02 愛のある勘当
会場を去る間際、イースチナ様が見せていた表情が脳裏にこびりついて離れなかった。
なんて悪意のある笑顔。
人はあそこまで悪い顔をできるのか。
(いいえ。私が知らなさ過ぎただけ……)
冷酷な父でさえ、私にそのような部分を見せたことはなかった。
幼いころに向けられた愛情を覚えているからこそ、そんな人に殺されるなんて考えたくもない。
「お父様」
家のエントランスホールには、父ランドハルス侯爵の姿があった。
最後の挨拶だ。
「申し上げます。私、レティシアはジャークス・ハルクフルグ様より婚約破棄を申しつけられました。受諾し、帰宅した次第でございます」
「……新しく婚約したのはレイツェット子爵令嬢だな」
「ご存じだったのですか?」
「噂は聞く。そもそもレイツェット子爵が社交界でも中々のやり手で、勢力範囲を広めている事も知っていた。その娘がハルクフルグ次期公爵に接近している噂も耳にしていた。……だが、まさかレティシアを魔女に仕立てて断罪し、イースチナ嬢の存在を正当化するなんてな……」
本来、子爵と公爵では家格が釣り合わず婚約なんてできない。
おそらくだけれど、イースチナ様は自分の存在を正当化するために、私という存在を悪役に仕立て上げた。あのような人目があるところでジャークス様が断罪されたのは「悪役にいじめられた悲劇のヒロインであるイースチナ様を救う」という筋書きによるものだろう。
悪い噂が流れていることは知っていたけれど、断罪中の周りの貴族たちの反応を見る限り、根も葉もない噂を信じている者が多いように感じた。
(私……なにか悪い事したのかしら)
イースチナ様と初めて会ったのは、半年ほど前の夜会だった。
いまになって思えば、そのときからジャークス様を狙っていたのだろう。
何か彼女にしたというわけではなく、私がジャークス様の婚約者であることが妬ましかったのだろう。鬱陶しいので退いてくれ。そんな感じだろうか。
「嵌められたな、あのように公になってしまえばみな一様にハルクフルグ様とレイツェット子爵令嬢に従う。魔女として断罪されたからな。裁判しても無駄だろう」
「…………そう、なのですね」
魔女。
それはわが国で、最も忌むべき存在だ。建国神話では王族の男をたぶらかし、国を騒乱の渦に巻き込ませたという悪役。この魔女は銀色の髪に紫紺の瞳を持っていたと言われている。私の容姿も魔女のソレと一緒だ。
ただ、銀髪は魔力量が多い。歴史書に名を連ねた女性はみな銀髪だったとされる。
大層な名誉なんていらない。
平穏な生活さえあれば、それでよかったのに。
「レティシア」
父は私をそっと抱きしめてくださった。
いつもの父らしからぬ優しさに、胸をしめつけられる
そして──突き放された。
「レティシア・ランドハルスを勘当する。もう二度と、この家に帰って来るな」
眉をひそめて悲しみを堪える父。
私はかしこまって礼を返した。
「重々に承知いたしました」
それから私は、今までお世話になった使用人や侍女に挨拶をして回った。何人かには涙を流され別れを惜しまれたけれど、その気持ちだけで救われる。
私はもうこの家に帰ってこない。
ぼんやり自室を眺めていると、侍女の一人に「レティシアお嬢様!」と飛びつかれた。ちょっとだけびっくり。
「どうしてレティシアお嬢様が家を出て行かねばならないのですか!! どうして、どうして……、こんなにもお優しいお嬢様なのに……っ」
「ありがとう。……でもどうしようもないことです。どうぞあなたの人生に幸があらんことを」
「お嬢様……!!」
号泣する彼女を抱きしめつつ、背中をさする。
そうやっているうちに、トランクケース一つ分の荷造りが終わってしまった。
なに、たいして持っていくものはない。
宝石やドレスに興味はなかったので、手放すのも惜しくはなかった。ただ、亡き母の形見である小さな指輪だけ手に、トランクケースを持って平民が使用する乗り合い馬車に乗る。
行先はとある家だ。
父はあのように私を勘当したけれど、一枚の紙をこっそり渡してくれた。
旧友、ジルクアド・ル・シザーク様を頼れ。
公爵の名前を出せば、きっと門の中にいれてもらえる。事情を話せば匿ってもらえるだろう。この家名の貴族は聞いたことがなかったけれど、誰に見られても良いように偽名の可能性だってある。父の直筆の手紙をぎゅっと握り締め、私は嬉しさに涙を流した。
(これが、お父様なりの愛情表現なのね……)
こっそり侍女伝いに手切れ金や手紙を渡してくる辺り、なんと不器用な人なのか。
小さな笑みがこぼれてしまう。
嬉しかった。
(もう二度と会えないかもしれませんが、どうかお父様、健やかであれ……)
祈りを捧げる。
しばらくして、馬車が止まった。
紙によれば、シザーク様の邸宅はここから徒歩で一時間歩かなければならない。社交界用のドレスほどではないけれど、私の恰好は歩きづらい。
頑張るしかないわ。
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