第33話 年上だから
少女が口にした名前を俺は知っている。
正直、目の前の小学生の特徴的な容姿を鑑みると、ここでその名前が出てくることにあまり違和感もない。
だが、常識的に考えれば俺と同い年の高校生である涼音がいきなり小学生として現れたなんて到底信じられない事態だ。
もしそんなことを人に話して回れば、たちまち頭がおかしくなったのではないかと心配されることだろう。
「……けど、前例があるしなあ」
にわかには信じがたい。
けれど、これまで俺が体験してきた超常的現象の数々を思うと、軽々に嘘だと断じるべきではないだろう。
それに、完全に根拠のない感情論ではあるが、目の前の小学生が俺を騙そうとしているとは思えない。
どうせ他に少女の正体を推測するための手がかりがあるわけでもないし、自分で一ノ瀬涼音だと言うのなら、ひとまずはそれを信じてみてもいい気がする。
「ねえ、何でそんなに落ち着いてるの?」
歪んだセカイで呑気に考え事をしている俺の姿が奇異に映ったのか、少女はいつだか俺が涼音に尋ねたのと同じことを不思議そうに問いかけてきた。
何だか、妙な気分だ。
目の前の少女と涼音を完全に同一視することはできないけれど。
それでも、俺に超常現象との向き合い方を説いた彼女とよく似た少女からこんな疑問をぶつけられるなんて、少しだけおかしく思えてきた。
「はは、そうだな。敢えて言うなら、ここ最近はとびきりの変人と一緒になって、今と似た景色を何度も見てたからじゃないか?」
「何度もって、前にもこの変な場所に来たことあるの?」
「さあ? どうだろうな。たぶん、ないんじゃないか? 俺の知ってる景色とここじゃあ、いろいろと勝手が違いそうだしな」
俺が答えをはぐらかしていると思ったのか、少女の頬が不満そうに膨らむ。
「別に、とぼけてるわけじゃないぞ。今ここにお前がいる理由については俺にも一切わからないし、どうやったら元に戻せるのかもさっぱりだ」
「本当に?」
「本当に」
疑問の声に重ねるようにして現状を把握できているわけではないことを強調すると、少女は俺から視線を外しその場に屈みこんでしまった。
どうやら、この場で唯一手掛かりとなりそうな俺の実態が期待外れだったことで、少しばかり落ち込ませてしまったらしい。
彼女が本当に俺の知っている涼音なら。
そんな風に考えると、この程度で落ち込むのはらしくない気がするけれど。
一方で、小学生がこんな訳のわからない場所に放り出されてパニックを起こすことなく理性的に振る舞っているだけでも、十分過ぎる程にすごいことなのも事実だ。
柄ではないと自覚しているけれど、少しくらいは慰めてやってもいいかもしれない。
「まあ、そう落ち込むな。俺たちの前途が希望に溢れてるとは言わないが、お前が思ってる程絶望的ってわけでもない。お前のことは、絶対に俺が助けてやる」
俺の慰めが効果を発揮したのか、はたまた単に自分で立ち直っただけなのかはわからないけれど。
少女は俺が喋り終わった後、体感で一分程その場でじっとしてから、おもむろに立ち上がりこちらへ歩み寄ってきた。
「変態には近寄らないんじゃなかったのか?」
「今は緊急事態だから。特別に、我慢してあげる」
何とも可愛くないことを言ってから、少女が俺の隣に腰を下ろす。
口ではいろいろと言っていたけれど。
結局のところ、心細いのだろうか。
まあ、無理もない。
最初のうちこそ訳のわからない場所に投げ出された戸惑いで考える余裕がなかったのだろうけど、実際のところ俺たちはこの歪んだセカイから生きて元いた場所に帰れる保証さえないのだ。
俺は二号のせいでこういう超常現象に巻き込まれるのにも多少は慣れたけれど、目の前の少女はそうじゃないだろう。
不安に思うなと言う方が無理な相談だ。
「涼音、これから俺が幾つか質問するから、お前はそれに可能な限り答えてくれ」
何か話していた方が気も紛れるだろうと思い情報収集がてら声をかけると、少女は未だ俺への警戒心が抜けないのか少しばかり怪訝そうにしながらも一応は頷きを返してくれた。
「一つ、お前の母親は何て名前だ?」
「……一ノ瀬那由」
涼音を名乗るのなら当然そうだろとは思っていたが、返ってきた答えは俺の予想した通りのものだった。
これだけではまだまだ根拠に乏しいけれど、やはり少女と俺の知っている涼音は無関係ではなさそうだ。
「二つ、お前の年齢は?」
「……九歳」
「三つ、父親の――」
父親について質問しようとしたところで、それまで気乗りしない様子ながらも素直に問に答えていた少女の顔が強張ったのに気づき口を閉じる。
「……あー、もしかして、那由さんとお前の父親ってあんまり上手くいってないのか?」
俺の問に少女が黙ったまま頷きを返す。
考えてみれば、元のセカイで那由さんと涼音の父親は離婚しているのだ。
直接的なきっかけは涼音の神隠し関連だったにせよ、それだけが原因で離婚したというのは些か考えが浅かったか。
離婚なんてそう簡単にできるものでもないだろうし、そこに至るまでにはいろいろと不和の積み重ねがあったのだろう。
涼音の神隠しは、あくまで分水嶺に立つ二人の背中を離婚する方へ押したに過ぎない。
もちろん、それがなければ現在に至るまで離婚することなく家族として在り続けている辺り、神隠しの影響は決して小さくはないのだろうけど。
「私が、家庭教師の先生に幾ら教えてもらっても全然成績よくならないから。お父さんは先生がいないときもサボらず勉強してもっと頑張れって。でも、お母さんは興味ないなら学校の勉強以外はしなくていいって言ってて。それで、いっつも……」
ぽつぽつと少女が口にする話を聞くに、どうやら彼女の父親は娘の教育に良くも悪くも大変熱心らしく、放任主義な那由さんとはよく対立しているらしい。
おまけに、その対立によって繰り広げられる家庭内でのやり取りも、少女の口ぶりからするとあまり見ていて気持ちのいいものではなさそうだ。
涼音は模試で学年四位とか言ってたし、ちょっと偏差値高めの国立でも問題なく狙えるくらいの学力はあるはずだけれど。
父親の要求水準がそれ以上に高かったのか、はたまた当時の涼音は今と比べてあまり成績がよくなかったのか。
まあ、どちらでもいいけれど。
高校生になった涼音を見るに、離婚をするしないに関わらず涼音への教育方針は最終的に那由さんの意見に寄ったものを採用することで決着がついたらしい。
「涼音、父親は好きか?」
「……うん」
俺の問に、少女は小さく頷きを返す。
正直、俺の個人的な感想を言わせてもらうなら父親のことなんて綺麗さっぱり忘れて那由さんと二人で暮らすのが一番じゃないかと思うのだけれど。
やっぱり、そういうわけにはいかないらしい。
「ま、仕方ないな」
涼音に聞こえないよう小声で呟いてから、改めて目標を明確に思い浮かべる。
目の前にいる少女が俺の知っている涼音と同一人物でも、そうじゃなくても、彼女は父親とちゃんと話すべきだ。
そして、そのためにはこの訳のわからない空間を抜け出して家に帰らなければならない。
少なくともこの場においては俺の方が七歳も年上なんだし、さっき助けるとか言っちゃったのも確かだし。
精々、彼女をここから帰すために頑張ってみるとしよう。
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