二話 邪神
蓮太は高校から近いアパートで一人暮らしをしている。それは高校に進学するにあたり仕事好きの両親がもう一人で大丈夫だろと長期の海外出張を決めた結果である。
だが別に仲が悪いわけでもないので小まめに連絡はくれるし、気を遣ってか仕送りの額も潤沢だ。
「…………上がってくれ」
玄関を開いてニグラトを促す。父親からはこれで気兼ねなく彼女を連れ込めるなとからかわれたこともあったが、まさか彼を伴侶と自称する人間ですらない何かを連れ込むことになるとは思わなかった。
「ひどいのう、旦那様は」
そんな彼の心中を読んでニグラトが楽し気に目を細める。
「これでも今のわしは人間のような何かなのじゃが」
「それは人間ではないと宣言してるに等しいんだが」
人間のような何かは人間に似ているだけで人間ではない。
「では人間の範疇である何かと言い換えようかの」
くふふ、とニグラトは笑う。
「大して変わってな…………いや、もういい」
考えてみればどちらでもいい話だ。目の前の少女が人間だろうがそうでなかろうが蓮太や人類にとって脅威であることに変わりはない。
「旦那様に危害を加えるつもりはないのじゃがなあ」
「そう願いたいけどな」
あんな
それくらいこのほんの僅かな時間で
「そう言えば旦那様は小腹が空いてるのではなかったかかの?」
そんな彼を見てニグラトが尋ねる。それならば何か作ろうかと言わんばかりだが、空腹などすでに遠い彼方に消え去った。
「…………」
思えばそれでコンビニに出かけようとしたのが全ての間違いだった。
「いやいや間違いではないとも…………なにせそれでわしと旦那様が出会わなかったらそのままこの星は終わっていたかもしれぬ」
ニグラトは平然と世界の終わりを口にする。それが本当なら蓮太は世界を救ったことになるが、先送りになっただけで目の前の少女にはその意思が残っている。
「いや別にわしはこの星を終わらせることを望んでおらぬよ? ただ結果的にわしが目的を果たすとそうなる可能性が高いというだけじゃ」
その言葉が本当であれば、蓮太と愛し合い子が生まれた結果となるのだろうが…………どんな化け物が生まれるというのか。
「じゃあ、お前は何が目的でやって来たんだ」
嫌な想像を振り払うように蓮太は尋ねる。自分と云々の話は二人が出会ったから生まれた目的だ、そもそもあの場にやって来た目的は別にあるはずなのだ。
「ああ、それなら暇潰しになるじゃろうな」
他人事のようにニグラトは答える。
「暇潰し……だって?」
「そう、暇潰しじゃ」
思わずオウム返し蓮太にニグラトは頷く。
「暇潰しにこの宇宙を滅ぼすつもりだったんじゃないかのう」
「それは、随分とスケールの大きい暇潰しだな」
巻き込まれる方は溜まったものじゃない。
「高次の存在といっても所詮そんなものよ…………むしろ高次の存在だからじゃな」
「どういうことだ?」
「生物とは基本的に生存することを目的としておるよな? 生きるために喰らい、眠り、生存しやすい環境を整える。しかし寿命までは克服できぬから子を生して自らの分身を代わりに生かそうとする」
種の生存というのは結局のところ個体としての生存できないからの苦肉の策だ。自身の絶対的な生存が確立できないから代わりに近しいものを残そうとする。
「だが高次の存在…………まあわかりやすく神と呼ぶかの。神は完成された存在であるがゆえに生きるという目的は達成しておる。喰らわずとも生きることはできるし、眠る必要も周囲の環境に影響されることもない」
生きるために
「そして当然寿命などもないから子孫を残す必要もないの」
子を残さずとも自身が永遠に生きるのだから。
「もしもそうなったら旦那様ならどうするのじゃ?」
「いや、生きる以外にもやることはいくらでもあるだろ」
不老不死になってもその内やることが無くなって死にたくなる、それは不老不死についての思考実験で必ず話題になる問題だが…………実際はそんなことはないだろうと蓮太は思う。
そんなに簡単にやることが無くなってしまうほど世界は狭くないはずだ。
「それは人間の範疇の考えじゃな」
神の範疇ではないとニグラトは言う。
「つまるところ人間には成長…………進化の余地がある」
それがある限り生きることに飽きることは確かにないだろうとニグラトは言う。
「しかし時間と空間を超越し、
神とは完成された存在でありそこに成長の余地などない。
「ならば後は暇でも潰しながら無限の時間を生きるしかあるまいよ…………そうじゃな、わしの記憶に残っておる神には永遠に眠り続けるようなものもおったな」
「…………もしかしてその神ってアザトースとか呼ばれてないか?」
「ああ、クトゥルフ神話に出て来る神じゃな」
かかかとニグラトは笑う。
「あれは創作じゃぞ?」
「…………ならいい」
クトゥルフ神話というのはファンタジーの中でも創作であってほっとする類のものだ。
「ちなみにその分類に従うならわしらは外なる神、となるじゃろうな」
「知ってるよ」
概ね邪神と呼んで問題の無い存在達だ。
「その邪神を旦那様は愛で屈服させる…………中々そそる物語ではないかな?」
「お前の言葉が本当ならな」
「くふふ、疑い深い旦那様じゃな」
楽し気に頬を緩めながらニグラトはその肢体をしならせる。
「ではどうじゃ? これからそれを確かめてみるとするのは」
「具体的には?」
うんざりした表情で蓮太は聞き返す。
「まぐわう」
その豊満な胸元を強調するようにニグラトは蓮太へと見せつけた。
「はっ」
それを蓮太は鼻で笑う。
「生憎だが俺はこれっぽっちもお前に欲情しねえよ」
見た目だけなら極上であるのは認めるが…………見た目だけだ。彼女の将来設計を聞いたせいもあるだろうが本能的な
「むう」
すると珍しく気分を害したようにニグラトは唇を尖らせる。
「女に恥をかかせるとはひどい旦那様じゃな」
「それならまず俺に女と見られるように努力してくれ」
少なくとも現状で蓮太はニグラトを女ではなく化け物としか見ていない。そんな状態で誘惑されても下半身が反応するわけないのだ。
「ふむ、これでも結構旦那様に媚びておるつもりなのじゃがの」
「それはお前の基準で媚びてるだけだろ」
少なくとも蓮太には伝わっていない…………そして心を読める彼女ならそんなことわかっているはずなのだ。
それなのに彼に合わせようとせず押し通しているのだから、その本気を彼が疑うのも無理もない話だろう。
「しかしのう」
ニグラトはやんわりと目を細めると首を僅かに傾けて蓮太を見る。
「わしは旦那様との末永い付き合いを求めておる。それであれば己を偽らずさらけ出した方が良いとは思わぬか?」
「さらけ出し過ぎなんだよ」
そもそも付き合いが始まらないレベルだ。
「しかし旦那様よ」
「なんだよ」
「今更わしが取り繕ってもその方が疑わしいのではないか?」
「…………」
それはその通りだった。今から彼女が普通の少女のように振舞いだしても何かの罠かとしか思えない。
「とはいえわしも旦那様に進んで嫌われたくはない」
ニグラトは自分の胸に手を当てて蓮太を見る。
「旦那様が望まぬと口にしたことならば受け入れよう」
その表情は
「それは例えばさっきの暇潰しとかか?」
「旦那様が望まぬというのならもうせぬよ」
「…………俺が望まないことならなんでも、か?」
慎重な面持ちで蓮太は尋ねる。
「二度と顔を見せるなというような悲しいもの以外であれば受け入れようとも」
「…………」
さすがにそこまで間抜けではないらしい。
「じゃあ、さっきのような暇潰しも望まないし一緒に暮らすことも望まないと言ったら?」
蓮太としては安心してニグラトを追い出せることになる。
「それが旦那様の望みであるなら」
それをあっさりとニグラトは受け入れた。
「いいのか?」
「もちろんじゃとも」
思わず蓮太が尋ねるとニグラトは嬉しそうに笑みを返す。
「確かにしばしとはいえ旦那様と離れることは悲しいが…………それだけわしを信頼してくれたということじゃろう?」
「なんでそんな話に…………」
言葉の途中で蓮太は気づく。彼はニグラトに暇潰しをさせないために家に招くことを受け入れた。その暇潰しをもうしないとニグラトは口にしたが、それを保証するのは彼女の言葉以外に存在しない。
そんな彼女を蓮太は目の届かないところにやろうとしているのだ…………もちろん蓮太には目の届かないところでニグラトが何をしているか知る術はない。そんな真似は彼女を信用でもしていないと確かにできない事だろう。
「…………今の話は無しでいい」
蓮太に今のニグラトを信じることが出来るはずもない。
「くふふ、わしはどちらでも構わぬよ」
このまま蓮太と共にいられるのなら彼女の望むところでもある。
「頼むから、目の届くところに居てくれ…………」
「旦那様がそう望むのならば」
一人暮らしを始めてから夜更かしは増えたが、それでも流石に眠くなってもおかしくはない…………ことさら精神的に疲弊もしてしまったし。
「もうそれでいい…………とりあえず俺は寝る」
寝ている間の不安はもちろんあるが、これから一生眠らないのも不可能だ。それならばさっさと寝てしまった方が後で限界になって倒れるよりマシだ。
「おや、旦那様はお疲れかの?」
「…………疲れるに決まってるだろ」
「ふむ」
思案気にニグラトは蓮太を見る。
「わしは全く疲れておらぬが」
「お前と一緒にするな」
人の範疇まで堕ちたと
「今のわしであれば寝ようと思えば眠れるのじゃがな」
「ならお前も寝てくれ」
それが一番安心できる。
「それは添い寝の希望かの?」
「違う」
「寝室を使っていいから寝ようと寝まいがそっちへ居てくれ…………一時的でも人が死んだり傷ついたりするような暇潰しはしないこと前提でな」
一人でじっくり休む時間が蓮太には必要だった。一番休めるのはもちろん寝室だが、リビングのソファも実家から持って来た家族用の物なので充分寝られる大きさだ。
「くふふ、承知じゃ」
それをあっさりとニグラトは受け入れる。
「それでは旦那様…………おやすみ」
「ん、ああ」
そう言って寝室へと歩いて行くニグラトを拍子抜けしたように蓮太は見送る。その素直さが逆に何かあるのではと思えた。
「…………寝よう」
だが気にし過ぎていては本末転倒だ。
全部夢でありますように、そう願いながら蓮太は部屋の電気を消した。
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