第41話:その名は『隻翼』
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「ブルーローズ杯以降、すっかり報道陣は君に執心だな、エミリア」
エリザベスの屋敷の居間で椅子に座り、俺とエミリアは今後の予定を立てつつ過去の記録を見返している。正確には、過去の新聞を見返している。重篤な竜症をはねのけて再び栄光へと一歩一歩歩みだしたエミリア・スターリングというライダーは、報道する側としてはこれ以上ない逸材だったらしい。ドラゴンライディング関連の記事には、大抵エミリアの名がどこかに載っている。その数は、あの『英雄』ことアーサーに並ぶんじゃないだろうか。
「あなたの指示に従っただけよ。責任、取ってくれる?」
「君が望むならな」
俺とエミリアは軽口を叩きあう。
「冗談よ。そのうち飽きるわ。私よりももっと見栄えがして面白い偶像を見つけたら、すぐにそちらに飛びつくでしょうね」
「君が面白いかどうかは分からないが、とても見栄えがするのは事実だな」
俺は慣れない世辞を口にする。彼女の竜を操る技術を誉めることは自然と口に出るが、その外見や女性としての魅力を口にするのは少し気恥ずかしかった。
「ありがとう。あなたが言ってくれると嬉しいわ」
幸い、エミリアは茶化さないで素直に受け取ってくれた。
「そうなのか?」
「私だって女の子よ。おしゃれもしたいし、きれいなドレスやアクセサリーは人並みに好きよ」
「意外だ」
なんとなくエミリアは、そういう年頃の女の子が興味を持つようなものに無縁だと勝手に思い込んでいた。ドラゴンライディングにのめりこみ、着飾ることには興味がないと思っていたが、それは俺の妄想だったらしい。考えてみればずいぶんと失礼な妄想だ。いつもエミリアは身だしなみにきちんと気を使っていたのに。きれいなドレスを着てアクセサリーを品よく身に着けたエミリアを想像してみる。きっと、昂然と燃える竜炎のような美しい少女だろう。
「ジャックはおしゃれは……ああ、言わなくて結構よ。見れば分かるから」
俺を見てわずかにエミリアはため息をついた。
「俺にとって服なんてものは、シャツは袖を通せて、ズボンは尻に穴が開いてなければそれで充分だ」
「一段落したら、ジャックに礼服を買ってあげるわ」
「エミリア、君は俺の母親か?」
俺がついそう言うと、エミリアは楽しそうに笑う。
「ふふ、今の言葉、ランカスター賞の時にも聞いたわ」
「ああ、そうだ。懐かしいな」
俺がエミリアのコーチとなって、最初に挑戦したレース。あの時の狂気のような逃げ一辺倒のエミリアの姿は、今も俺の記憶に鮮やかに残っている。思えば、遠くまで来たものだ。あの時の俺もエミリアも、今の俺とエミリアとは別人だ。
「ええ、私がここまで来られたのは、あなたのおかげよ」
「俺は大したことはしていない。むしろ、俺の方が君に助けられてばかりだった」
「ありがとう、ジャック」
エミリアははにかんで笑った後、不意に話題を変える。
「ねえ――今、私たちのことを世間じゃなんて言ってるか知ってるかしら?」
少し前のめりになって、俺に顔を近づけるエミリア。
「ああ。『隻翼のドラゴンライダー』だ。名付け親はなんと君のおばあ様だとさ」
知らないわけがない。かつてギャロッピングレディと言われたエミリアの今の二つ名は『隻翼』。少し長く呼ぶならば、『隻翼のドラゴンライダー』だ。巷では彼女のことをそう呼んでいる。俺も何度か耳にした。
「隻翼――つまり一枚だけの翼で空を飛ぶライダー。竜症という苦痛を伴う病気を背負い、過敏症のためにガスマスクをつけてレースに参加し、不自由な翼で自由な空を目指す。君にぴったりの通称だ」
おそらく、取材陣がオールドレディにインタビューしたときに彼女が口にしたのが始まりで、皆に広まったんだろう。確かに、エミリアの歩んできた道のりを思うと、隻翼という通り名は彼女にふさわしい。非の打ち所のない無敵のライダーであるアーサーは『英雄』。翼をもがれるような苦難からよみがえったエミリアは『隻翼』。まったく、ぴったりの名前があるものだ。
「ええ。私は片方だけの翼でも空を飛んでみせるわ。でもね、この通り名、あなたにもふさわしいと思わない、ジャック?」
「俺がか?」
「あなたも、空で片腕を失ったライダーですもの。それを取り戻しに、もう一度空に挑んでいるんでしょう? だとしたら、私たちは二人で一人の『隻翼のドラゴンライダー』よ」
あの時。アイルトンカップの棄権という現実に打ちのめされた俺に、エリザベスは言った。「片腕を失ったコーチと、壊れかけた翼――隻翼のドラゴンライダー。二人で一人と言ったところかしら?」と。東洋には、一枚しか翼のない鳥の伝説があるらしい。だから番は寄り添って飛ぶのだとか。
「お互い、一枚しか翼がないのだとしたら、一緒に飛ぶしかなさそうだな。悪いな、こんな冴えないライダーがペアで」
聞こえはいいが、エミリアからすれば物足りないだろう。何しろ相手がこの俺だ。俺には華々しい成績もなければ、魅力的な外見もない。ただの片腕の元救命ライダーだ。
「あら、ダンスはペアで踊るものよ。これをダンスだと思えば、楽しいフライトになるんじゃないかしら」
なのに、エミリアは笑ってそう言ってくれた。その笑顔にほっとするが、だからと言って彼女の手を取ってダンスとしゃれこむ気にはなれない。
「ダンスは苦手だ」
俺はコーチだ。彼女が空へと舞い上がるさまをこの目で見るだけで十分だ。俺が手にするべきなのは、あの時失った右腕の方なんだ。
「それに、もしあなたが一枚じゃなくてきちんとした二枚の翼を持っていたら、私は一人で、たった一枚の翼で空を飛ばなくちゃならなかったでしょうね」
「君はそれでも飛んだだろう?」
「もちろん。でも、フライトの際に不測の事態に備えるのは、冒険家を導く先導者として当然でしょう? あなたと一緒に飛べるなら、体力を温存できるもの」
なかなかエミリアも頭が回る。そういうふうに言われるとは思わなかった。俺は左手で義手の付け根を撫でる。思えば、この作り物の手との付き合いも長くなった。以前とは違ってちゃんとメンテナンスをするようになったから、感覚のフィードバックは良好だ。
「君を支えられるなら――俺も片腕になった意味があったのかもしれない」
万感の思いを込めて俺はそうつぶやいた。あまたの痛みがあった。あまたの苦しみがあった。死別。絶望。諦観。自棄。二度と体験したくない、できることなら忘れたい過去だ。それらに意味があったとしても、簡単に肯定なんてできない。もし俺がいけしゃあしゃあとそうすれば、きっと俺は九十九人の敗者を踏みつけて得意げに百人目の勝者を気取るゴミでしかない。
でも、それでも。俺は思う。俺が片腕を失うことによって、エミリアを支えることができたのならば、それは誇れることなのだろうと。
しかし、俺の言葉を聞いてエミリアはさっと青ざめた。
「ごめんなさい。ジャック、私、そういうつもりじゃ――ううん、本当にごめんなさい」
俺が腕を失った時の苦痛を、エミリアは覚えていてくれた。決して軽々しく扱う話題じゃないと思ってくれたんだろう。だから、エミリアは慌てて俺に謝る。しかし俺は首を振った。
「笑ってくれ、エミリア。俺はようやく、この腕でよかったと少しだけ思えたんだ」
そう、それは少しだけだ。でも、少しだけでいいじゃないか。気の迷いみたいなものだ。俺の苦痛を他人が「それが誰かのために必要だったんですよ」と訳知り顔で言うならば一笑してやる。でも、ほかでもない俺よりも苦しんだエミリアを少しでも支えるためならば、それは確かに価値があるはずなんだ。
「……ジャック。あなたは冴えないライダーなんかじゃないわ。あなたは優しくて、思いやりがあって、人の痛みが分かって、自分の辛さを人を元気づけるために使える、とても立派なライダーよ。あなたは私の誇り。私の最高のコーチよ」
ややあって、俺にはもったいないくらいの誉め言葉をエミリアはかけてくれた。まるで思春期の少年みたいに照れ臭くなる。
「ありがとう、エミリア。俺を泥沼から引き上げてくれて」
人から褒められるのは慣れていない。心にもない言葉は聞いていてかえって不快だ。でも、エミリアの言葉はそんな有象無象とは違う。そして、きっとエミリアのこの高潔な心意気は、俺一人が独占していいものじゃない。
「君はそうやって、これからもきっと沢山の人を救い出していくんだ。君こそ俺の誇りだ」
……そしてそれは本当だった。
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