第17話:竜の病02
◆◆◆◆
一方的な決定に、エミリアが噛みついた。
「勝手に決めないで!」
彼女がベッドから起き上がろうとしたので、慌てて俺は叫んだ。
「やめろ! そこで寝てるんだ!」
「私は出場するわ! エンタープライズと一緒に飛びたい! アーサーに負けてもいい! 最下位でもいい! 勝負する前から逃げるなんて絶対に嫌なの!」
エミリアの気持ちは痛いほどよく分かった。だが、だからと言ってレースに出られるわけがない。その事実をエミリアが受け入れられないのを百も承知で、俺は正論だけを口にする。
「その体でどうやって飛ぶんだ」
「飛べるわ! エンタープライズが一緒に飛んでくれる!」
「いい加減にしろ、お嬢さん。俺は理想論も根性論も信じない、金さえもらえればそれで満足する下らない男なんだよ。泣き落としは通じないぞ」
「飛べるかどうか、試してみないと分からないでしょ!」
「そんな重い竜症のライダーが飛ぶなんて聞いたことがない。少なくとも、レース前には検査がある。呼気の『竜因』の量を調べられて一発でアウトだ」
竜因。竜とライダーのつながりだ。これがあるからライダーは竜を駆ることができる。逆に言えば、これを多量に体内に取り入れると一種のドーピングになる。竜症は、体内の竜因が暴走した状態だ。竜嵐に巻き込まれたライダーのようなものだ。普段よりも力を発揮できるが、れっきとしたルール違反だ。エミリアの意志とは無関係に、今の彼女はドーピングをした状態だ。間違いなく検査に引っかかって飛べない。
「う……ううぅぅぅ!」
エミリアが、まるで絞め殺される獣のようなうなり声をもらした。泣き声などという生易しいものじゃなかった。苦しさ、悔しさ、怒り、悲しみ、やり場のない感情が全部そこにこもって煮えたぎっている。
「一生に一度のレースなのよ! このチャンスを逃がしたら二度と出られないのよ!」
うつ伏せになり、エミリアは枕を拳で何度も叩く。
「知ってる」
「ここまで努力してきた! ずっと、ずっと、頑張ってきた!」
「知ってる」
「あなたと一緒なら勝てると思ってた! 本当に……本当になんで今なのよ!」
今、エミリアは何かに感情をぶつけたくてしょうがないんだろう。俺ならそうだ。だからこそ、そのぶつけられる役は俺が一番ふさわしい。
「そういうもんだ。君だけが特別なわけじゃない。誰だってこういうことは起こる」
言っていて、俺は自嘲した。
(どうだい、神様。最高の人でなしでろくでなしの言葉だろう? あんたなら、百点満点をくれるかい?)
エミリアが俺の方を振り返る。涙で汚れた顔は、理不尽さに対する怒りに燃えていた。再び、彼女は奥歯を噛みしめてうなる。本当に、人ではなくて手負いの獣がそこにいるかのようだった。
「バカ! 臆病者! 恩知らず!」
俺に枕が投げつけられる。当然俺はよけない。
「好きなだけ罵ってくれ。全部、俺にはお似合いだ」
「そんなだから……そんなだから……あなたは竜に見放されるのよ! 空を飛ぶ資格なんてない大嘘つき! 分からず屋!」
笑えることに、あれだけ望んでいたのに、俺はエミリアに罵られて悲しかった。そんな資格なんてないのに、むしろ罵倒されてふさわしいと思っていたのに、なぜか胸が痛んでしまった。
「私を……私を一位にしてくれたのに! 最下位常習者の私を信じてくれたのに! 私が冒険家になれるって言ってくれたのは嘘だったの!?」
「お嬢さん、君は俺のことを分かっていない。俺は君が今言った言葉よりももっとどうしようもない、最低で最悪のクズだ」
ああ、そういうことか。俺は、本気でエミリアをレースに出させたくなかったんだ。
「だけどなあ、クズでもものの道理くらいは分かる。なぜ俺が君を絶対にレースに出させないか分かるか?」
枕元に歩み寄った俺と、怒りに燃えたエミリアの目が合う。冷えきっているであろう俺の目とは対照的な、溶岩のように熱い目だった。
「病人が空を飛んで、落ちたらどうなる? ネットが受け止めてくれるか? 制御を失ってネットの外で落ちたらどうなる? 脳ミソまき散らした上に竜炎に焼かれて死ぬぞ」
たとえ俺たちがエミリアの竜症を見なかったことにして、わいろをつかませて呼気の検査をごまかして、それでなんとかアイルトンカップにエミリアを出場させたとしよう。ばれたら俺が「教え子が勝つって知り合いとギャンブルをやってたんで、勝手に嘘ついて出させました」って言えばごまかせるかもしれない。
だけど、これだけは譲れない。俺がそんなことをしたせいで、レース中のエミリアにもしものことがあったら。レース中に意識を失ってコースを外れ、真っ逆さまに地面に墜落したら。
俺はまた、自分のせいで人を殺したようなものだ。
それだけは、お願いだから俺に味わわせないでくれ。
俺の安っぽいこの命だけじゃ、償えないくらいの罪なんだよ、それは。
「もう嫌なんだよ。俺のせいで誰かが死ぬのは」
気が付くと、俺はそう言ってしまっていた。正論で武装した、憎まれ役だったはずの俺は、ついそう口走っていた。
「……ジャック」
エミリアのやり場のない怒りが、わずかに収まった。
再び、聞くに堪えない咳。
口を押さえつつ、エミリアは俺に言った。
「出て行って……。おばあ様と一緒に今すぐ」
それが、エミリアの今できる最低限の譲歩だと分かった。
「ああ、分かった」
エリザベスを見ると、彼女は静かにうなずいた。部屋を後にしつつ、俺は最後にもう一言だけ言った。このことは、エミリアの意志ではなく俺が決めたことだと言いたかったからだ。
「アイルトンカップの棄権は、俺の方でやっておく」
返ってきたのは、悲鳴のような大声だった。
「出て行ってって言ってるでしょ!」
エミリアの叫び声は、まるで耳鳴りのようにいつまでも俺の耳に残っていた。
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