十六話 裏切りのお誘い

 久しぶりの一人の休日を蓮太は持て余していた。彼が住むアパートの一室にはニグラトの姿も無く、代わりに祀の姿があるわけでもない。二人は共通の用事で出かけていて今の彼は完全なる自由の状態だった。


「…………」


 とはいえそれで今のうちにと遊びに出かけるような気分でもない…………そもそも二人がいない理由からして蓮太の気を軽くするものでもなかったのだ。


 きっけかは三人でいる時に祀へと掛かって来た電話だった。通話自体は短いもので、大した要件でもなかったのかと何気なく蓮太は内容を尋ね…………返って来たのは祀の母親が倒れて危篤きとくだという知らせだった。


 蓮太が驚いたのはその後何事も無かったように祀が振舞ったからだ。普通なら即座に帰宅すべき要件で、どう考えても平然としていられるはずもない。その事を彼は尋ねるが彼女の返答は実に単純なものだった。


「お二人と過ごす時間の方が重要ですから」


 死に瀕した母親は優先順位としては下なのだとはっきりと口にしたのだ。


「えっと、お母さんと仲悪かったっけ?」

「母のことは今でも大事に思ってはいますけど。それ以上に重要なことがあるだけです」


 その表情に迷いは無く、嘘を言っているようにも見えなかった。恐らく本当に祀の中では優先順位が定まっているのだろう…………だからこそ母親を助けられる力を持っているであろうニグラトに縋ろうともしない。


 だとすれば、ここで頼むべきは自分なのだろうかと蓮太は思い悩む。何もかもが理想通りに解決した時、母親を見捨てたとなれば祀が苦しむに決まっている…………ただ、それがもっと悪いことに繋がるのではないかという不安が彼を躊躇わせた。


「くふふ、旦那様は余計な気を遣う必要はないのじゃぞ?」


 そんな彼を見透かすようにニグラトがにぃっと嗤う。


「娘、お前の母親はわしが助けてやろう」

「…………良いのですか?」


 すぐに飛びつくこともなく、あくまで慎重に祀は確認の言葉を口にする。


「よい、元よりお主にはなにか礼の一つでもしてやろうと思っておったところじゃ。わしの想定よりもはるかに安いものではあるが、お主が望むならばそれもよかろう」

「では、お願いできますでしょうか?」

「うむ」


 鷹揚おうようにニグラトは頷き、蓮太に視線を戻す。


「では旦那様、わしはしばらく留守にするがよいな?」

「え、ああ」


 それに蓮太は頷くしかなかった。流石に反対意見を挟める内容ではないし、そこに自分が付いて行けば余計に面倒なことになる気がする。不安ではあるが見送る以外になかった。


「…………はあ」


 そうして蓮太は家に一人残されたわけで、何をするでもなく時間を持て余している。流石に祀の母親が死にひんしていると知って遊ぶ気分にはなれないし、本当にニグラトは祀の母親を助けるのだろうかという不安もある。


 そしてそれがうまくいったとて蓮太にとっての状況は悪い。もちろん祀の母親が助かるならそれは喜ばしい…………けれどそのことに祀が恩を感じないはずもない。それは現状唯一の味方であるはずの彼女がニグラト側に傾くという事だ。


 ピコン♪


 憂鬱な現状に蓮太が頭痛を覚えているとスマホの通知音が響く。祀からだろうかと画面を見るとそこには予想外の相手からのメッセージが表示されていた…………環だ。SNSはブロックされていたはずだが解除して送って来たらしい。


 今から話し合いがしたい。


 内容は短く、その一言と場所として喫茶店が指定されているだけだった。


「…………」


 一瞬何かの罠だろうかと頭に浮かんでしまう…………しかし指定されたのは無人の空き地ではなく普通に他者がいるであろう喫茶店だ。流石に環だって人目にあるところで自分に何かしようとはしないだろうと蓮太は思う。


 学校であった時は興奮してこちらの話を聞く様子は一切見せなかったが、しばらく距離を置いたことで冷静に状況を判断出来るようになった…………もしくはニグラトと接触したらしいからあちらの方を元凶と判断してくれたかだろうか。


 いずれにせよこのちゃんを逃す理由は蓮太にはない。


 ニグラト達が戻ってこない内にと蓮太はすぐさま家を出た。


                ◇


 指定された喫茶店はアパートからそれほど離れていない所だった。老夫婦が住宅地の客向けにやっているこじんまりとした店で、それなりに客は入っているが満席になるようなこともない。


 のんびりとした時間を過ごすにはちょうどいい雰囲気、で蓮太も時折ランチついでに本を読みに行ったりしている。


 チリン


 鈴の付いた扉をくぐって店内に入り、出迎えた老婆に待ち合わせだと伝える。すると奥を示されたので店の一番奥にある席へと足を向けた。


「やあ」


 しかしそこに祀の姿は無く、見知らぬ大人の女性が座ってこちらに手を上げていた。


「…………どなたですか?」


 蓮太としてはそう尋ねる他に無い。


「私は暮明神無。君の友人である祓環の代理だよ」

「代理、ですか?」

「彼女は君と対面したら殺意を抑えられないらしくてね」

「…………」


 そこまで思われているのかと蓮太はげんなりする。


「まあ、友人の変貌へんぼうに親友の変貌が重なればしょうがないことだと思うよ。自分よりも上位の存在に直面した人間のとる行動なんて崇拝するか排除するかだからね…………彼女の場合は状況が重なって後者の反応が強く表れてしまったのだろうさ」


 どこかで聞いたようなことを口にして神無が蓮太を諭してくる。


「それはわかりましたけど」


 わかりたくはないが敵意を持たれているのは事実だ。


「結局あなたはどなたなんです?」


 環の代理とは口にしていたが、どういう知り合いなのかはさっぱりだ。少なくとも蓮太の記憶する限り環の知り合いに目の前の女性はいなかった。


「私はこの世界の神様に仕える巫女だよ」

「この世界の、ですか?」


 巫女という単語は目の前の女性には似つかわしくなかったが、それよりも気になる事を蓮太は優先した。


「そう、君の傍にいる神とは別の正真正銘私達の創造主たる神様だよ」

「…………」


 環から聞いたのだろうが目の前の女性はニグラトのことを知っているらしい…………そしてその言を信じるのなら彼女はこの世界の創造主の巫女であるようだ。


 普通ならそんな馬鹿な話と一笑に伏すところだが、ニグラトの存在を知っている蓮太に笑えるはずもない。


「その神様は、どれくらいの存在なんですか?」

「君の傍にいる神と同等以上の存在であるのは間違いないよ」

「…………」


 それならば望みはあるのだろうかと蓮太は期待を抱く。これまで彼が調べていたのは神をどうにかするような方法だが、同じ神そのものに助力を頼めるのならその方が確実だ。


「うん、やはり君は彼女の話とは違って外の神に毒された存在ではなさそうだ」


 悩む蓮太の様子に神無はそんなことを言う。


「毒されるって…………」

「外の神への狂信者と言い換えてもいいけど」

「…………」


 狂信者という言葉に蓮太の頭には祀の姿が思い浮かぶ。


「存在の格は確かに上がっているようだけど周りを見下すような傲慢さも見られないし…………私の見たところ外なる神に偶然遭遇して巻き込まれた一般人といった感じだね」


 正にその通りだと蓮太も思う。


「それに君、うちの神様でニグラトだっけ? その神をどうにかできるんじゃないかと期待したでしょ」

「それは…………」

「心配しなくても此処での会話はその神にはわからないよ」


 蓮太が言い淀んだ理由をニグラトに知られる可能性と思ったのか神無が言う。実際にその通りではあるのだが彼女が特別何かをしているようには見えない。


「私には創造主の加護があるからね。この世界自体が味方しているようなものだよ」

「…………」


 それが本当であれば心強いが、違えばニグラトの怒りを買って世界が滅びる可能性だってある。


「慎重だね…………まあ、外の神と直接対峙したのであればそれも無理はないか」


 神無は納得したように肩を竦め、右手を軽く上げる。


「ならまあ、軽くではあるけど証拠を見せよう」


 そしてその指をぱちりと鳴らした。







 瞬間、世界から音が消えたように感じられた。店内に流れていたBGMも、人の会話もその行動の音すらも消えて完全なる無音が蓮太の周囲を包んだ。


「あんまり過激な事はしづらいからね、とりあえずこんなところどうかな」


 そう言ってもう一度神無が指を鳴らすと音が戻って来る。もちろんそれだけで彼女がニグラトに匹敵する存在かどうかは蓮太にはわからないが…………少なくとも何かしらの力を持っていることは証明された。


「とりあえずは信じます」


 しかし流石に今すぐ信じて命を預けられるわけではない。


「とりあえず、ね。やっぱり彼女と違って君くらいの格だと簡単に信用してもらうのは難しいか」


 神無は苦笑しつつ肩を竦める。


「どういう意味です?」

「さっきの崇拝と排除の話だよ…………あれはまあ、極端な表現ではあるけど僕や君のような存在はそこにいるだけである種のカリスマを周囲に振りまく。それが祓環という少女には通じたけど同格に近い君には通じなかったという話さ」


 もちろん環にも早く祀を助けたいという焦りや、他に縋れる相手がいないという事情もあった。しかし蓮太のように目の前で力を見せられたわけでもなく信用したのはそのカリスマあってのことなのだ。


「それでまあ、お互いの信用はこれから重ねていくとして…………目的の確認をしたいんだけどいいかな?」

「…………いいですよ」


 確かにそれが一番に確認すべきことだろうと蓮太は頷く。


「君は傍にいる神様をどうにかしたいってことでいいんだよね?」

「…………はい」


 少し周囲を気にしつつも彼は頷いた。


「うん、それなら私達は協力し合えるはずだ…………必ずね」


 そんな蓮太に、神無は満足そうに頷き返すのだった。

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