第7話:ランカスター賞
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ランカスター賞の当日は晴れだった。
「見て下さい! 今日はまるで、主もこのレースを祝福しているかのような晴天に恵まれました! 次代を担うライダーたちの戦いが幕を開けようとしています! バラと竜を何よりも愛したランカスター侯にちなむ胸躍るレースが間もなく開始です!」
会場に響き渡る拡声器を用いた司会者の声。熱水を用いた技術はどんどん進歩している。今はライダー以外の人が空を飛ぶには飛行船が主な方法だけど、いずれプロペラ機が主流になるという見方もある。でもそれは、ますますこの空がばい煙まみれになるということに等しいだろう。私は司会者の騒がしい声を煩わしく思いながら、空を見上げる。
「あの人には、この空が青空に見えるのかしら。うらやましいわね」
私には、この青空は曇って見える。澄んだ空気なんかどこにもない、息を吸うだけでわずかな不快感が喉から肺に伝わってくる。でも、ほとんどの人はばい煙を「仕方のないこと」で済ませている。みんな鈍感だ。それがうらやましく思うけれども……
「ううん。うらやましくなんかない」
私は首を振った。そうだ、うらやましくなんかない。そう思うしかない。過敏症で苦しむ私も、青い空が見たくて仕方がない私も、ばい煙が煩わしくてしょうがない私も、全部私だ。
「調子はどうだ、エミリア」
ライダーが待機する控えに、ふらりとジャックがやってきた。いつも同じ格好だ。もしかして、一張羅以外持ってないのだろうか。……いつか、礼服を買ってあげようかしら。
「ジャック、来てくれたのね」
「仕事だからな」
不愛想そのものの口調で彼は私に近寄る。くんくんと匂いを嗅いでみたけど、お酒の匂いはしない。
「うん、飲んでないわね」
私が満足してうなずくと、ジャックは呆れかえった顔をした。
「君は俺の母親か? とにかく、作戦通りに行こう」
「ええ」
そう。作戦通り。今日のランカスター賞は、私はジャックと打ち合わせた通りに飛ぶつもりだ。おそらく、この格調高いレースに出るライダーが誰一人取らないような戦法で。
「しかし、本当によかったのか?」
今になって、少し心配そうな顔でジャックは私を見た。やっぱりこの人はひねくれてしまっているだけで、根は常識人だ。
「私はアーサーと違って、拍手喝采が欲しいわけじゃないの。勝ち抜いて、冒険家のチームに推薦されること、冒険家を導く先導者になることが目的。お上品なレースは性に合わないわ」
そう。私はアーサーのように、ライダーとして大成したいんじゃない。私はその先に行きたい。まだ未踏の場所に夢とあこがれだけで突き進んでいく冒険家。彼らは国家によって援助され、厳正な試験を経て任命される。彼らを空から導く先導者。伝統的に優秀なライダーに与えられるその仕事に、私は就きたい。本当の空を見るために。
「オールドレディ……なんと言うか、すまん」
迷いなくそう言う私を見て、ジャックは天を仰いだ。困り果てている彼を見て、私は思わず笑ってしまった。
「ふふ、おばあ様もご自分の判断に責任を取ってもらわないとね」
だんだんと会場がざわつきだした。フライトの時間が迫ってきた。
「行ってくるわ」
私は気合いを入れてうなずく。その瞬間、ジャックの終始不機嫌そうだった顔が真面目なものに戻った。きっと、ずっと前に彼が空を飛んでいた時の顔だ。
「ああ、勝ってこい。ライダーらしく、翼で語れ」
『翼で語る』それは、ライダーたちの間で使われる言葉。いろいろな意味があって、一言では言い切れないけど、ここぞというときに使う言葉だった。
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俺は関係者の席にどっかりと座り、スタート地点を見つめる。できれば片手に酒瓶を持ちたかったが、飲んでる俺を見たらエミリアが烈火のごとく怒るだろうからやめておいた。
ドラゴンライディングが始まる。古くは竜に乗る騎士が主君に捧げる武闘だったこれは、今は全世界が熱狂するスポーツになり果てている。かつては誇りと栄光を目的に腕を磨いた騎士たちは、今は観客の熱狂と積み上げられる札束が目的の競争ライダーに取って代わったというわけだ。
まあ、それも全部スポンサーが企業だからだろうな。あちこちに大手自動車企業、航空機メーカー、それに証券会社や銀行の看板や宣伝が目に付く。ライダーがまたがるサドルにも、ごてごてと様々な企業のロゴが書かれているがここからでも分かる。
一度の試合で莫大な量の金が動く公式ドラゴンライディング。確かに企業にとっては一儲けできる最大の機会だ。今の俺たちは空前の豊かさと引き換えに、誇りも伝統も大事なものも何もかも塵芥のように投げ捨てているんだろう。そして、その最先端にいて人生まで投げてる究極の駄作がこの俺ってことだ。
「始まるな」
俺がつぶやいたその瞬間、スターターの持つ杖に竜炎がともった。スタートだ。
「さあ始まりましたランカスター賞! 先頭に立ったのはあのエミリア・スターリング騎手とその竜エンタープライズ! 予想通りの展開だ!」
司会がやかましく叫ぶ。企業が観客を熱狂させるために、レースの形はどんどんエンターテインメントに偏っている。ランカスター賞は伝統ある格式高いレースらしいが、だとしたらあの騒がしい司会は恐ろしく不釣り合いだ。
「なんだなんだどうしたエンタープライズ! 速いぞ速いぞ、なんだこの加速は! エンタープライズ、まるでブレーキが故障したかのように前へ前へと一直線だ!」
そろそろ、会場がおかしなレースの展開にざわつきだした。
「だが、これでいいんだよ」
一見すると、エミリアはエンタープライズを以前のようにめちゃくちゃに駆っているか、あるいはエンタープライズに振り回されているかのように見えるだろう。竜を制御できずに暴走させるライダーは二流に多い。だが、エミリアは違う。この他のライダーと一切競り合わずにひたすら最前線を行く戦法こそが、今回俺の提案したエミリアの乗り方だった。
ドラゴンライディングは、もともとは騎士の模擬戦だった。だからライダーはアームを持ち、派手な空中戦を互いに仕掛ける。それもレースの中に組み込まれているし、スピードでは劣ってもアームを振るえば他を圧倒するライダーもいる。しかし、竜を操りつつしかもアームを使って他のライダーと戦うなんて芸当は、なかなか難しい。専門の教育を受けている学院の生徒ならともかく、二流や三流のライダーには荷が重い。
つまりどういうことか。今のエミリアの戦法は、三流ドラゴンライディングのレースではよく見られる奴なのだ。他のライダーとの競り合いをすべて放棄し、ひたすら一着でゴールインすることのみを求めて逃げまくるというものだ。華がない上に臆病者の飛び方と言われ、三流以外は取らない戦法とされている。
「知ったことか。臆病だろうがなんだろうが、これも立派な飛び方だろうが」
騒然とする会場。唖然とする司会。それらすべてを差し置いて、エミリアは今ラストスパートに入った。他のライダーすべてをよそに、彼女一人だけが、いや、彼女とエンタープライズだけが誰もいない戦闘の空を疾駆する。
「いい気分だろう? お嬢さん」
俺は暗い笑いをもらす。明るくは笑えない。彼女が一着で降りてきた後、周りがどれだけ騒ぐかを考えると自虐的な笑いが浮かぶ。何しろ、エミリアにこの狂気ともいえる逃走を提案したのはこの俺だからだ。
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