第51話:旅路の終わり
◆◆◆◆
一瞬意識が飛んだ。
目を開けるとそこは雲海の上空だった。すがすがしい青空が広がっている。恐ろしいほどの無音。超高速で竜嵐の上空にまで飛ばされた――とは思えなかった。
(おいおい、冗談だろ。知らないうちに俺は死んでいたのかよ)
俺は頬をつねってみた。痛い。
「おいインディペンデンス。ここがいわゆる天国って奴か?」
思わず俺は相棒の首筋を叩いてそう聞いてみた。インディペンデンスは「何を言ってるんだこのバカは」と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「竜嵐に巻き込まれて何千キロも先に一瞬で吹っ飛んだとか、数年前にタイムスリップしたとか、見たことのない別世界に飛ばされたとか噂があったが――まさか俺がそうなるなんてな」
俺はライダーたちの間でまことしやかに語られた噂の数々を思い出す。確かに竜嵐は神秘の現象だ。ただの気象じゃないことは知っていた。だが、それは神秘主義者が語る怪しい仮説だと思っていた。しかし、我が身が実際にそれに遭遇してしまっては、竜嵐の神秘性については納得せざるを得ないようだ。
インディペンデンスは何かを見つけたように進む。
「そっちに何かあるのか?」
いや、俺は予期していた。なぜなら、失った右腕が痛むからだ。手綱を持つ手が震える。
それにしても静かだ。時が止まっているかのようだ。もしかすると、ここは本当に時が止まっているのかもしれない。
――俺は竜炎の熱を感じた。竜の翼が作り出す音も聞こえる。この音と熱は片時も忘れたことはなかった。
上空から、一頭の竜が降下してくる。深紅の鱗に覆われた過激なデザインの竜。その背には、一人のライダーが乗っていた。
「よう――相棒。まだ、飛んでいたんだな」
俺の唇は、俺の意思とは正反対に軽薄な言葉を紡いでいた。まるで、あの日の別離などなかったかのように。
竜の名はトライアンフ。
ライダーの名は、リチャード・ウィルキンソン。
死んだはずの、俺の相棒が竜に乗ってそこにいた。
◆◆◆◆
トライアンフは、俺のインディペンデンスの前に降り立った。リチャードは、あの日のまま何も変わっていなかった。唾を飲み込む。動悸が痛みと共に激しくなる。彼の手には、アームの槍が握られていた。俺はその切っ先に目をやった。殺人を意図した武器ではないが、やろうと思えば俺を刺し殺すことだって可能だろう。俺は恐れると同時にほっとしていた。
やっと――やっと、この罪悪感から解放される。
ここで、けりをつけてくれるんだろう。当然の報いが来るまで、あまりにも長かった。
リチャードの顔は無表情だった。死人ってのは感情がないらしい。ファントムは嫌味なくらい多弁だったが、あいつの言葉は全部空虚だった。これが自然なんだろう。
「俺が許せないのか? そうだろうな。俺だって俺が許せない。こうなるのは当然だ」
俺は両手を広げた。
「さあ、連れて行ってくれ。お前を見殺しにした報いだ」
こんな変な所にいるんだ。どうやら俺はもう死んでいるらしい。それにしても、天使の代わりに空に残ったリチャードが迎えに来るのか。悪い冗談だ。
わずかに――未練が心の中で疼く。
(すまない、エミリア。俺はこの辺りで退場がお似合いらしい。立派な先導者になれよ)
俺は目を閉じずに、リチャードの槍が俺を竜から突き落とすか、それとも心臓を貫くか、そのどちらかが訪れる時をただ待ち続けた。
「俺には――未練があった。それが果たされるまで、ずっと空に囚われていたんだ」
予想していた一撃の代わりに、リチャードは口を開いてそう言った。生きていた時は多弁で感情豊かだったリチャードだったが、今のこいつの声にはなんの感情もなかった。
「幽霊も大変なんだな」
「幽霊じゃない。俺は残響だ。竜に食われて空に残った、リチャード・ウィルキンソンだった人間の最後の一小節だ」
「詩的だな」
俺はそう言うしかなかった。何を言えばいい? 相手は死人だ。残響だかなんだか知らないが、俺からすればとにかく死人だ。今更詫びてもなんの償いにもならないし、謝ったところでこいつが生き返るわけじゃない。俺はただ、リチャードに合わせるしかなかった。
「お前の口から聞きたいことがある。俺たちが運んだあの薬、あれは間に合ったのか? あの女の子は――助かったのか?」
「知らないのか? ファントムはすべてのライダーの記憶なんだろ?」
あのファントムは、空を飛んだライダーの記憶の集合体らしい。ファントムは言った。「私は君自身でもある」と。俺が知っていることを、ファントムでもあるリチャードは知らないのか。
「俺はファントムじゃない。あんなふざけたのと一緒にするな」
リチャードは無表情を止め、わずかに苛立たしそうな仕草を見せた。そりゃそうだろう。こいつとファントムはどう考えても相性が悪い。
「どうなんだ?」
リチャードに急かされ、俺は正直に答えた。
「ああ、助かったよ。お前の分の薬は失われたが、俺の運んでいた薬で重病の人たちの命は助かった。あの女の子もだ」
俺がそう言うと、リチャードは静かにうなずいた。
「そうか――よかった」
何がなんだか俺は分からなかった。リチャードは何がしたいんだ? こんな変なところに俺を呼びつけて、したいことはただの質問なのか? 俺をあの世に引っ張っていくんじゃないのか?
「それが未練か? もっと他にあるだろ? 正直にさっさと言えよ」
不安がこみあげてきて、俺はついそう言う。
「急くなよ。ここでは時間なんてあってないようなものなんだ」
鷹揚にリチャードは応じる。俺が急き立てて、リチャードがそれをなだめる。まるで……昔に戻ったみたいなやり取りだ。そのことに気づき、俺は胸が締め付けられるように痛む。
そして、リチャードは深々と俺に向かって頭を下げた。
「――――済まなかった、ジャック」
「…………え?」
「俺は、約束を守れなかった。お前をずっと苦しめていた。どうか許してくれ、ジャック」
俺は当惑するしかなかった。かつての相棒が、死んだ親友が、なぜか俺に謝っている。そんなはずはない。どんな都合のいい夢でも、こんな場面は見たことがない。いや、見たくない。
「な……なんでお前が謝るんだよ。謝るのは俺の方だ! こっちのミスでお前を死なせたんだよ、俺は!」
リチャードが頭を上げた。その顔は呆れたような表情を浮かべていた。
「おいジャック、お前、記憶力が悪くなったなあ。思い出してくれよ、監獄時代のことを」
「い、いきなり話が飛ぶな……」
「忘れたとは言わせないぞ。お前と一緒に嵐の中を飛んで、教官にどやされた時のことだ。渋るお前に俺はなんて言った?」
◆◆◆◆
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