第47話 閉ざされたキョウキ 3
調査経過を直に聞きたいとの依頼者の要望に応え、平川を自宅に訪ねた私と地天馬は、応接間に通された。男の一人暮らしで、最近まで入院していたせいだろう、いささか埃っぽいが、整頓は行き届いていた。
「報告をお願いします」
テーブルを挟んで向かい合って座ると、彼は身を乗り出すようにしてこちらの言葉を待った。
「最初に断っておきますが、調査はまだ完結していません」
「承知しています。でも、進展はあったんでしょう? 私は一刻も早く、櫛原宮子を救いたいんです」
ますます身を乗り出し、最早、テーブルに覆い被さらんばかりになってきた。地天馬は居住まいを正し、一息ついてから口火を切った。
「まず、平川さん。情報をもっとたくさん、素直に提供してもらわないといけません。隠し事は、真相への到達を遅らせるだけだ」
「え、何のことだか私には」
「生前奏と美波との競い合いのことです。そして、大きな力を持つスポンサー、二舟貞邦氏についても。最早、彼は実質的なオーナーと言ってもいいくらいじゃありませんか。劇場を兼ねた稽古場を提供し、そこで掛ける劇についても口出しできる立場なんですから」
「ああ、そういう意味でしたか。関係あるかどうか分からなかったし、先入観を与えるのもよくないかと思いまして。第一、劇団生前奏はもう消滅したも同然ですから」
自嘲を交えた苦笑いを浮かべた平川に対し、地天馬は鋭い調子で続けた。
「二舟氏には動機があることや、彼が稽古場への運転手役を買って出ていたこともですか? よろしい、それらは看過してもよい。だが、稽古場が二つ存在する点まで伏せるとは、困りものですね」
地天馬は私に目で合図をくれた。黙って頷き、地図をテーブルに広げる。事件の起きた稽古場周辺の地図だ。範囲は、二十キロ四方といったところか。
広げた地図には、前もって三箇所に印を付けてある。一つは事件の起きた稽古場。もう一つは、花畑刑事に骨折りを頼んだ成果である、別の稽古場だ。
「幸い、ぴんと来たからよかった。生前奏と美波、二つに分裂した劇団に対し、二舟氏は競わせることを思い付いた。競わせるからには公平でなければならない。元々、生前奏のために建てられた稽古場があったが、それとそっくり同じ建物を、美波のために近場に作ったんですね」
地天馬は依頼人が首を縦に振るのを見届けてから、地図へと視線を落とした印を付けた二箇所を順に指差す。
「はい、その通りです。でもさっきも言いましたように、生前奏は競争に敗れ、消滅というか解散状態も同然で、あちらの稽古場も美波が使えるようになってたものですから。ただまあ、鍵は――建物や箱の鍵は、まだ生前奏側の人が持ってるようですけど」
言い訳がましく認めた平川を、地天馬は気にしなかった。先を続ける。
「実際に足を運んでみると、周囲の景色も自然が多く似たり寄ったりで、よほど注意深く観察しないと、区別は難しい。加えて興味深いのは、どちらの稽古場へ行くにしても、この国道を通り、ほぼ同じルートを進む必要がある事実です」
地天馬の右手人差し指が、道を辿る。
「さらに、両稽古場への分岐点がここ。林の中を道は右に左に、大きく曲がって、まるで迷路を抜けるかのようだ。知らない人が車に乗せてもらって行くとしたら、どちらの建物に着いたのか、分からないのではないか? このように想像したんですが、いかがです? 平川さんも二舟氏の運転で、稽古場へ通っていたんですよね?」
「そう言われてみると……」
平川は何か思い出そうとする風に、両目を閉じて少し上を向いた。それは長くは続かず、五秒ほどでまた目を開けた。
「大型のバンで送り迎えしていただいてたんですが、余計な物に気を取られないようにと、私らが収まった後部は厚手のカーテンで閉め切られていました。ルームミラーがカメラタイプで、閉め切っていても運転に支障はないらしくて」
「事件の起きた日について伺いたい。稽古場に入ってから、違和感がなかったかどうか」
「……特にこれといって変な感じはなかったと思いますが。でもそれは、最終リハーサルを控え、いつもより緊張していたせいかもしれないですし。それよりも、もし私らが二つの稽古場に足を踏み入れたとしたら、事件が起きたのとは別の稽古場に、何らかの痕跡が残ってるんじゃないんですか? 警察が調べればすぐに分かりそうなもの」
「無論、調べてもらいました。その結果に触れる前に、平川さんに尋ねるとしましょうか。一体どんなからくりで、櫛原宮子が人を刺してしまう事態に至ったのか。今のあなたの反応を見ると、充分に察しが付いているようだ」
「それはまあ……私らがずっと稽古してきたのとは別の稽古場にも、同じセットがあって、違いは、問題の箱の中に本物の短刀が仕込まれていたことのみ。それを知らない櫛原は、短剣がいつもと異なってるなんて疑いもしないでしょう。このすり替えを行えるのは、送迎の車を運転してくれた二舟貞邦氏しかいない」
「……それから?」
地天馬が続けるように促す。依頼者は戸惑ったように首を傾げた。
「それからとは、どういう……。今ので説明できたと思いますが」
「まだです。鍵の問題が残っている」
「鍵? もしかして、稽古場のドアの鍵ですか? 二舟氏なら両方の稽古場のスペアキーを持っていても、不思議じゃありません」
「確かに。しかし、箱の鍵はいかがかな? 練習が終わると、櫛原宮子は仕掛け付き短刀を箱に仕舞い、必ず鍵を掛けていたそうですね」
地天馬の質問に、平川はぽかんとした。頭の中で状況を整理するかのように、しばし視線を斜め下に向け、黙考する。一分足らずで口を開いた。
「そんな物、最初にセットを発注した際に、三本目のキーを作らせたと考えれば……」
「あの錠前の鍵は完全受注生産で、全て記録されるんだそうです。照会すると、二本しか作られていないと分かった。そしてスペアの製作は非常に困難で、こっそり作るのは不可能との話でした」
「じゃあ、劇団生前奏に与えられた鍵を使ったんでしょう。誰が保管していたか知りませんが、スポンサーの二舟氏が言えば差し出すに違いない」
「理屈の上では成り立つかもしれない。が、実情は違う。鍵を保管していた人物――
「ええ、秋谷さんなら知ってる。彼がどうしたってんです?」
「秋谷氏は事件の一週間前から、船旅に出ていました。問題の鍵を持ってね」
「え? 何でまた鍵を持って旅行に」
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