DAY2-1 鈴井

八月十八日 二十五時三十分 鈴井菜穂


 長野が和訳したテロリストの手記は海外のフィクション映画を少しファストに解説したものを思わせるファンタジックな内容だった。


「なるほどね、この手記が本当なら。私たちが見ていた黄色の点滅はバックライトの不具合が影響していた。と言うよりはウォッチングスパイダーのプログラムの影響ということになるのかな。要するにこのテロを起こした人がウォッチングスパイダーの制作に携わった不具合の処理をしているってこと。わざわざテロを起こさなくても家でやればいいのに」


 現実離れした話だが昨日クロックイズヘッドの三人が死んだのはこの手記の中に登場するマイルズとロナという人物の関わっていたAI「ウォッチングスパイダー」が原因で起きた事故だ。そして私が少しだけ見た映像と藍田が見た城島の死の瞬間の映像は自動で繋がったダークウェブから発せられる危険な映像がもたらした錯覚だったと言うことになる。藍田は少し眠たそうにしている。


「俺はバックライトの光が乱高下する効果で城島さんの事故を見たと錯覚したのか。あり得るかどうかは別にしても結構心配だな。今の所、視力とかは問題ない…と思うけど」


「私は最後の方を見ていないけど。とにかく詳しいAIの仕組みはその辺のプログラマとかが見てもわからないと思うな。だって悪い意味で神秘的すぎるでしょ。私たちができる対策もなさそうだね」


 私は花田の解散の一言を待っていた。さすがにこの現状は手に負えないし世間が信じるとも到底思えない。オカルト話としては数年間人気があるかもしれないが一方で仕事仲間が死んでいる以上目を背けることはできない。だが今日ではなく別日にまた集合しても良い気がする。花田が腕を組んでいる。


「例の映像はリンクを触るとダークウェブに繋がるようになっていて、今ドゥーグルに立て篭っている犯人たちはそのリンクとリンクの繋がりを切断しようとしているのか結局原理はわかっていないのか、全ての履歴と個人情報を自動生成した心的外傷を生む映像を生むシステムがこの手記の時期の後に完成していた?うんダークウェブの利用人口からすれば表沙汰になった時点でアウトだから使い捨てなのか?ドゥーグル社員がテロを起こさなければバレなかったのか。なるほど人を殺すことができるから政治家でも起業家でも都合が良ければ誰でも良いわけだ」


 花田が珍しく冷静な推理を語っているが少し声が小さい。長野が大型のディスプレイモニタを開きっぱなしの別事務所から引っ張り出してきた。藍田が駆けつけてディスプレイを掴んだ。


「手伝いますよ。これで海外の情勢を見張るのですね」


「どのみちこの時刻ごろに何かありそうだと思っていたからな。彼方は午前十時くらいだと思う」


 花田のデスクチェアに縛られた山野が暇そうにしている。


「なんかエアコンの音がうるさいなあ。というか照明が黄色くないですか。気のせいか」


「そうですかそんなことないと思うけど、さっきから気になっていたのだけど山野さんはなぜ縛り付けられているの」


 私たちは長野には例の映像が及ぼす影響を伝えていなかった。


「山野さんはフル尺であの映像を見たので今音に敏感になったり視界が悪くなっていく症状が出ているかもしれないです」


 花田が事務所にあった白い暖簾のようなものを取り出してきた。


「桜庭って刑事は舌を噛み切ったからこれで山野さんの口をしばります」


 山野が少し震えている。


「そうか、死ぬかもしれないんだ」


「落ち着いてください。さっき連絡があって刑事の烏丸がここに合流するとのことでした。山野さんのことを説明して。救急車も待機してもらえることになりました」


 深呼吸を何度もする山野に花田が缶コーヒーを渡した。一旦ベルトを外した右手で山野がそれを一気に飲み干した。その後花田がまた山野を縛った。


「おそらく藍田と鈴井と同じように時間の経過で症状がなくなるはずです。頑張ってください。まあアメリカの誰だっけ、マイルズとかいう男が何を語るか次第で治療法か対策が見つかるかもしれないですがそれには時間がかかるでしょう。テロが終息した後に何がわかるかによります」


 長野が自分のパソコンとスマホを誰かのデスクに用意して、オフィス入り口手前のデスクの機材を少しどかして大型ディスプレイを用意してセットした。パソコンを開くとすぐに海外のニュース動画がリアルタイムで映し出された。ディスプレイの前に全員が集まった。藍田と花田は直立で様子を見ている、長野はディスプレイの前で自分のノートパソコンと複数のチャットを開いている。少し疲れた私は椅子に座ってリクライニングさせて腕を前に伸ばしてストレッチをした。


 アメリカのドゥーグル本社立て篭もり事件とは聞いていたが会社の門口ではなく中庭のある広場と一つ隔離されたドーム型の建物の入り口の向こうで警察が待機しているようだ。


「長野さんテロップを一通り読んでください」


 長野がニュース番組の下で横に流れているテロップを読み始めた


「もちろん、ええと。立て篭もり班の要求が全くない 死傷者が現在0名。サイバーテロを起こそうとしているとの専門家の意見がある」


「コメンテータの話ではサイバーテロを起こすために大手検索エンジンを乗っ取るメリットはないと別の意見を言っているようだな。まあ事が動くまでの暇つぶしコメントだろうな」


「こんなに長時間、特殊部隊が強行策に出ていないということは本当に誰も殺したりしてないからなのか。さっさと確保しても良くないか」


 長野がチャットを読んでいる。


「どうやらテロが起きたと分かったのは会社から避難した後だったとドゥーグル社員の数名が話しているようだ」


 藍田がメガネを触った。


「火事が起きたというフェイクの社内放送とかを流したのですかね」


「火事が起きたとかだったらみんなそのつもりで話すだろうからテロで通したんじゃないの。一部の人が知らないようにしたとかどうやったかは想像できないけど」 「あ、そうか確かに」


 検索もせず集中力も使う事なくテロ事件を眺めていれば何か起きるかもしれない。これは実質の休憩時間となる。私は自分のカバンからとっておきの玄米ブランを取り出してつまむことにした。


「ちょっとお菓子とりまーす」


「うい」

「はい」

「うっす」


 全員が適当に返事をした。


 オフィス入り口扉を誰かがノックした。向こう側でバリトン声がする。


「刑事の烏丸です入りますよ」


「ああどうぞ」


 私は自分のデスクに戻るついでに扉を開けた。烏丸と二人の刑事がスーツを直している。


「おお冷えているなあ。このオフィス。山野さんって人はまだ死んでいないよね。」


「そういえばさっき花田さんが口を縛りましたね」


「どういった症状があるか聞かせてもらってもいいかな。おいちょっと入ってとりあえずストレッチャーはまだいいからさ」


 救急隊員が二人、これもまた暑苦しい格好でオフィスに入ってきた。


「長野さん少し通路開けてください。聞いてます?」


 長野はどうやら目が離せないらしい。花田と藍田が椅子を退ける。


「何これ君たちもドゥーグルのテロ事件をチェックしているわけね。この微動だにしない人が手記を見つけたようだね。印刷もしてあるじゃないか優秀だね。リークされたものが出回っているとは聞いていたけどね」


「見守る蜘蛛」

「ウォッチングスパイダー」


 花田と刑事が同時に言った言葉は違っていた。私が思うにどちらも似たようなフィクションに出てくる架空の何かだがこの際どちらでも良い。


「要するにソレが悪さしているってことですよね」


 知らない刑事の男が意外な言葉を放った。


「少し科捜研なんかで調べ始めた段階なのですがおそらくネットの履歴から催す罪悪感といったものは関係なさそうです。ソレはおまけみたいなもので特定のストレス環境が長く続いた人にだけ影響がある。フラッシュを一定のリズムで焚くことと合わせて近隣の監視カメラの映像やネットで流れている画像を自動で構成したフェイク映像を映しているに過ぎないとのことでした」


 花田は何かが引っかかったようだ。そう同じものを別で見ることもできるし別撮りで撮ったものは白紙で映っていたことが矛盾する。


「でもさっき画面を後ろからスマホで撮った映像を見たのですが白紙でしたよ。」


「偶然あなたたちのオフィスで共有している情報が一致したということが前提にあります。別撮りについてはバックライトのフラッシュの点滅がうまく再現できないように細工がしてあるようです。後ろから肉眼で確認することもできない可能性があります。あとは特定のストレス環境下にあるということが絡んでくるのですが」


「それは一体」


「このダークウェブ上のプログラムは映像を見る人間のパソコンのインカメに映る精神状態や履歴の趣向とネットの動向。位置情報を計算して死の瞬間の映像を構成しているようなのです」


「それだけで人が死ぬのですか」


 烏丸が真顔でテロ事件の映像を見ながら答えた。


「完全にあちら側の人間が行っているギャンブルだ。死亡率はこれから計算をすることになっている」


「はあ?」


「そんなもので?」


「死ぬかどうかはランダムだ。呪いなど存在しない。ちなみに俺はさっきの現場の人間が見た映像でテストしてみたが何も感じなかった」


「ああ長い説明を自己紹介せずに失礼。僕は二宮って言います。特定のストレス環境下とはいっていますが烏丸さんは該当しないストレス環境下にいるってことになります」


 私は玄米ブランを食べる気が失せた。


「ネットをしている時間が多ければということですか。罰当たり理論ですね」


 烏丸が眉毛を片方上げている。私は少しイライラしてきた。


「俺はスマホを仕事でしか使わないんだ。家では寝ているからな。パソコンでそのネットサーフィンとかいう趣向が前提にある行動をここ二十年していないからね」


 二宮という男ともう一人が片手で頭を抱えている。


「須藤と言います。なぜこんなゴリラ刑事がこの心的外傷を及ぼす映像事件の担当になったかが不思議でしょう」


 花田が桜庭の手帳をポケットから出して睨む。そのあと烏丸を見る。


「まさか映像を何回かみているのですか、全く影響がなかった?」


「ご名答、もう二十回以上最後まで見ているよ。見ているとはいえないかもしれないが、他の精神に支障をきたした捜査員と違って俺はビクともしなかったわけだ。といっても調べないと何のことだかわからないからな。俺は映像に関する情報が得られないんだ。君たちの情報提供には感謝しているよ」


「見えないってことなのかな。烏丸さんの所有する端末でウォッチングスパイダーが映像を自動生成するときにパソコンの履歴と位置情報を参考にするとしたら何も材料がないから無事かもしれないのですが。他人の履歴を参考にした物をただ眺めてもダメージがあるのではないのですかあとある分のネット素材で十分なのでは?」


「それがねフラッシュの点滅が強すぎて何も見えないんだ。一回フラッシュが炊かれた段階でもう目が眩むんだよ。視力は悪い方じゃないのだけどね昔から映画の字幕とかを追うのが妙に遅いんだ。白バイにも乗れないレベルなんだよね。車に乗るときは夜でもサングラスをかけているんだ。まあこの話じゃ整合性が取れないから追って検査することになっている」


 花田が少し不満そうにしている。この心的外傷を生む映像の影響を受けやすいかどうかは私の想定にある健康か不健康かの二択ではなく、不健康のタイプによるということになる。


 長野がスマホに繋がったイヤホンを抑えた。


「おお何か動きがあったようだ。銃声がしたぞ」


 山野以外の全員がディスプレイの前に集まった。


「テロの首謀者であるマイルズが人質全員の前で自殺した」


「なぜだ。あれ、なんか通信が悪いな」


「何なんだよ大事なところだぞ」


 大型ディスプレイのニュース映像が固まっている。長野が何の意味もなくディスプレイを叩いている。


 全員がニュースを探すためにスマホを取り出した。私はスマホのブラウザアプリを立ち上げた。どうやらサーバーにつながっていないようだ。


 藍田がスマホを右手に持ったまま腕を組んだ。


「ノーボーダーフォンに至っては衛星回線も繋がらないですね。ワイファイは一部繋がるみたいです。アプリサイトとかは繋がる感じですねSNSは社内のワイファイで少し見ることができますよ。少ないですが通信障害についてのぼやきが見られます」


 花田が古臭い小さなワンセグテレビを持ってきた。手に持って電源を入れていじっている。


「災害とかがあった時のために引き出しに入れているんだよな。国営はダメか。読実の深夜ニュースで生放送があるといいのだが。ラジオしか無理だな」


 無音の後ニュースに切り替わった。


 速報が入りました。現在アメリカのカリフォルニア州で起きているドゥーグル立て篭もり事件で立て篭っていた犯人が拳銃で自殺したとのことです。怪我人はいないようです。今回のテロ事件は人質をとり金銭を要求するタイプではなくサイバーテロを起こすために長時間サーバーを管理するシステムを占領していた可能性があるとのことです。


 もう一つ速報です。深夜未明に全国で大規模な通信障害が発生しているとのことです。この影響で多くのキャリア会社の通信がつながりにくい状況が続いていると思われます

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