第31話「歌姫と探偵」
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スラムの落書きより
北地区、ちょっとガラの悪い飲み屋街にポツンと建った喫茶店。そこでは隣接するライブハウスから流れてきた客が、熱っぽく感想を語り合っている。
スーファは、いつもの探偵スタイルで懐中時計を確認しながら、約束の相手を待っていた。
ランカスターと言う街は、警察の管轄が南北に割れている。南側を管轄するサウスストリート署は上品で人当たりの良いお巡りさんが多い。商業地帯と高級住宅地を抱えるお土地柄だからだが、対する北側のノースアベニュー署の評判はその裏返しである。
柄が悪い。目つきも悪い。なんなら頭も脳筋そう。
そこまで言うかと思うのは、ノースアベニュー署長が烏丸だからではない、筈だ。
例に漏れず両者の仲は悪い
で、昨日スーファが取り調べを終えたのがサウスストリート署。
自分が烏丸の意を汲んで動いていることはもう知られているだろうから、あの無駄な質問の繰り返しと嫌みの嵐は意図したものでない筈がない。
その前に助けた警官が口をきいてくれなければ、延々とやられるところだった。
(覚えてなさいよ、木っ端役人ども)
いつの世も「覚えてろ」と言う命令が実行されるのは、命じた方に限定されるのである。ましてや、思うだけでは何にもならない。
唯一の収穫は、警官がよそ見した隙を突いて”彼女”とつなぎを取れたことくらいか。
「ええと、お話しするのはこれで2度目かしら? オリガ・バランさん」
呼び出した喫茶店で着席した彼女は、緊張、と言うより警戒を隠せない。そんな顔だった。
そう、彼女とは先日会っている。〔アルミラージ〕を求めて校内をうろうろしていたスーファに、道案内してくれた女生徒だ。学内の姿とはずいぶん違うけれど。
「そう邪険にしなくても大丈夫よ。ちょっと聞きたい話があるだけだから。あと、ライブよかったわよ」
「……わざわざ聴きに来てくれたんですか?」
将を射んとする者は……などと言うつもりはない。強いて言うなら、単純に興味があったからだ。
最近この手の「試しにやってみる」で、消えていくお金と時間が微増し続けている。今回のように役に立つこともあるので、取り立てて修正する気はない。
「実はあなたのファン、とか言えば喜んでもらえたかもしれないけど、本当は気まぐれで入っただけ。歌がよかったのは嘘じゃないけどね」
「いいえ、それでも嬉しいです」
前に会った時のギャップで驚いたのだが、彼女は歌手志望で、定期的にライブハウスで歌っているらしい。
父親の事も調べたが、そのあたりにラビッツとつながりがあるのではと思ったのだが。
「スパイトフルについてなら、私は何も知りませんよ?」
我に返った彼女からは、案の定と言うか、そんな答えが返ってきた。こちらが尋ねる前に。
昨日の一件を考えても、彼女はブレイブ・ラビッツに好意的なことは分かる。それでも何か引っ張り出せないかと会う約束を取り付けてはみたのだが。
「私が呼び出しに応じたのは、聞きたいことがあるからです。昨日の事件で捕まった人たち、どんな人達なんですか?」
何故そんな事を気にするのかとも思ったが、自分が狙われた理由くらい知っておきたいだろう。新聞発表もされるだろうし、特に隠す事でもない。
「衝動に任せた犯行らしいわよ。飲み屋で愚痴を吐いてた失業者が、金持ちをやっつけろーってなって銃砲店から盗んだ拳銃で騒ぎを起こしたってわけ」
残念ながら年に1回は起こっている事件で、特別なのは起きたのが
なのに、オリガの興味が失われることは無いようで。
「その、イベント関係……いえ、フェアリー・ワンダー・フェスの関係者は……」
そういう事かと自らの無分別を恥じる。
彼女の父親、アレクサンドル氏は悪く言えば
そんな彼女を襲ったのがFWFの中止で失業した者だったら、強く責任を感じても不思議ではない。
襲われたのにそんな考えを持てる。優しい子なのだろう。
それでも、嘘をつくわけにはいかない。
「3人ほど、そういう人がいるようね」
オリガは深く息を吐き、出された紅茶に口を付けた。きっと味も分からないだろう。
「私の方からも、『情状酌量の余地がある』って証言は送り付けとく」
これが北地区なら烏丸経由でやりやすいのだが。あらゆる局面でコネが通じたら、それはもう権力者だ。
一証人からの陳情と言う形にしかならないかもしれないが、それでも微力は尽くそう。
「ありがとうございます」
それでもオリガは弱弱しく頭を下げてくれた。
「お父様ともよく話す事ね……と言ってもそんな簡単な話じゃなさそうか」
店員を呼んで、ホットココアを注文する。紅茶の味が分からないほど落ち込んだ時は、甘いものが一番だ。
オリガがぽつぽつと小雨のように話し出したのは、スーファを信用してくれたというより、今まで話す相手がいなかったからだろう。それだけで、彼女が置かれた人間関係が推察できた。
「父は、私がやりたいことにに無関心ですから」
それは諦観だろう。散々自分の領域を守ろうとして、理解してもらおうとして、それでも駄目だった。そんな人に「もっと話し合え」は酷な物言に思えた。
「残念だけど、私にはアドバイスできないかも。うちの父親、私が小さいときに蒸発して、やりたいと言ったことを反対する人がいなかったのよね」
オリガの口がぽかんと開く。呆れた驚いたと言うより、何を言っているか分からない感じだ。
「それは、『選ぶ余地すら奪われた』のでは?」
確かにそう言う事ではあるし、実際めっちゃ大変だった。それでもスーファはこう思う事にしている。
「だってほら、今好きなことやってるし。探偵業」
父の失踪後、体を壊した母を支えるため、仕事を探すことにした。と言っても肉体労働はまだ自分にできない。どこかの事務所の下働きはどうだ? そう思ったスーファは、あちこちのオフィスを見て回る。
そこで目を付けたのがカメリア探偵事務所。所長のサクヤは、書類から目を離さぬまま、問うた。
『なぜウチなのかい?』
スーファの答えはシンプルだった。
事務所の規模はとても小さいのに、かなり身なりのいい客が出入りしていた。それなら、自分に仕事を任せるくらいには羽振りがいいのではないかと思ったと。
それを聞いた彼女は初めて書類から顔を上げて、言った。
『30点、でも着眼点はよし』
そう言って、最初の仕事である廊下のモップ掛けを命じたのだった。
ついつい思い出話に浸ってしまった照れくささに気づき、ばつの悪いスーファだったが、オリガの方はまじまじと彼女の顔を見続けている。
やっぱり説教とかしてるように感じたかしらと思い至った時、オリガが突然立ち上がり、テーブルに両手をついた。
「探偵さん、いえスーファ先輩! おっしゃる通りです。私も言い訳せずにがむしゃらにやります!」
自分としては、ただ雑談で思い出話を振っただけなのだが。むしろ軽く振った話題が人生の家訓を説教したと取られていたみたいで大変居心地が悪い。
「それでなんですが、探偵さんなら人脈は広いですよね!? 私に歌を教えてくれる人はいませんか!?」
「歌をって、もう十分上手いじゃない」
「いえ、私は父の方針で音楽の授業くらいしか正規の音楽教育を受けていないんです。先輩の話を聞いて、自分も食らいついていくべきだと」
あー、はい。そういう風に思われちゃいましたか。
オリガ・バラン。本当に真摯でいい子だ。だがそれ以上に扱い難い、と言うか面倒臭い。
「と言っても、
思い浮かぶのは、やっぱり彼女だろうなぁ。多分に心配だが、それでも歌に対する姿勢は保証が付けられる。
「ええとねオリガさん。実力は折り紙付きだけど、ちょっとネジが何本かとんじゃった人なら紹介できるけど」
オリガが「是非!」と言ったので、この後あの姉弟に話を通さねばなるまい。そこまで考えて、自分はそれくらいの手間を手間と思わない程度には彼女の事を気に入っていると気付いた。
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