第一章.2

「み……道に迷ってしまいまして」


 努めて平成を装いつつ、兎梓としは携帯電話を差し出す。「これ、ここじゃないんですか?」


「拝見しよう」


 漆黒の男性が携帯電話を受け取る。それから続けて、「背が高いんだな」世間話のつもりなのかぽつりと付け加えた。


 確かに、兎梓としの身長は平均男性の丈をゆうに越えている。逆に漆黒の男性は平均に程遠く、彼の頭頂部は兎梓としの胸元にすら届いていない。だからこそ、兎梓としのことが余計に大きく感じられ、発言として表に出てきたのだろう。


 何と返答すべきか判らず、兎梓としが曖昧な相槌を打った折、「おーい」別の方角からこちらに呼びかける声が聞こえた。


 反射的に振り返った兎梓としの心臓が、大きく跳ね上がる。漆黒の男性と同じ警察機構の制服を着た人物がもう一人現れたから――という理由だけではない。問題はその容姿である。


 耳が隠れるくらいまで伸ばされた髪は純白。額が見えるように中央から左右に分けられた前髪の下、丸い両目は特に異質だ。本来白目である部分は真っ黒で、煌々と輝く純白の虹彩は夜の満月を連想させる。


 見て明らかな特徴は、近年まで嗣妖しようと関わりのなかった兎梓としでさえ、幼い頃から知っている種族の証だった。


 《白甲族はっこうぞく》である。


 身体能力や潜在能力の高さから万能体質と呼ばれ、優秀な人材を産出するとして名高い甲族こうぞく。その中でも白き髪、白き虹彩を持つ白甲族はっこうぞくは戦闘に特化した種族と謳われていた。


 彼らは常に荒事の中に身を置き、必ず戦果を残す百戦錬磨の傭兵集団である。白甲族はっこうぞくがのらりくらりと歩いてくる姿は、武器を構えた警察機構が迫ってくるよりも恐ろしい——という噂さえ飛び交っているほどだ。


 真実は定かではないが、だからこそ今こちらへ向かってくる白甲族はっこうぞくの男性に兎梓としは畏怖を抱いてしまった。


 特徴的な白い目が兎梓としを捉える。瞬間、白甲族はっこうぞくの男性はパッと明るい表情を浮かべた。


「あ、大丈夫大丈夫。ほら、機構の服。俺そいつの同僚」


 予想外にも気の抜けた声を出し、「恐くない、恐くない」カラカラと笑う表情からはむしろ人当たりの良さが感じられた。


 聞いていた白甲族はっこうぞくの噂と、知識として持っていた印象とはまるで違う。兎梓としは呆気に取られて目を瞬かせた。


「お兄さんどうしたの。ここ、近所の人でもあんま使わねー道だぜ。ちょっと不審者っぽい」

「あ、いえ……道に迷っていて……その、探してる場所がこの辺りだったので、ついウロウロと……」

「んー。店? 誰かの家?」

「それは……」


 まさか住所しか判らないなどとは言えずに口籠る。白甲族はっこうぞくの男性は首を傾げつつ、視線を兎梓としから漆黒の男性へと移した。


狼鱗ろうりんは何見てんの」


 漆黒の男性、東雲狼鱗しののめろうりんは黙って兎梓としの携帯電話を白甲族はっこうぞくの男性に差し出した。


 もう片方の手では別の携帯電話を操作しており、視線もそちらへ向けたままである。どうやら自身の携帯電話を使って、メールの住所を検索し直しているようだ。


「お兄さんが行きたいところって、この住所?」


 携帯電話を受け取った白甲族はっこうぞくの男性がさらに質問を投げかける。


「この題名は何? たちばな……うさぎ、あおい?」

「たちばな、とき。……身内の名前です」

「ふぅん。じゃあこれ、身内さんの家の住所?」


 そうですと偽ってしまえば済む話だった。しかし、兎梓としの真面目な性格では即座に応対できず、口をつぐんで俯いてしまう。悪手だと後悔した時にはすでに手遅れだった。


 夜に浮かぶ白い月が疑念を纏って半月に変わる。


「アーレン」


 狼鱗ろうりん白甲族はっこうぞくの男性を呼んだのはその時だった。


「住所を検索した。ここで合ってる」

「マジか。でもここ、何もないぜ?」

「何もないというより、何かあったが正しい。十年前、湖浮こうき風凪ふうなが住んでいたところだ」


 狼鱗ろうりんの言葉を聞いた瞬間、アーレンの眉間に皺が寄った。何か二人にしか判らない情報が交わされている。兎梓としはさらに緊張するが、頭の中の疑問は増えていくばかりだった。


 湖浮こうき風凪ふうな。おそらく個人名なのだろうが、兎梓としにはまるで心当たりがない。


 知らない人物が十年前に住んでいた場所。それがなぜ、兎葵ときの名前が載ったメールで送られてきたのだろうか。


 思案しながら兎梓としが彼らの会話の続きを待っていた時――突然、アーレンが兎梓としの腕を掴み、自身の後方に放り投げた。


 無防備だった兎梓としは体勢を保てずによろけ、そのまま地面に転がった。背中をしたたかに打ち付けたが、痛みを感じるより先に爆発音が耳を突いた。


 次いで土煙が巻き上がり、兎梓としの視界を覆い隠す。いったい何が起きたのか――訳が判らないままに身体を起こすと、アーレンが声を張り上げた。


狼鱗ろうりん! 行け!」


 彼の声に応えるようにして、土煙の中に煌めく光が現れる。風が吹いて視界が晴れると兎梓としの目は、足元から蒼い粒子を噴き出す狼鱗ろうりんの姿を捉えた。


――《魔術》だ。


 兎梓としが理解すると同時に、狼鱗ろうりんは人の跳躍力とは思えないほど高く跳び上がる。そして三階建ての雑居ビルの上に飛び乗った。


 すると狼鱗ろうりんの背を追うように、遠くから複数の炎の矢が飛んでくる。物理法則を無視するように弧をえがき、追尾する動きからしてそちらも魔術の類なのだろう。


――魔術で攻撃されたのか? でも、何で……!


 兎梓としは戸惑いながら立ち上がる。その間にも、狼鱗ろうりんは炎の矢を避けるために建物から建物へと飛び移り、みるみるうちに裏通りから遠ざかっていった。


 残されたアーレンは右腰に下げた短剣を抜き、左腰にあるもう一つの短剣に空いている右手を添えて、路地の向こうを睨み付けている。


 ――奇妙な音が聞こえた。


 ゔ、ゔゔ。

 ゔ、ゔ、ゔ。


 それは壊れかけた機械の駆動音のような、テレビの砂嵐にも似たノイズ音のような、ともすれば人の慟哭を連想させるような音だった。


 決して心地の良い音ではない。気味の悪い感覚が背筋に走り、兎梓としは身体を震わせる。


 やがて視界の端で奇妙に蠢く気配を感じた。一見すると、それは水銀を連想する液状の塊だ。問題はその数である。建物と建物の隙間、下水の中、あらゆる空間を這い回り、液状の塊は兎梓としとアーレンの目前に集まってくる。


 そしてそれらはうねりながら形状を変え、人体を模した二足歩行の形状へと変化した。


 一体や二体だけではない。路地を埋め尽くさんとばかりに次々と鈍色の人体が現れるさまは、奇怪としか言いようがなかった。どの個体にも顔がない――というのが、兎梓としの恐怖をさらに煽る。


「これは……」

「イリュオート。魔術で造られた操り人形ってやつ」


 アーレンは周囲を警戒しながらも、気さくな声色のまま説明する。


「見たのは初めて? 戦場ではよく出てくんだけどさ、めっちゃ厄介なんだぜ。魔術師が遠くから操って俺達を攻撃しようとする時に使われる。で、その魔術師を倒さねーとほぼ無限沸き」


 兎梓としは生唾を飲み込んだ。直後、強い力で腕を引かれた。「うわっ」思わず悲鳴をあげて振り返れば、すぐ傍に顔のない傀儡――イリュオートが居た。


 もちろん本来眼球があるはずのところは鈍色の皮膚に埋め尽くされている。というのに、兎梓としは間近で見つめられる気持ち悪さを抱いた。


 本能的に察する。イリュオートの目的は、自分なのだと。


 次の瞬間、傀儡の顔が大きく傾いた。兎梓としの声を聞き取ったアーレンが振り向きざまに短剣を抜き、イリュオートの首筋を断ち斬ったのである。


 途端に傷口から黒い血飛沫が噴き出し、アーレンと兎梓としに降り注いだ。しかし次の瞬間、血飛沫は黒い砂と化して大気中へ消えていった。


 首を斬られた本体にも同様の事象が起きていた。傷口から細かな粒子になって崩れ、そのまま跡形もなく消滅してしたのだ。


 イリュオートは致命傷を負うと魔力に還元される。その様子が、砂塵化さじんかという現象で視認に至るのだ。


「ンでお兄さんさ、なんかヤッベーことに首突っ込んでない?」


 アーレンが兎梓としを庇うようにしてイリュオートの群れと向き合う。


「狙われてるよ。さっきのもそう。こいつらの狙いはお兄さんだ」


 ぞわりと明確に寒気が走った。ヤッベーこと、と言われて兎梓としが真っ先に思い浮かべたのはもちろん兎葵ときのことである。


 むしろそれ以外に心当たりがあるだろうか。十年以上も音沙汰のなかった兎葵ときに会うために遠い町まで足を運んだ。何らかの事件の一端に触れている可能性も視野に入れていた。兎梓としは自らの意志で首を突っ込んだのだ。


 不快感を煽るノイズ音が止み、いよいよ本格的にイリュオートの波が押し寄せてくる。


 反射的に兎梓としは迫り来る一体を注視した。その視界の隅で、アーレンの短剣に青白い光が灯る。


 抜き身である二本の刃を包み込む発光色が炎のように揺らめき、アーレンの動きに合わせて寒色の軌道を残す。


 そして兎梓としが注視していたイリュオートの腕を斬り捨てた。宙に舞う腕と噴き出す黒血。イリュオートが切断面から砂となって散っていく。


 続けざまにアーレンは別の角度から襲い来るイリュオートの胸に短剣を突き立てる。反動でよろめく傀儡にさらに肉薄し、もう片方の短剣を相手の顎の下へと滑り込ませた。


 刃を傾け、顎から頭蓋を削ぐ勢いで刃を振り抜く。そしてまたすぐに別のイリュオートへ向かって駆け出した。


 ――かの短剣が纏う光こそ、警察機構専用の武器に備わる最大の利点であり、所有者の魔力供給によって武器性能を向上させる最先端の魔術システムである。


 アーレンであれば斬撃性能の強化。いずれ規則性はなく、どの性能に割り振るかは所有者の好みに分かれる。


「すごい……」


 思わず兎梓としは呟いた。見慣れない戦闘風景に恐怖があったのは事実だが、それを凌駕する熱量でアーレンの戦いに惹かれていたのだ。


 素早い足捌き。無駄のない連撃。ときおり跳躍してはイリュオートに踵を落とし、迫る腕の隙間から相手の顔面に肘鉄を放つ。


 そして短剣を半回転させて順手から逆手に持ち変えると、間近に居たイリュオートの頬を貫いた。


「ったく。他人を護りながらの戦いって性に合わねぇんだけど、なっ!」


 白の双月は闇夜で煌々と輝きながら常にせわしなく動き回り、兎梓としを捕まえんとする異形を片っ端から斬り捨て、寒色の軌道を空中にえがいていく。


 気付くと兎梓としは、注目の対象をイリュオートからアーレンへと移行させていた。ストリートダンスよろしく機敏に動き回る彼の姿は、理屈抜きで格好良く映った。

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