一 : 絡み合う思惑(9)-顕如の右腕
翌朝。孫一の姿は本願寺の境内の外にあった。
石山本願寺の建物自体はそれ程大きなものではないが、門前町や門徒達が暮らす居住地などをぐるりと塀を巡らせる
孫一が連れて来た雑賀衆の兵達も惣構えの一角を間借りして宿所を建てたり鉄砲の訓練場を設けたりしていたが、孫一が目指すのはそこではない。
孫一が向かったのは、本願寺から程近くにある荒れ地。そこに居たのは――大勢の門徒達。等間隔に並んでいる光景は圧巻の一言に尽きる。皆一様に竹槍を握り、整然と立っている。
門徒達の前方には櫓が組まれ、その上に一人の男が仁王立ちしている。黒の法衣をたすき掛けにし、剃髪した長身の男は腕組みして眼下の門徒達を見据えている。
「始め!!」
櫓の上の男が大声で叫ぶと、門徒達が一斉に竹槍を構えて突き始めた。
「えい!!」
「やぁ!!」
櫓の下に居る者が叩く太鼓の音に合わせて、皆が揃って槍を繰り出す。その中を作務衣の僧兵が見回って、目の付いた者を指導していく。
「精が出ますな」
梯子を上った孫一が櫓の上に居た男に声を掛けた。すると、それまで訓練の様子を見守っていた男が振り返る。
「おぉ! これはこれは、孫一様ではありませぬか!」
腹に響くような
この男の名は、
「決戦の日も間近に迫っているのを門徒達も感じているのでしょう。槍の稽古をすると呼び掛けたらこれだけの人数が集まりました! 顕如様もきっと喜ばれることでしょう!!」
一人興奮気味に語る頼廉に、
「
天に向かい叫ぶと頼廉は合掌した。その様子を黙って見ていた孫一は複雑な表情をしていた。
この頼廉という男、有能であることに間違いはないが、少々盲目と言うか……ある種狂信的な一面を有していた。御仏の存在を信じて疑わず、本願寺を敵視する信長に対抗心を剥き出しにしていた。
一方の孫一は……本願寺方に属していたが真宗の教えに傾倒している訳ではなく、どちらかと言えば現実主義に近かった。自らの腕だけが頼りの生活を長く続けてきた影響が大きいと孫一自身は解釈していた。
「頼廉殿、お話があるのですが……」
「あぁ、失敬。して、話とは?」
孫一が話し掛けると、頼廉は我に返って引き締まった表情で向き直った。
「近々織田方が動く見込みですが、上人様から何か伺っていますか?」
「えぇ、法主様より
「話というのは、その秘策についてだ」
頼廉の話が長くなりそうだったので孫一は途中で遮るように話題を変える。
「……孫一様は、法主様がお考えになった秘策に何か異論でも?」
「上人様の御決めになられた事に異存は無い。だが、相手はあの織田家。一筋縄にはいかないと考えるのが自然」
「ご心配には及びません。我等には御仏の加護がついています。それに――」
そう言うと頼廉は体を半回転させて、両手を広げた。
「畿内を中心に各地から馳せ参じた門徒、その数総勢五万!! 加えて、鉄砲を扱えば天下無双の雑賀衆五千!! これなら成功は約束されたも同然!! 我等の勝利は確実!!」
大きな口を開けてガハハと豪快に笑う頼廉。だが、孫一の表情は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
(……“確実”な勝利なんか、戦場に存在しねぇよ)
心の中で毒づく孫一。朝に言葉を交わしていた同朋が夕方には
(……だが、オレ達の命を繋ぐ門徒衆は捨てがたい)
鉄砲に特化した専門集団である雑賀衆は、前衛を担う門徒衆と切っても切れない関係にあった。発射から再装填が完了するまでの間は無防備な状態を晒すこととなるが、反撃出来ないその間に前衛の門徒衆が体を張って守ってくれるからこそ、孫一達は安心して射撃に専念出来る。雑賀衆が全国に名を馳せるまで有名になったのは、影で支えてくれた名も無き大勢の犠牲があったからだと孫一は思っていた。
多少の劣勢でも怯まず臆さず敵に向かっていく門徒衆は、本当に頼りになる。そしてまた門徒衆も「後ろに強力な援護射撃をしてくれる雑賀衆が控えている」と信じて背中を託してくれる。門徒衆と雑賀衆は互いの憂いを消す、最強の組み合わせだ。
オレは雑賀衆五千の命、いやその家族の分の命も背負っている。一家の大黒柱を戦で失い、残された家族が路頭に迷う事も珍しくない。将兵とその家族の人生が懸かる以上、万全を期したい。
大将の頼廉はちょっと狂信的な部分はあるが、最前線を預かるオレが手綱をしっかり握っていれば問題は無いか。
大勢の門徒達の訓練の掛け声を聞きながら、一人脳内で戦の算段を立てる孫一だった。
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