第3話 不思議な喫茶店のとある一日 ②

 喫茶店の店内は音量が抑えられいるBGMがいやにはっきりと聞こえるほど、重い空気感と沈黙に包まれていた。

 いつもならこの時間は客が少なく、あまり気を遣わなくてもいい祖父の代からの顔馴染みの常連客が来るくらいだ。えりをただして接客をする客が来るまでは、ランチタイムのピーク時と比べると落差のある暇っぷりに、疲労感と空虚さを感じながら、ゆったりと過ごしている時間だ。

 しかし、今日はイレギュラーな事態が起こっている。明乃さんの存在だ。

 明乃さんは相変わらず俯き加減で座っていて、どこか悲壮感や不幸といった負のオーラを放っているように見えた。それが線が細く、どこか幸薄そうな印象を受ける外見だけに起因することでないのは、話を聞かなくても何となく分かってしまう。

 そんな状況なのに、藍子さんもスズも自分は関係ないとばかりにマイペースに飲み物に口をつけたり、ぼんやりとしているばかりだった。

 このまま現状を放置するわけにはいかないので、


「それで明乃さん、今日はどうしたんですか? いつものクリーニングの受け渡しなら、もっと遅い時間に店の裏から来ますよね?」


 事務的とも取れるような会話に明乃さんは眉をピクリと動かした。それから顔を上げ、俺のことを上目遣いに見つめてきた。そして、明乃さんは何かを決心したように大きく息を吐いて、ようやく口を開いた。


「ええ……今日はそのことで相談がありまして……」


 明乃さんの沈んだ声で発した言葉を受け止めながら、淹れ終えたコーヒーを差し出した。明乃さんはコーヒーを受け取りながら、「あ、ありがとうございます」と小声でお礼を言い、コーヒーに口をつけ、一息ついてからポツポツと事情を話し始めた。


「まずはそうですね……私がクリーニング店で働いているのはご存知ですよね?」

「それはもちろんです。明乃さんが祖父の知り合いのやっている店で長年働いているのは知っています。それに祖父の代からスタッフ用のシャツなんかのクリーニングをお願いしていますし、それ以外にも自分が家で使ってる毛布だとかのクリーニングも頼んでお世話になっていますからね」

「私もドレスとか服とかの洗濯が面倒で、よく明乃の店にお世話になってるわ」


 藍子さんも横から話に加わってきて、うんうんと頷いている。明乃さんはというと、ぼんやりと焦点の合わない視線を彷徨わせているようだった。


「それがですね……実はそのクリーニング店、近々、閉店することになりまして……」


 その言葉に俺も藍子さんも驚きの声が出そうになるのをギリギリのところでこらえ、明乃さんの言葉の続きを待った。そんな緊張感とは無縁に、スズは話には興味なさそうにミルクを口に運び、満足そうな表情を浮かべている。

 しかし、明乃さんはなかなか続きを話そうとしない。そのことにしびれを切らした藍子さんが、


「それでなんで店を閉めることになったの? 店の経営、そんなに苦しかったのかしら?」


 そう話の続きを催促するも、明乃さんは藍子さんの質問にただ静かに首を横に振るばかりだった。明乃さんはゆっくりとした動きでコーヒーに口をつけ、カップを静かにソーサーの上に置いた。


「経営の方は詳しくはありませんが、苦しいとかはなかったと思います。むしろ、この喫茶店のような付き合いの長い顧客も少なくなかったですし、オーダーメイドなどの一点モノや他店で断られたモノまで引き受けてくれる店ということで少々割高でもいいという個人のお客様もいましたからね」

「そりゃあ、洗い物に関しては“小豆洗あずきあらい”の明乃がいれば問題ないどころか、繁盛するでしょうよ」


 藍子さんはそう口にして、首をひねり、「それなら、なおさらどうして? 店を閉める理由なんてないじゃない」と、再度疑問を口にした。明乃さんは顔を上げて、藍子さんに真っ直ぐ視線を向ける。


「ねえ、藍子さん。店主はね、普通の人間……なんだよ。年齢も浩輔さんのおじいさんの芳夫さんと同じ歳くらいで、もう八十過ぎで。仕事を続けるにはもうしんどい年齢なのよ。店主の息子さんは遠くで会社勤めをしていて、家庭も築いていますし、今の安定を捨ててまでこの先どうなるか分からない店を継ぐ気はないみたいなの」


 明乃さんは事情を説明し終えると、カップに手を添え、深いため息をこぼしていた。


「まあ、そういうことなら仕方のないことなのかもね。明乃はあの店でどれくらい働いていたんだっけ?」

「たぶん三十年くらいかな」

「そんなに経ってたのね。それは寂しくなるわね。それで最初に戻るけど明乃の相談したいことって?」


 藍子さんに尋ねられたにもかかわらず、明乃さんの視線は俺の方に向けられた。その理由が分からないので戸惑ってしまう。しかも、そのまま明乃さんの視線は俺に固定されていて、何も言い出さないので、その無言の圧力に耐え切れなくなり、カウンター内の洗い物をしてやりすごすことにした。

 手を動かしながら、明乃さんについて考えを巡らせることにした。


 小豆洗いという妖怪は、名前のとおり川で音を立てて小豆を洗う妖怪だ。縁起のいい妖怪とも、不吉の前兆を知らせる妖怪とも言われている。

 しかし、実際は小豆を洗うのは小豆洗いにとっての食事のようなもので、小豆をはじめ豆類に触れたり、洗うことで欲が満たされるのだと前に明乃さん本人から聞いたことがある。

 明乃さんは人付き合い、もとい妖怪付き合いはあまりしない方らしいのだが、藍子さんとは仲がいい。

 明乃さんは普段からシックな色合いのロングスカートにシンプルなシャツという地味で目立たない服装を好んでいて、見た目はどこか疲れた二十代後半の細身の女性で、奥ゆかしさという言葉がよく似合っている。

 それに比べて藍子さんは、妖怪になる前は人間の遊女ゆうじょだったということもあり、元来の派手好きだ。見た目は明乃さんよりは年上の三十代半ばから後半くらいに見え、グラマラス体型でまさに妖艶ようえんという言葉を体現している。

 そんな正反対の容姿で、性格も価値観も合わなそうな二人だけれど、不思議とウマが合うそうで、かれこれ数百年の付き合いなのだそうだ。

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