮感は微塵も滲んでいなかった。

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