第54話:空を望む
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猛烈な風雨の中、私はエンタープライズを駆る。竜の加護は私だけでなく、片方のエンジンが不調のアルバトロス号も守ってくれている。本当に、エンタープライズは優しい竜だ。私の指示に応えて、見ず知らずの人たちも助けようとしてくれている。
「こちらアルバトロス号! 勇敢なライダー、聞こえるか!?」
「ええ、聞こえるわ!」
私の耳につけた簡易通信機の波長が合ったのか、アルバトロス号からの通信が聞こえた。
「あと少しで竜嵐を抜けるわ! 気を抜かないで!」
私は大声で通信に応える。
「了解している。現在風洞装置の稼働が――」
その時、どたばたと大きな足音のようなものが通信士の声に交じると……
「おいあんた! あんたエミリア・スターリングだろ!? そうなんだろ!?」
野太い男の人が混じってきた。状況は分からないから想像するしかないけれども、通信室にいきなり乱入してきたんだろうか。
「おい通信中だ、割り込むな! あ、こらマイクを離せ!」
「いいだろ少しくらい! まさか聖杯記念を放り出してあんたが助けに来てくれるなんてなあ! この命知らずの女神様! あんたは本物のギャロッピングレディだぜ!」
機関士かそれとも接客係か分からないけど、窓から私とエンタープライズの姿が見えたんだろうか。だとしたら、ずいぶんと目のいい人だ。ファンなのは嬉しいけど、いきなり通信に割り込むのはちょっといただけない。
「そのあだ名はもう賞味期限切れよ」
私がそう言うと、通信の向こうでその男の人は大笑いする。
「ははは、その通りだ! こんな間近であんたのフライトを見られて、俺は満足だぜ! いつ死んだっていい!」
「それは困るわね。できれば私のことをもう少し宣伝してほしいかしら。何しろ私――聖杯記念にはもう出られないでしょうから」
私は軽口を叩く。本気で売名がしたいわけじゃないけど、だからといって無名で終わりたくはないのは私の本音だ。何しろ、冒険家の先導者になるにはそれなりに名の知れたライダーでなければだめだ。今私は竜嵐に飛び込んだことで、絶対に聖杯記念には出られない。それでも私が先導者に推薦されるには、やっぱり有名になる必要があるのは事実だ。
竜嵐の切れ間が見えてきた。アルバトロス号がそちらへと向かう。同時に、竜炎を介した通信が聞こえてきた。
「こちら救命ライダーチームリーダー! エミリア・スターリング! あなたの奮闘に感謝する!」
目を下にやると、ライダーを乗せた竜の一団がかすかに見える。どうやら、救援は間に合ったみたいだ。ベテランチームじゃなくても、ここまでくればもう安心だ。
「ええ、誘導をお願いするわね!」
激しい雷鳴に負けないように、私は声を振り絞ってそれに応じた。大きく手を振ると、リーダーと思しき先頭のライダーが手を振り返した。
「ここから先は本職の仕事だ。後は任せよう」
ジャックの声が竜炎を通じて聞こえる。振り返ると、私の背後に黄金の鱗の竜にまたがったジャックの姿が見えた。
「そうね。ジャック……どうしたの?」
「いや……少し、いろいろあってな」
ほんの一瞬彼の気配は竜嵐の中に消えた。でも心配する前にすぐに元に戻ったけれども、あれはなんだったんだろうか。歯切れの悪い彼の言葉に私が疑念を抱く前に、彼の声が続いた。
「待て――何か来るぞ」
下降して遠ざかっていくアルバトロス号と入れ替わるようにして、雷雲の中から揺らぐようにして姿を現した竜とライダーがいた。白い仮面をつけたそのライダーには見覚えがある。
ファントム。アンヌン大渓谷での飛行試験に乱入して、さんざんにひっかき回した果てに私に叩き落されたはた迷惑なライダー。それよりも、彼の乗っている竜に私は目が行く。骸骨のようにやせ細った不気味な竜、イラストリアスではない。灰色の鱗と甲殻に覆われたその姿は、私が幼い頃に見た姿と変わらない。
「グレイゴースト……」
私のつぶやきを竜炎を通じて聞き取ったのか、ファントムの誰でもない声が耳元で聞こえた。
「一緒に来たまえ」
それだけ言うと、幻影のようにグレイゴーストの姿は上昇していった。激しい雨風をすり抜けるかのようにして昇っていくその姿は、本当に幻影か亡霊のようだった。
「どう思う?」
あまりにも唐突なグレイゴーストの出現に、つい私はジャックに判断を仰いだ。
「行ってこい。ただし、罠だと分かったらさっさと帰ってこい」
「分かったわ」
私はエンタープライズの手綱を取り、グレイゴーストの後を追った。まるで実体がないかのように、グレイゴーストの姿は竜嵐の中でも揺らぐことはない。
違う。まるで、グレイゴーストが通った後に道ができているみたいだ。竜と竜嵐が根源を同じくするのならば、グレイゴーストはこの竜嵐の一部みたいなものなのだろうか。私は導かれるようにしてグレイゴーストに続く。幼い頃に見た、あの憧れにこうして追随するなんて不思議な気持ちだった。
気塊の迷宮を抜け、猛烈な気流に乗り。そして上へ。さらに上へと。その先には――
――青空が、あった。
重たくのしかかる雨雲を抜けたその先には、信じられないほどに青く爽快な大空が広がっていた。
私は思わずガスマスクをはずした。大きく深呼吸すると、あのいつもわずかに付きまとう肺の不快感がない。ここの空気は、少しも汚れていない。ばい煙のない青空。清浄な空気。空を見上げれば、まばゆい太陽が輝いている。ここがフェルギュスのはるか上空なのか、それともどこか離れた場所に飛ばされたのかは分からない。
でも私はついにたどり着いた。初めて見る、初めて感じる本物の空に。私の渇望していた場所が、ここにあった。
「ああ――これが見たかったの。私は――この景色が」
知らずに涙がこぼれた。聖杯記念に背を受けた私は、思いがけずこの望んだものを目にしていた。
「エミリア、エミリア!」
後ろを振り向くと、ジャックと彼の乗る竜インディペンデンスの姿があった。
「ジャック! ついてきてくれたのね!」
「君が心配でね」
彼はそう言うと、私のエンタープライズとくつわを並べる。この距離ならば、もう竜炎の共鳴作用を使わなくても言葉を交わすことができる。私は首を横に向けて、彼の乗る竜をじっくりと眺めた。
私の乗る白銀の竜エンタープライズと、ちょうど正反対の黄金の竜インディペンデンス。外見も正反対だ。私のエンタープライズが細身ですらりとしていてスピードを追い求めた姿形なのに対して、ジャックの乗るインディペンデンスはがっしりとしていて頑丈そうで、安定感にあふれている。
「改めて見るけど、それがあなたの本当の竜なのね」
彼の乗る竜は、ジャック・グッドフェローという人物の一部のように合致していた。私を指導していた時の、あの量産型の竜とは大違いだ。もちろん量産型の竜が悪いわけじゃない。けれども、あの竜は誰でも乗れることに特化している。一方で、このインディペンデンスは、まさにジャックの乗るべき竜といった雰囲気だった。一人と一匹の間に、確かなつながりがあった。きっとそれは、私とエンタープライズとの間にもあるものだろう。
「ああ、こいつがインディペンデンスだ。俺の大事な相棒だよ」
ジャックは誇らしげにインディペンデンスの首筋を軽く叩く。その仕草は、彼が一度も量産型の竜に見せたことのないものだった。長い長い時間を経て、ようやく彼は、彼だけが乗るべき竜の背に戻ってきたのだということが、私にも分かった。
「よろしく、インディペンデンス。あなたに会いたかったわ」
私がそう言うと、インディペンデンスは大きなネコのように喉を鳴らした。ごつごつとした見た目と違って、なんだか人懐っこい感じにも見えるのが可愛らしい。エンタープライズが鋭く一度鳴いた。警戒しているのではなく、新愛を込めた挨拶だ。
「……あなたはなくしたものを取り戻したみたいね」
私は改めてジャックを見た。外見にどこも変わりはない。でも、何かが決定的に違うのが私にはよく分かった。初めておばあ様に紹介された時から、ずっと彼を見ていたのだ。ジャックの中にずっとあった、重たくて鋭かった痛みが、もうどこにもない。きっと彼は、なくした右腕を見つけ出したんだろう。
「そうだ。俺はここでリチャードに会った」
ジャックの突然の告白にも、私は驚かない。竜嵐が神秘の具現であることは知っているし、彼の痛みを取り去る一番良い方法がそれであることも分かっていたからだ。不思議な偶然と必然と何度となく繰り返して、ついに彼は亡くなった親友と再会を果たしたんだろう。そういう奇跡みたいなことが、一生に一度くらいはあったっていいと思う。
「俺の傷も罪も痛みも、あいつが空の彼方に持っていってくれた。最後まで、あいつは俺の親友だったんだ」
「ジャック……」
初めて、私は彼の晴れやかな顔を見た。一抹の悲しさがそこにはあったけれども、それさえも静かに風が吹き散らしていく。
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