第64話 絶望を祓う剣【side:???】

「本来、我々は二年後に婚姻こんいんを結ぶ予定でしたが、在学中の今でも魅力的な雪那嬢に悪い虫が付かないとも限りません。そこで熱烈なアプローチをさせて頂き、世紀の大恋愛の末、今日という日をこうして迎えられたわけでございます」


 会場の面々は神弥の弁達者べんたっしゃぶりに感心しており、端から見れば良い雰囲気で口火を切ったと言えるだろう。

 そして神弥のスピーチに始まり、新郎新婦紹介、主賓しゅひん挨拶と婚姻の儀はつつがなく進んでいく。


 ただ一人の少女を除いては――。


「おや、どうしたんだい? あまり手が進んでいないようだけれど……」

「いえ、お気になさらず」


 挨拶回りを終えて新郎新婦の座席に戻って来た神弥は、全く食事に手を付けていない雪那に対して不思議そうに首を傾げる。

 しかし彼女からの返答は、何とも淡泊たんぱくなものだった。


「ふふっ……流石の君も緊張しているのかな? 大丈夫、安心しなさい。これからは、僕がずっと傍にいてあげるからね」


 手にしたグラスを傾けながら、満足そうな微笑を浮かべて顔を寄せて来る神弥。

 権力と欲望に塗れた者たちが闊歩かっぽする会場の様子は、雪那にとってこれからの地獄人生の始まりを暗示しているのだろう。


「……」


 それでも雪那の精神ココロは冷え切り、波紋の一つも起こらない。

 希望は捨てた。何もかも諦めた。


 故に全てが無価値。

 全ては終わった世界での出来事。

 雪那の心は、絶望の中で緩やかに死んでいくのだ。


 無論、そんな彼女の心境を気に留める者はおらず、欲望と思惑が渦巻く儀式はプログラムを消化していく。


 神宮寺家の一人娘。

 魔導騎士としての才能。

 ミツルギ学園生徒会副会長。


 彼らに必要なのは、そんな素晴らしい肩書と彼女に付随ふずいする価値だけ。

 “神宮寺雪那”という個人――否、その心ではないという証明だろう。


 ――ああ、気持ち悪い。


 雪那が抱いたそれは、一体誰に対しての想いだったのだろうか。


 一柳と皇国の繋がりパイプが強固になった結果、嬉々としている者に対してか。

 それとも式の水面下で行われている権力闘争を利用し、他者を蹴落とそうと画策する者に対してか。

 あるいは人柱となることを受け入れた、自分自身に対しての――。


「ではこの式もクライマックスと相成りました」


 舞歌の抑揚よくようのない声が会場に響く。


「お手元のプログラムにはっていない、新郎からのサプライズがございます。新郎新婦、前へ……」

「さあ、行くよ。雪那」


 困惑する会場の面々に気を良くした神弥は、隣の少女に甘い声かけながら手を差し出した。


「……」


 しかし雪那はスッと立ち上がり、ドレスを揺らしながらメインテーブルの前に向かう。

 差し出された手を取らずに立ち上がったのは、雪那にとってせめてもの抵抗だったのだろう。


 神弥は自身が無下にされたにもかかわらず、好意的な反応を示しながら雪那の後を追う。

 自尊心プライドの高い神弥からすれば、大変珍しい反応――というより、欲しいモノを全て手に入れているが故の余裕というべきか。

 むしろこれから雪那を自分色に染め上げる未来しか見えていないのだ。


「新郎新婦が誓いの口づけを交わします。皆様、温かく見守って下さい」


 これまでは触れられることすら、年齢や忙しさを理由に頑なに拒否し続けて来た。

 それがいきなりサプライズ公開キスを告げられたのだから、神弥の距離の詰め方は大胆極まりない。

 更に雪那以外から見れば、ロマンチック極まりないシチュエーションとあって、尚更たちが悪い。


 一方、ここまで事態が進んでしまった以上――。


「……雪那、愛してる」


 神弥は情熱的な愛の言葉と共に、雪那の両肩を掴んで微笑を浮かべる。


「……」


 雪那がそれに答えることはない。

 だが拒否することも出来ない。


 受け入れるしかないのだ。


 一番大切な想いは、宝箱に詰め込んだ。

 何重にも鎖を巻き付け、氷の牢獄に閉じ込めて決着を付けた。


 全ては、あの雪下の夜に置いて来たのだから――。


「……っ」


 そう、叶わないと知りながら抱き続けた想いへの未練は断ち切った。

 己の身を焦がしてしまう程の恋慕れんぼの炎は、過去思い出にしたはずなのに――。


 これまで彼と過ごした一〇年近い歳月が、雪那の脳裏を駆け巡っている。

 思い返せば、彼の前では自然に笑うことができた。

 彼の前でだけは、“神宮寺雪那”で在ることが出来た。


 故にせめてこの想いだけは、綺麗なまま胸に閉まっておきたかった。

 この思い出さえあれば、きっとこれからも歩き続けられるはずだったのに――と。


「……っ!」


 だが今はまた、心の奥底に閉じ込めたはずの感情が熱を帯びてしまっているのだ。

 それは“神宮寺雪那”にとって最も大切な感情。

 もう抱くことを許されない禁忌の想い。


 故に絶望と葛藤の狭間はざまで、雪那が悲鳴を上げていることを誰も知らない。

 周囲のゲストたちは、皇国の未来を明るく照らす二人に熱い視線を送っているのみだった。


「……」


 ただ一人、会場の末席で辛そうな表情を浮かべて立っている雪那の専属侍女――音無結愛おとなしゆあを除いて――。


 出来の良い愛玩あいがん人形を可愛がるかのような陰湿な視線の嵐。

 そんな視線を一身に浴びた雪那は、世界そのものを拒絶したくなる程の不快感にさいなまれていた。

 それでも耐えるように静かに目を閉じれば、一筋の雫が雪那の頬を伝う。


 その雫はこれからの生き地獄に対する悲観でもなければ、神宮寺家のためでもない。

 ましてや目の前の男を想って、流したものでは絶対にない。


 全ては脳裏に蘇った彼と過ごした日々を想っての声無き慟哭。


 そして白き疾風・・・・が駆け・・・、雪那の涙を吹き飛ばした。


「なぁ、っ――!?」


 尻もちをついてひっくり返った神弥を始め、この場の誰もが驚愕に包まれる。


 雪那と神弥。

 二人に合わせて奥の壁に掲げられた神宮寺と一柳の家紋。

 ちょうどその間に、一振りの剣が深々と壁を砕いて突き刺さっていたからだ。


 一方、雪那の驚愕は、他の面々以上に筆舌ひつぜつがたいものがある。

 なぜなら、大扉を突き破りながら放り込まれた、その白亜の剣・・・は――。

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