第56話:火はまた熾る


◆◆◆◆


 廃工場を表面上だけ改装したレース場。野良の三流ライダーたちがその日の生活費を稼ぐためだけに、ろくにメンテンナンスもされていない安物の竜にまたがり、竜やライダーよりも自分の賭けた金がどうなるかにしか関心のない観客が集う場所だ。

 格調高いドラゴンライディングとは比べるべくもないレベルとモラルの低下しきったここだが、今日はレースは行われていない。ばい煙で汚れた曇天を眺めながら、四人のライダーたちが地べたに座り込んでだらけているだけだ。周囲には空の安酒の瓶が転がり、限界まで吸われたタバコの吸いさしがスープの缶に突っ込んである。四人の名はそれぞれエリック、ジョセフ、ヘンリー、スティーブンである。全員がこのレース場で飛ぶライダーであり、その実力はほぼドングリの背比べだ。


「エミリア・スターリングは聖杯記念を断念。結果、アーサー・フィッツジェラルドの一人勝ちか」


 新聞を広げながら、ひげ面の男のエリックがそう言う。彼の目は、一面を飾る聖杯記念の結果を一応追っている。安酒で酔っているので、その視線はしょっちゅうぶれているが。


「クソ面白くないレースだったな」

「飛行船アルバトロス号を助けに向かって、竜嵐に突っ込めばそりゃ次のレースは駄目に決まってるだろ。勇敢なんだかバカなんだか」

「一つ分かってるのは、そのお嬢さんはとんでもなく金持ちってことだな。一回レースを休んでも充分食っていけるのがよく分かるぜ」


 残る三人も口々にろくでもないことを口にする。今プランタジネット中が聖杯記念の結果に沸いていることだろう。この湿気たレース場も、一応聖杯記念の結果に沸いてはいる。実にだらしなくて情けなくて魅力に欠ける方法ではあるが。


「まったくだ。俺たち三流ライダーとは、住む世界が違うんだよな」

「となると……飛行船を助けに向かったのも、アーサーに負けたくなかったからかもな」

「でも、エミリア・スターリングのコーチはあのジャックだぞ」


 一番人相が悪くて一番若いライダー、スティーブンがそう言う。ライダーというより、その辺のチンピラと変わらないいでたちと雰囲気だ。


「くそ、ジャックの奴、いいパトロンに拾われやがって」

「うらやましいよなあ。今頃あの男、すっかり上流階級気取りだぜ」

「あーあ。所詮生まれが違うってか」


 たちまち四人の愚痴はこの場にいないジャックへと向けられる。この四人のライダーは、全員ジャックがコーチとなって教えた連中だ。見ての通り、文句だけは人一倍多く、努力は惜しみ、才能もなく、さらに口が悪い上に態度も悪いというまさに人間のクズのようなライダーである。いやいやながら竜に乗ってレースに参加し、稼いだ金は速攻で使い切るのが日常だ。

 そんなろくでなしの目には、エミリアの献身は「アーサーとの勝負を避けるためにした逃走」にしか見えず、かつてのコーチのジャックは「うまいこと泥沼から逃げ出せた運がいい憎たらしい奴」にしか見えないらしい。四人がさらにジャックをやり玉に挙げて文句を言おうとしたその時だった。


「――おい、誰の生まれが違うって? この生ゴミ以下の怠け者ども!」


 その場に、五人目の声が響いた。四人が絶対、ここで聞くはずがないと思った声だった。いつも顔色の悪い男のジョセフが、はじかれたようにふらつきながらも立ち上がった。


「ジャ……ジャック!?」


 廃工場の壁に寄りかかって、くたびれたコートを着た男がそこにいた。男は呆れたように笑うと、右手の指を軋らせた。作り物の五指は本物と変わりなく滑らかに動く。


「ろくでなしどもが。俺がいなかっただけでこの体たらくかよ。いい御身分だなあ。ライダーのくせに、竜には乗りたくないが金はもらいたいってか。笑えないぜ」

「あ……あんたなんでこんなところにいるんだよ?」


 ヘンリーがジャックを指さして尋ねる。彼はこの四人の中で一番警察の厄介になっているこそ泥でもある。


「脳ミソまでかびが生えたかヘンリー? コーチがここにいて何が悪いんだよ、言ってみろ」


 ジャックが寄りかかっていた壁から離れた。つかつかと四人の方に歩み寄る。その足取りにはまったく迷いがない。まるで実家に帰ってきたかのようだ。


「コーチって……あんたエミリアのコーチだろうが!?」

「残念だったな。あいつの指導が一区切りついたから、今日から俺はこのゴミ溜めでお前ら粗大ゴミどものコーチだ。感謝しろ」


 その言葉に、エリックが忌々しそうに唾を吐いた。


「クビになったのかよ。スターリング家も薄情だな。使えるだけ使って後は知らん顔かよ」


 上流階級なんて恩知らずのろくでなしばかりだと思っているエリックにとって、ジャックがここに戻ってきた理由はクビになったとしか思いようがない。エミリアを育てる時だけ必要で、育ったら後は用済みとばかりにクビにしたんだと信じ込んでいる。


「バカ野郎。俺が自分の意志でここに戻ってきたんだよ」


 けれども、エリックの反応をジャックは鼻で笑い飛ばした。


「なんでだよ。向こうにいれば金も名声も女もいくらでも手に入るだろうが」

「監獄出身の貧乏ライダーが、背伸びして上流階級の真似事か? 笑えるぜ。無理だ無理」


◆◆◆◆


 ぽかんとした顔の四人を俺は改めて見つめる。揃いも揃って、よくもまあここまで典型的なクズになったもんだ。ライダーなんてのは名ばかり。頭は悪いし腕も悪いし素行も悪い。こんな廃工場を改装しただけのレース場で、賭けレースに出るのがお似合いの連中だ。でも、俺はここに戻ってきた。

 確かに俺は、エミリアを育てることができた。ギャロッピングレディと揶揄された彼女を、聖杯記念にまで導くことができた。でもそれは世間の評価だ。俺の実力以上の成功でしかない。俺が何をした? せいぜい、エミリアが竜嵐の中でも飛べるように教えただけだ。彼女の栄光は、全部彼女が自分の力で勝ち取った花冠だ。そんな俺が、上流階級なんて息の詰まりそうな場所に居場所があるわけがない。


「それに、俺がどやしつけてやらないと、エリックもジョセフもヘンリーもスティーブンも、まともに飛ばないからな。ほら、分かったらさっさと立て。トレーニングの時間だ。文句あるか?」


 俺はそう言ってにやりと笑う。ああ、本当に世話が焼ける連中じゃないか。自主練なんて天地がひっくり返ってもやらないゴミどもだ。かつての俺に、そして今の俺にも――お似合いだ。


「……バカだよあんた。俺たちみたいなゴミにかかわっても一文の得にもならないぞ。こんなところに戻ってくるなんて、俺たちのところに帰ってくるなんて、正真正銘の大バカ野郎だ」


 ジョセフが困ったような顔でそう言った。あきれてものも言えないような態度だが、その言葉の端々には嬉しさのようなものがたしかにあった。残る三人も、互いの顔を見合わせて落ち着かない様子だ。


「俺だってゴミだったさ。一銭にもならない正真正銘の燃えカスだったが、なんの因果かまた飛べるようになったんだ。お前たちだって、そうならない理由はないだろう?」


 何が「一文の得にもならない」だ。そんなこと百も承知だ。でも、俺だってそうだったんだ。手を差し伸べても、救い出しても、なんの得にもならないゴミだった俺が、あの子の差し出した手を握り締めて立ち上がれたんだ。こんな幸運を、俺だけが独り占めにするなんて絶対にできない。

 俺の中には、リチャードの竜炎が今も燃えている。魂を燃やす炎は継がれていく。エリックは酒浸り。ジョセフは肺病。ヘンリーはけんかっ早い。スティーブンは盗み癖。でも――やればもしかしたら素晴らしい何かが開花するかもしれない。たとえ開花しなくたって構わない。俺をエミリアが身を挺して引き上げてくれたように、俺だってできるはずだ。


「くそ――いいぜ! やってやるよ! やればいいんだろ!?」


 半ば自棄で、半ば嬉しそうにスティーブンが叫んだ。


「なあお前ら、この呆れた物好きのコーチに一つご指導願おうじゃないか!? 一から飛び方を教わろうぜ!?」


 スティーブンが振り返ると、エリック、ジョセフ、ヘンリーがそれぞれ大きくうなずいた。


「ああ!」

「いいぜ!」

「やってやろうじゃないか!」


 四人の炎は小さいかもしれない。見えないほどかすかかもしれない。小さなそよ風にさえ吹き消されるわずかな熱かもしれない。でも、それでも、竜炎であることには変わりはない。俺の愛した炎だ。リチャードの愛した炎だ。エミリアの愛した炎だ。俺たちの魂に燃える炎と同じなんだ。

 なあ――エミリア。俺だって君みたいに、炎を燃え立たせる者になりたいんだよ。


「ほう――言ったな、ゴミども」


 四人の決意を受け取り、俺は今度こそ満面の笑みを浮かべた。きっと四人の目には、俺がかつて監獄でさんざん目にした、鬼のように厳しかった教官の笑みと同じものが写っているに違いない。


「あ……」


 後ずさりして早くも逃げようとする四人に、俺は怒鳴る。


「ようし、覚悟しろ! 本場監獄流のしごきってものをお前らに叩き込んでやる! いいか、口からクソを垂れ流して尻から脳ミソをひり出すまで一人も竜から降ろさないからな!」


 俺が義手を振るうと、内蔵されたフラスコから竜炎が燃え上がり、黄金の炎と共にインディペンデンスが姿を現す。俺の素敵な相棒は、四人の逃げ道をふさいで唸り声をあげた。途方に暮れた様子で俺を見つめる四人に、俺は嬉々として叫んだ。


「さあ、遠慮なく翼で語ろうぜ!」


◆◆◆◆


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