第13話 反転する殺意 9

「その通り」

「有島と森谷は表面上、無関係に見えるはずですが、裏で知り合う可能性は?」

「森谷は歯科助手でして、彼女の勤務先である歯科医院に有島が通った形跡はありました。記録が残っているから確実です。問題は回数で、たったの四回。これじゃあ、交換殺人をしようという関係になるとは思えない」

「どこか別の場所で親交を深めたのかもしれない、と考えているんですね」

「ま、そういうことです。行き着けの飲み屋を中心に当たっているものの、まだ芳しい成果は上がってない」

 苦渋に満ちた顔つきになる警部。結局のところ、彼自身、方針に自信を持てていないようだ。それ故に、地天馬を頼ってきたのだろうが。

「吉山が殺したのは間違いないと確信していたんだが、正当防衛説も、計画犯行説もいまいち決め手に欠けて、どうもうまくない。地天馬さん。我々警察とは違った立場から事件をご覧になって、何か気付いたことはないですか?」

「ありますよ。基本的なことを見落としていると思えてならない。メモの内容を、警察の皆さんは鵜呑みにしたようだが、僕には不思議ですね」

 遠慮のない調子で考えを披露する地天馬。花畑刑事はともかく、下田警部は拝聴する態度を崩さず耳を傾けた。

「あんな詳細なメモを持って、殺人を決行するとは、何と親切な人物だろう。それに輪を掛けて愚かだ。失敗したときのことを全く考えていない。メモを見られたら本人ばかりか、共犯者もセットで捕まる」

「うなずけるものがあることは認めましょう。しかし、あれは有島が、見知らぬ相手を殺すに当たって、間違いのないように、詳しいデータを常に確認できるようにしたかったと考えれば……」

 下田の反論に、地天馬は片手と頭を小さく横に振った。

「感心しないなあ。吉山のデータだけを記しておけばいいじゃないですか。共犯者の名前まで書く必要はない」

「それは……うむ、いざというときのために備えたんだろう。万が一、犯行に失敗しても、自分だけが捕まるのは避けたかったと」

「おや。警部が『万が一、犯行に失敗』云々なんて言うのは、まずいんじゃないかな」

 吹き出してみせてから、地天馬は下田警部の考え方を再び否定しにかかった。

「何故、印刷した文字なんでしょうね?」

「は?」

「道連れにするつもりであれば、共犯者の森谷本人に肉筆で書かせるはず。それも、『私、森谷裕子は、有島洋に吉山卓也殺害を依頼し、その代償として倉塚暁美を殺害するものである』というような殺人告白書の形でね。名前を挙げただけの印字では、極めて低い証拠能力しか持たない」

「い、や、しかし。直接書かせられなかったからこそ、印字で代用したとも考えられる」

「だったら、メモの中身には、共犯者の個人データをもっと盛り込むべきじゃないですか。もしも住所や電話番号を知らないとしても、森谷の職場だけは確実に把握しているんだから。とにかく、そのメモは、有島にとって不利なことばかりで、おかしい」

 地天馬の推論に、警部は思考の糸が絡まったのか、考えあぐねた様子を覗かせた。それでも腕組みをして、やがて一つの指針を示す。

「メモが不自然だったという点は認めましょう。だが、事件解決に近付いたとは言いがたいんじゃないですかね。有島と森谷による交換殺人が否定されただけで、たとえば、我々のもう一つの仮説、吉山による計画殺人の方は否定できていない。むしろ、メモが偽りだとすれば、補強されたと言える」

「だが、さっき検討したように、吉山にはメモの内容を知ることができそうにない。つまり、吉山は偽のメモを用意し得ない」

 警察が用意した説は二つとも消えた。

「くそ。どうなってるんだ、一体」

「花畑刑事。そう慌てなくていいでしょう。答はきっと単純だ。馬鹿々々しいほどにね」

「何があるんだ、地天馬さん。もったいぶらずに言ってくれ」

 花畑は頭をかきむしった。

「有島と倉塚は交換殺人の約束を交わしてはいないし、ましてや吉山は正当防衛を装った計画殺人を行ってはいない。彼ら三名を疑いの目で見るのをやめ、殺されたのが有島洋だという事実だけを考える。換言すれば、有島を殺害する動機を持つ人物を洗えばいい」

「なんと」

 基本的に過ぎる、だが的を射た指摘に、刑事二人は暫時、呆気に取られていた。沈黙のあと、「調べてみましょう」と言い置き、出て行こうとする。

「ストップ! まだ伺いたいことがある」

 彼らの背中に、地天馬の大声がぶつけられた。足を止め、頭だけ振り向いた格好の刑事二人が、「何ですか」とかなり焦りの滲む口調で言う。

「いつ説明してくれるのか期待していたが、とうとう出て来なかった。土手下の川底に沈んでいた遺体は、いかなる経緯で発見されたんです? 目に触れにくい場所なんでしょう?」

「おお。自明のことだったんで、忘れてましたよ。通報があったんです」

 全身振り返った下田警部は、笑顔で応じた。花畑に命じて先に行かせてから、説明を再開する。

「現場を通りかかった男性が、川に異物を見つけたとかで、『人の死体みたいな物がある。赤い液体が広がっている』と所轄署に携帯電話で知らせてきた。それが十時十分過ぎ。警官が駆け付けたときには、その男性の姿はありませんでしたがね。残念だが、面倒に巻き込まれたくなかったんでしょう」

「最初は、その男性を疑ったんでしょうね」

「もちろん。だが、懐から見つかったメモを手がかりに、現場のすぐ近くに吉山がいると分かったもので……」

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