第25話 二度目の初対面


 涼音の手を握りながら一向に望んだ結果を見せることのない実験に勤しんでいると、不意に部屋の外から小さく足音が響き次いで扉をノックする音が聞こえてきた。


「涼音、入るぞ」


 扉を開き中に入ってきたのはいつの間にか帰ってきていたらしい那由さんで、彼女は俺と涼音の中間辺りで暫し視線を漂わせてからゆっくりと口を開いた。


「夕食の準備ができたそうだ。今日はそこの彼も一緒だという話だし、あまり遅くなっても良くないからな。そろそろ、リビングへ来い」


 那由さんは晩飯ができたことを知らせに来てくれたらしく、それ自体はありがたいのだけれど。


 何と言うか、彼女が俺を見る目はいつもよりほんの少しだけよそよそしい気がする。


「あの、ひょっとして俺と那由さんって初対面だったりしますか?」


 このセカイにおける関係が気になりつい余計なことを尋ねてしまうと、那由さんは目を見開き俺の顔を無言で見つめてきた。


「……私の記憶が確かなら、君とは初対面のはずだが」


 これも二号の影響なのだろうけど、どうやら俺の認識とは異なりこのセカイにおける彼女と俺は初対面ということになっているらしい。


 隣を見れば、俺と認識を同じくする涼音もやや意外そうにしている。


「だが、そうだな。そんなことを聞くからには、何か面識があると思うような理由はあったのだろう。よければ、その理由を教えてくれないか?」


 そんなことを言われても、まさか正直に二号の影響ですと言うわけにもいかないしここはてきとうにごまかすしかない。


 涼音の方も俺と同じ考えらしく、目線で協力を求めると彼女は任せろと言わんばかりに小さく頷いた。


「そこの藍川には、お母さんの名前とかといろいろ話したことあるから。それで、つい知り合いみたいな気分になっちゃたんじゃないかな」

 

 涼音の言い分だと俺が些か思い込みの激しいやつみたいになる気がしないでもないが、さりとて本当のことを言うわけにはいかないこの状況下だと他に上手い言い訳もない。


 ここは、乗っかっておくのが無難だろう。


「そうなんです。娘さんから那由さ……じゃなくて、お母さんの話はいろいろ聞いて――」

「言いにくいなら那由で構わない」


 癖で那由さんと呼びそうになったところで初対面だということを思い出し呼び方を変えようとしたところ、那由さんは淡々と自分を名前で呼ぶことを許可してくれた。


 正直、今さら那由さんに他の呼び方を使うのも違和感があったので、こう言ってくれるとありがたい。


「まあ、とにかく、那由さんのことは話に聞いて知ってたので、初めて会った気がしなかったんです。本当、それだけなんで、さっき俺が言ったことは忘れてください」


 ことの真偽について思いを巡らせているのか那由さんは暫し顎に手を添え何事かを考えこんでから、視線を俺たちから逸らし右上の虚空へ向けた。


「まあ、そういうことにしておくか」


 那由さんは納得した様子で独り言を漏らしてから、踵を返し俺たちに背を向けた。


「最後に、老婆心ながら一つだけアドバイスをしておこう」


 背を向けたまま、那由さんがどこかからかうような声音で言葉を紡ぐ。


「仲がいいのは大変結構だが、その姿を見ると複雑な気分になる人間もいるだろうからな。父親の前で手を繋ぐのは控えることを勧める」


 言われて、俺と涼音のちょうど中間あたりで繋がれた二つの手に目を向ける。


 実験の際中はこうしているのが当たり前なのでまるで気にしていなかったけれど、俺と涼音は那由さんと話している間ずっとこうして手を繋いでたのか。


 ……うん、何と言うか、こう、失敗したな。


 俺が今さらながらに顔に熱が集まるのを自覚しつつ急いで手を離し視線を上に向けると、微かに顔を赤くしながら口元をもにょもにょと動かす涼音と目が合った。


 俺と目が合ったのに気づくと彼女は視線を鋭くし責めるような目でこちらを見てきたけれど。


 そもそも手を繋いでいることに違和感を抱かず放置していたのは涼音も同じなので、これに関しては同罪だろう。


 それに、涼音の方は俺を睨み責めているつもりかもしれないけれど。

 顔が赤いせいか、今の彼女にはあまり迫力を感じない。



 ◇



「あー、ところで、藍川君と涼音はやっぱり付き合ってたりするのかな?」


 涼音と並んで料理が置かれたテーブルに着き白身魚のフライを口に運んでいると、対面に座る涼音の父親がやや気まずそうにしながら口を開き勘違い全開な疑問を口にした。


 まあ、こうやって家にまで押しかけている以上そう思われても仕方ない部分はあるのかもしれないけれど、これに関しては自信を持って否だと断言できる。


「違いますよ。俺たちはそんなのじゃないです」


 俺が即答すると涼音の父親は安堵したように息を吐き出してから、今度は至って気楽そうな軽い調子で口を開いた。


「そうか。いや、変なことを聞いて悪かったね」

「いえ、気にしなくていいですよ。この間は那由さんも俺たちが付き合ってると誤解してましたし、実際自分でもちょっと紛らしいかなとは思いますから」


 涼音の父親に向かって口にしたのは単なる世間話の延長……俺としては、そのつもりだったのだけれど。


 涼音の父親の隣に座る那由さんの表情が怪訝そうなものに変わるのを見て、自らの失言を悟る。


 那由さんとは今日が初対面ということになっているのだから、まるで以前にも会ったことがあるかのようなこの間という言い回しをすべきではなかった。


「ふむ。この間というのが一体いつのことを指すのか、私としては非常に興味深いのだが。聞いたところで、答えてはくれないのだろうな」

「……わかってるなら最初から言わないで」


 俺の度重なる失言に気を悪くしたのか少しだけ不機嫌そうな声で那由さんに応じてから、涼音はハッとした表情を浮かべ父親の方へ視線をやった。


 視線を受ける父親は娘の様子には気づいていないようで特に反応を示すことはなく、ただ訳が分からないといった様子で目を瞬かせている。


 まあ、多少の混乱はあるようだけれど。

 那由さんに発言の真意を深く追求するつもりはなさそうだし、父親の方もこの様子なら放っておいたところで問題ないだろう。


 そう思って食事を再開しようとしたところで、視界の隅に俺の方へ向かって伸びる腕を捉えた。


「涼音?」


 微かに顔を青くし祈るように俺の手を握る涼音へ声をかけると、彼女は肩をビクリと震わせてから一度だけ大きく深呼吸をした。


「藍川、ちょっといい」


 既に顔色はいつも通りに戻っているけれど。

 俺に話しかける間も涼音はちらちらと父親の方へ視線を送り、どこか落ち着かなそうにしている。


 流石にこの状態の彼女を放っておく気にはならないし、ここは一度席を外した方が良さそうだ。


「すみません。涼音の顔色が悪いみたいなんで、ちょっと夜風にでも当たってきます」


 俺がこの場から離脱するため声をかけると、涼音の父親はこちらへ身を乗り出し椅子から腰を浮かせた。


「涼音、大丈夫か? 本当に具合が悪いなら――」

「大丈夫! 大丈夫だから、お父さんたちは気にせずご飯食べてて」


 心配する父親の声を遮り、涼音がどこか空回った印象を受ける笑みを浮かべる。


 涼音の笑みに不自然なものを感じたのは俺だけではないようで、涼音の父親は彼女の様子を見て却って不安そうにしている。


「無理しなくてもいい。具合が悪いなら、遠慮せずお父さんに――」


 涼音に向かって言い募ろうとした父親の眼前に、横からそっと手が差し出され彼の言葉を制止する。


 手を差し出した張本人、那由さんは父親が言葉を止めたのを確認すると涼音と俺の顔を順に眺めてから何かを嚙みしめるように一瞬だけ目を瞑った。


「本人がお呼びじゃないと言っているんだ。我々は変に出しゃばらず、彼に任せればいいだろう」

「そういう問題じゃない。本当に涼音の具合が悪いなら、私たちが何とかしないと」

 

 那由さんは涼音の父親の反論をどこ吹く風と言った様子で聞き流し、微かに息を吐き出した。


「私たちが病院へ引きずっていけば解決する問題ならそれでもいいがな。涼音も高校生なんだ。親に言えない悩み事の一つや二つ、あったところで何もおかしくはない」


 那由さんはそこで一度言葉を止めてから、手で涼音を追い払うようなジャスチャーをしてみせた。


「涼音、いつまでそこで呆けているつもりだ。どんな事情があるのかは知らんが、彼に用があるなら早く済ませてこい。でないと、せっかく作ってくれた料理が冷めるだろう」


 那由さんの言葉に促され、涼音はリビングの家族に背を向け家の外へと歩き出した。


 涼音の父親は納得いかなそうにしていて、それは少し気にかかるけれど。

 

 俺がここに残ったところで何ができるというわけでもない。

 

 最後に会釈だけしてから、俺も涼音の背を追い家の外へと歩き出す。

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