第9話 二人だけの選択肢
最初の実験で木の葉を消すことに成功した俺と戸滝は、次なる実験として互いに別の対象を思い浮かべた状態で二号を発生させることができるかについて試すこととなった。
戸滝曰く、今まで二号による改変の対象となったのはどちらも俺と戸滝の双方が少なからず関心を向けていたものであり、それ以外のものが改変の主たる対象になることはなかった。
なので、この実験により二号発生の条件として身体的接触に加えて意思の疎通が必要かどうかについて調べるらしい。
「じゃあ、何か改変の対象を思い浮かべてね。あ、わかってると思うけど私には何を思い浮かべたか言わないでよ。この実験はお互いに全く別のことを考えてないと意味がないから」
実験についての注意を述べながら、戸滝が再び左手を差し出してくる。
改変の対象を思い浮かべろと言われても、消えても困らないものでなおかつ変化がすぐにわかり戸滝とも被りそうにないもの、なんて考えていると意外と候補が見つからなくて困るのだけど。
あまり深く考え込むのも馬鹿らしいし、ここは俺の足元に落ちている石ころとかでいいか。
てきとうに考えをまとめてから、今までと同じように戸滝の左手へ俺の右手を重ねる。
「……何も起きないな」
「そうだね。やっぱり、二号による改変には私と藍川、二人の意思が必要みたい」
これまで二号を発生させたときと同じように俺と戸滝の手は確かに重なっていて、戸滝の手の冷たさやふにふにとした手触りも感じているのだけれど。
辺りに広がるのは至って普通の校舎裏の景色で、この世のものとは思えない歪みなんてどこにも見当たらない。
念のため確認しておきたいのか、戸滝は俺の手を握ったり指先で手のひらを軽く叩いたりといろいろ試してはいるが、どれだけやっても辺りの景色は変わらないし当然足元の石ころもそのままだ。
「よし、じゃあ次。今度は手以外の部位を接触させても二号が発生するのか調べるために――」
◇
戸滝が実験の内容を提案し、二人で実際に試してみる。
二号解明のため俺と戸滝はそんな作業を幾度となく繰り返し、それなりにデータも集まってきたのだけれど。
「あー、もう! いつもより早く登校したのに、教室にいなかったせいで遅刻しましたなんて絶対ごめんだぞ。だいたい、こうなる気がしたから俺は予鈴がなる前に終わっとこうと言ったんだ」
現在、俺と戸滝は時間ぎりぎりまで粘って実験をしていたせいでとっくの昔に登校しているにも関わらず遅刻の危機に陥るという非常に間抜けな状態になっている。
実験に熱中する戸滝を見てこうなる予感がしていた俺は幾度となく実験を早めに切り上げるよう言ったのだけど、彼女の後少しだけという言葉に押し切られてつい最後まで付き合ってしまった。
戸滝に全責任がある、とまでは言わないものの今俺たちが廊下を早足で移動するハメになっている原因の最たるものは間違いなく戸滝だ。
多少なりとも反省の色があってもいいだろうに、彼女に悪びれた様子は全くない。
「そんな些細なことより、実験の方が大切でしょ。それに、二号の特性もだいぶ掴めてきたし、いざとなれば私たちの遅刻もなかったことにできると思うけど」
確かに、一連の実験によって俺たちは二号の特性についてある程度把握することができた。
まだまだ完璧に理解しているとは言えないにせよ、遅刻した事実をなかったことにするくらいは現実的に可能な範囲だと考えてもいいだろう。
ただ、できることとやることは違う。
遅刻をなかったことにするとなれば、校舎裏の木の葉や石ころと違って間違いなく先生やクラスメイトに影響を与えることになる。
既に花瓶の件で影響を与えている以上は今さらかもしれないが、明らかに他人を巻き込む形での二号発生にはもう少し慎重でありたい。
「戸滝、それは――」
「わかってる。私だって、いきなりそんなことをする気はないよ。ただ、あくまで私たちにはそういう選択肢もあるってこと」
戸滝も本気ではなかったようで、俺が言うまでもなく二号で遅刻をどうこうしようとは思っていないようだけど。
普通ならそもそも存在しない選択肢でも、俺たちにはそれがある……か。
改めて二号という現象の途方もなさに思いを馳せているうちに、俺たちは教室へたどり着き急いで中へ滑り込んだ。
「と、ぎりセーフか?」
教室へ入り時間を確認してみると、時計の針はちょうどホームルームが始まる八時四十分を指し示している。
「まあ、セーフってことにしといてやらんでもないが、お前らもうちょい余裕もって来いよ」
既に教卓に立っていた白辻先生は、時間ぎりぎりにやってきた俺と戸滝を見て呆れ気味の表情を浮かべている。
今まで地味に無遅刻無欠席を貫いていた俺がこんな態度を向けられるのは釈然としないが、さりとて二号の実験をしていて遅れましたなんて言えるはずもないので今は素直に頷くことしかできない。
少々気に入らない部分はあるが、何とか遅刻するのは避けることができたしひとまず良しとしておくか。
俺がそんな風に思い着席するため自分の席へ視線を向けると、図らずも俺の隣の席に座る一人の生徒と目が合った。
その生徒は顔を顰めながらこちらを睨みつけており、右手の人差し指は苛立たし気に何度も机を叩いている。
「あー、朱乃? お前、何かあったのか?」
「自分の胸に聞いてみれば」
目の合った隣の生徒、つまりは朱乃に恐る恐る声をかけると、彼女は刺々した口調で俺の質問を切って捨ててからぷいと顔を横に向けた。
これは、失敗したな。
朱乃には事前に今日の朝は用事があるから一緒に登校できないと伝えてあったのだけど、そんなことを言っていた俺が戸滝と一緒に登校してくればその用事とは戸滝に会うことだと白状しているようなものだ。
戸滝にあまり良い印象を持っていない朱乃からすれば、自分より戸滝を優先される形になったこの状況は面白くないだろう。
遅刻するかどうかの瀬戸際で気にしている余裕がなかったが、こんなことなら教室に入るタイミングを戸滝とずらしておくんだった。
今さらながら誤解されかねない自身の行動を後悔したものの、それで朱乃の機嫌が良くなるわけはなく、俺は針のむしろに晒されているかのような心地で午前中の授業を受けることになった。
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