DAY1-19 長野

八月十七日 二十三時五分 長野


 クロックイズヘッドに到着しエレベータ前のロビーを抜けるときに一階にあるアイスクリーム屋の照明が落ちた。どうやら遅刻のようだ。時刻は二十三時を回っている。


 ドゥーグル立て篭もり事件を追いかけている連中のリーク情報ではドゥーグルのテロ事件の首謀者マイルズがテロ終息後に向けて手記を用意しているらしい。相当数がネットに出回っているらしく、海外とつながるグループのチャットにそれがアップされたのが終電を降りた時だった。エレベータに乗るときに夜勤の安藤と会うことがなかったがいつもとは違う時間に出勤していることから先を越されたようだ。


 俺はエレベータに乗り込み先ほどダウンロードを済ませたテロリーダーの手記を社内のパソコンで見ることができるようにするためにメールに送ったことを再度確認した。


「フェイクだとは思うがかなり面白そうだ。そろそろ彼方の国で事が動く頃だろう」


 クロックイズヘッドのオフィスの前はいつもとは違う気配がした。扉を開けると鈴井と藍田、花田がホワイトボードの前で何かを会議している。藍田は事務職、なぜか花田のデスクに座っている山野は喫煙器具。鈴井は天気予報士というバラバラの組み合わせに違和感を感じる。


「あれ、何かあったのですか」


 この時間に社内にいるはずのない花田が缶コーヒーの匂いを漂わせてオフィス入り口まで歩いてきて俺の肩を両手でつかんだ。少し徹夜にしては落ち着きがないように見える。


「長野さん、待っていたよ。少し調べてほしいことがあるんだ。午前の神谷と城島さん。夕方の内村さんのことは知らないよね」


「その三人に何かあったのですか、コロナですか」


「早朝、脳卒中で神谷が亡くなった、その後、警察の人の話を聞いた感じだと心的外傷を及ぼす映像を見たことが原因だということだ」


「警察の人の情報を聞いたのはもっと後のことなんだけどね」


「神谷が死んだ?心的外傷を及ぼす映像…現実味がないですね。本当に神谷が死んだのですか。早朝ということは俺が退勤した時が朝の五時ごろだからすぐ後じゃないですか」


「まさか神谷の見た映像を他の二人も見たと」


「その通り、城島さんは事故だったがその後の内村さんは自殺だった。動画の影響で死の直前の行動が不審だったことがわかっている。流石にこの会社の社員が三人連続で死んだこともあって警視庁のサイバー犯罪対策係と捜査一課の刑事が夕方に捜査にきたのだが」


「鈴井さんのニュース配信は確か見ていたけどその頃ですね。クロックイズヘッドは通常運営していたのですね」


 多少の残業で音を上げるメンツではないのはわかるが会社に残って何かする必要があるのだろうか。帰っても問題はないしここに警察の職員の姿は見えない。


「クロへの営業はなんとかやっていたし、明日も問題はないのだがどうやらその心的外傷を及ぼす映像は東京近辺のみに出回っているようなんだ」


「出回る…ああダウンロードするということですか。神谷もそれを見つけてしまったと」


「ああ悪い、話を整理するぞ。シーイングって広告にその動画のリンクが貼り付けてあったことを内村が神谷のパソコンの履歴を復元して見つけたのだったな。それで」


 聞き取れる音量ではあるがボソボソと話す花田の間に鈴井が入った。カップスープの匂いがする。夜食だろう、少なくとも数時間の間には何かを調べていたようだ。徹夜する予定のようだ。


「まず早朝、神谷さんが亡くなった後。当人のパソコンが勝手に変な映像を再生しているのを私が見ました。その時は適当に無視して仕事をしていたのですが。あまりにもしつこく動いているので城島さんに映像をどうにかしてほしいと頼みました」


「なるほど、スリープ状態にならず動き続けていたと。コンピュータウイルスでもあるのか。それでその、心的外傷を及ぼす…映像が、拡散したと」


「どうやら人によって映像によるダメージの具合が全く違うのだけど死んだ後には報告ができないからそれぞれの被害者が何を見たかが確認できなくて警察の捜査も難航していると言っていたかな。シーイングって広告のリンクがあったみたい」


 少し腕を組んで鈴井の話を頭で咀嚼する。


「その筋だと見ても死なない人間がいたということになる。フィクションの話みたいですね」


藍田が手持ち無沙汰にメガネを触っている。


「なるほどですね山野さん。あ初めまして」


「どうも。山野です。なるほど、とは」


「いやどうやら僕は城島さんの死ぬ瞬間の映像を錯覚で見たようなのです。それを見ても死ななかったのですが」


「前に死んだ人間が死ぬ瞬間の映像を、錯覚で見る?一度見ないとわからないな。ますます信じられない。何かの悪ふざけですか」


 クロックイズヘッドのメンツにそういった質の人間はいない。だがどうしても信じられない。スマホで調べても会社員が脳卒中で倒れたニュースはおろか、事故や自殺など出てこないだろう。必死で説明をしている同僚に失礼なことをしたと思い自分の失言をフォローする。


「警察が同じ話をしているのであれば少しは受け入れることができるかもしれないな」


花田がメールを確認している。だがメールなどでは心的外傷を及ぼす映像の話がわからないだろうと俺は思った。花田は何かを思いついたようでデスクに戻っていく。山野は心を落ち着けているのか寝ているのかがわからないが花田の椅子でぼんやりとしている。


「実は、今日の昼。いや昨日の昼か」


時刻は正午を回っていた。


「昼ごろ俺は国営テレビのインタビュー取材を受けていたのだが。その後クロへに帰る途中に刑事が死ぬ現場に遭遇したんだよ。夕方に来た刑事の話によると、どうやらその刑事は長いこと警視庁には出勤せずに勝手にこの映像のことを捜査していたようなのだ。桜庭という名前の刑事で午前中に鈴井とも話をしているのだが」


 鈴井が渋い顔をしてその刑事のことを思い出したようだ。


「ああ夕方に亡くなったと、花田さんと刑事さんが言っていましたね」


 花田は少し汚れた手帳をカバンの中から取り出した。


「この手帳に残ったメモを見る限り刑事は被害にあったクロへのメンバーと同じ広告を追っていたようなんだ」


 渡された手帳は酷い精神状態で描かれているのがわかる。映画の小道具のようにも見えるが少し真に迫るものがある。


「シーイング…ですか。先ほど鈴井さんが言っていた神谷のパソコンにあった広告の名前と一致していますね。」


藍田と鈴井が手帳を覗き込んだ。二人とも眉間に皺を寄せている。


「この桜庭って人も被害者だったのか。でも死ぬまでに時間がかかっていた」


 花田が藍田のものと思われるパソコンを前屈みで触り始めた。


「この桜庭って人の不審な自殺のニュースはネットに載っている。さっきいろいろ調べている時に見つけた、この手帳は本人が落としたものを拾ったんだ。何せ午前中にうちの社員が二人も死んだからなどうしても情報が欲しかったんだよ。見てくれ名前も出ている」


(国営テレビ近辺で不審な自殺が発生。亡くなったのは桜庭洋平(四十五歳)職業警察官)死の直前に車での暴走行為があったが怪我人はいなかった)


「なるほど、手帳の連絡用のプロフィールと全く一致しているな。そうですか警察の調べでは具体的にどのくらいの規模で被害が確認されているのですか」


 鈴井がホワイトボードを指差した


「残業してこれを作っていたのですよ」


「クロックイズヘッドでも別で調べていたのですか」


 花田がホワイトボードに貼ってある地図の真ん中をボールペンで指した。


「警察の人間の話によると最初に被害が確認されたのは電気屋の店員数名。しかも店頭のパソコンで映像が流れてしまったらしい」


「なるほどこれ以外にも心的外傷を及ぼす映像の被害と思われる事件事故を探していたと」


「そういうことになる、調べていくうちに全員に共通する点があることがわかった」


「共通点ですか。」


 不特定多数の被害者に共通点などあるだろうか関東圏に住んでいるくらいしか思い浮かばないのだが。


「確認できている範囲内では動画をネットに投稿した経験がある人間が多いようだ。さらに絞ってみたのだが最もポピュラーな動画編集ソフトであるドゥーグルムービークリップというアプリが浮上した。きっかけはよくある会員登録画面のAIではなく人間であることを証明する画面があるだろう。藍田がログインした時に出る認証用に画像を選ぶ表示が心的外傷を及ぼす映像と酷似していたということから、どうやら例の映像と登録画面は周辺地域のネットで出てくる情報と個人情報が反映されているようなんだ。そこで仮説を立てたのだが。」


 俺の頭によぎったのはドゥーグル立て篭もり事件のテロリーダーのマイルズという男だった。


「なるほど今起きている、俺の今日の仕事であるドゥーグル立て篭もり事件が何かしらの関わりがあるのではないかと言いたいということですね」


 花田が缶コーヒーを机に置いた。


「やっぱり海外のニュースって今これがメインだから山野さんが調べていると思っていました」


「今、リークされた情報があってどうやらテロの首謀者が事件後に向けて手記を用意しているらしいのでまずそれを読んでも良いですか」

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