すいーとほーむ!

曖月げそ

プロローグ

「行ってらっしゃい、ダーリン♪」


 笑顔でそう言って、出張に行く夫を送り出したのは、つい先日のこと。

 二泊三日のプチ出張。その間、家にいるのは私ひとりだけ。


 正直に言おう。

 私はこん限りないほどに浮かれていた。


「寂しくないのか」と訊かれれば――まあ、少しは?


 しかし如何せん、寂しさよりもひとりでゆっくりできる嬉しさの方が、断然勝っていた。

 彼と同棲し始めてからこのかた、毎日二人分の家事をきっちりこなしていたことを思えば、ダーリンのいないこの三日間は楽しみ以外の何ものでもない。

 生活は格段に楽できるだろう。洗濯物はしこたま溜めてからすればいいし、シャツにアイロンをかけなくてもいい。家から出なければヨレヨレのジャージで朝から晩まで過ごしても誰に見られるわけでもないし、小うるさい夫がいないので掃除も自分が我慢できなくなるまで溜め込めばオーケー、もちろん料理なんかせずに宅配ピザでも寿司でもじゃんじゃん頼んで持って来てもらえばいい!


 ――さーって、どうしようかな!


「まずはうん、お決まりの映画会かしらぁ~♪」

 うんうん。

 ちょっと頑張ってちゃりんこ漕いで?DVD借りてきたら?――

 秘かに押し入れに隠し持っているお菓子を引っ張り出してきて、宅配ピザ頼んで、コーラ片手になんならビールにアイスも開けちゃって……。誰にも文句言われずに観たいだけ立て続けに何本でも存分に映画鑑賞!ぶっ通しでの夜更かし音量上げまくり気分もあげまくり、風呂も入らず朝食も作らずそのまま部屋着で寝、落、ち、昼まで爆睡コース……!


「うっひょ~!!」


 自堕落万歳!!


 歓喜の奇声を上げながらひとり、私は真新しいフローリングに張り替えた床をゴロゴロと転がり回る。

 今からこの家は、私の城だ!天下だ!!


 そう思って……はしゃいでいたその日の夜。

 地獄が始まったのは、それから間もなくのことだった――。






「きーぃい、やぁああああああ!」

 もう何度目になるかわからない絶叫を上げて、私は身構える。

 いや、逃げる。

 逃げる。走る。走り回る。


 ――しまった!


 敵の一体に壁の隅まで追い詰められた!


「くっ!」


 どうにか無傷で隣室まで逃げ延びたかったが、こうしてエンカウントしたからには致し方ない!

 私は腹を決めて、右手に持った「今のところその辺で見つけた一番使い勝手の良い武器」を、高々と振りかざす。

 ペラッペラとした頼りない外見のプラスチック製の武器――どこからどう見てもハエ叩き以外の何物でもない――を見て(?)、ヤツは小バカにしたように頭部に生えたツノを左右に揺らす。


「そうやって余裕をかましていられるのも今のうちよ……!」


 私はポケットから取り出した秘密兵器を、ハエ叩きの叩く部分に向け、シュッとひと吹き。

 その爽快感溢れるフレッシュな香りが届いたのか、ヤツがたじろぐように後ずさる。


「フフフ……」


 敵の弱気な態度になんとか勇気を絞り出し、


「喰らえええええ!!」


 私はスリッパ履きのまま床を蹴り、跳躍!一気に相手との間合いを詰めた。






「はあっ、はあっ……はあっ……」


 肩で荒い息をつき、私は敵を撃退した後の自宅の台所を見渡す。


 私達の攻防を見て慄いたのか、先程まで周囲にたむろっていた数匹は逃走したらしく、その姿は既にない。

 しかし、いつまた新たな個体が湧いて出るとも知れない。今のうちにとばかり、私は頼みの綱の冷蔵庫を開けて素早く中身を確認した。

 そこには私の記憶にある通り、買い置きしていたプリンやらクリーム・サンドクッキーやらが賞味期限順に麗しく並んでいる。


 そう――ここは私の家。マイホーム。マイ・スイートホーム!!

 本来ならば最大限に寛げる穏やかなサンクチュアリ。


 それが、今や自宅は無法地帯。

 ヤツが――ヤツらが、複数、現れたのだ!


 黒光りし、高速で移動し、天井を這い、時に飛翔する――例のペタンコ節足動物が!!


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