第7話 反転する殺意 3

 下田が断定調で告げると、吉山は怖気をふるうかのように首をすくめ、否定した。

「襲われたのは事実だ。だが、殺しちゃいない」

「懸命に否定しなくとも、正当防衛が成立する可能性がある。ここは素直に認めた方が、あなたのためになると思いますよ」

「やってないものはやってない!」

「……」

 下田は花畑と顔を合わせた。有島の写真があれば、まずは確認させるところだが、今手元にない。森谷裕子についても調べるべき点が多々あるが、現時点では何の情報もない。

 より詳しい事情を聞くため、同行を願うこととなった。


 交換殺人メモの存在が明らかになるや、捜査陣は真っ先に倉塚暁美くらつかあけみの身を案じた。最悪のケースでは、有島と吉山の事件よりも以前に、森谷裕子が倉塚を襲った恐れがある。

 方々に問い合わせ、調査した結果、メモに名前の挙がった倉塚暁美その人と思われる女性は確かに実在し、無事生存していると判明した。倉塚はかつて有島洋の教え子だった。

 早速、下田と花畑は倉塚宅を訪れ、交換殺人のメモについては隠したまま、話を聞くことにした。

 倉塚暁美は髪を肩まで伸ばした、どちらかというと地味な印象の人間だった。六年前に大学を卒業し、銀行に勤めたが水が合わなかったのか長続きせずに、一年ほどでやめている。以来、家事手伝いを通しているらしい。化粧気がなく、アクセサリーもピンキーリング程度。出で立ちは、紺の長袖シャツに丈の長い黒スカートであった。

「有島先生? もちろん、覚えています」

 ベンチに腰掛けた倉塚は、陽光に目を細めた。家の中では家族や近所の目もあるからと避けたそうにするので、喫茶店でもと持ち掛けたら、公園でいいという返事があった。公園は規模の割には利用者がなく、静かだった。

「有島さんが亡くなったのは……?」

「新聞で拝見しました。小さな記事で、最初は同姓同名の別人と思おうとしたんですが……」

 言葉を濁す倉塚。ただ、悲しんでいる風には見えない。あのメモの中身が真実を反映した物とすれば、有島は倉塚に殺意を抱いていた訳で、逆に倉塚が有島に何らかの悪意を持っていることは、充分に考えられる。

「倉塚さん。我々が有島さん、いや、有島先生の教え子の皆さんの中から、特にあなたを選んで訪ねたのは、正直なところを言いますと、ある噂を聞いたためです」

 下田は嘘と真をない交ぜにしながら、揺さぶりを試みることにした。

「噂って何ですか」

 倉塚の目に負の感情が宿ったように見える。

「大したことじゃありませんが、少し気になりまして。あなたと有島先生の折り合いがよくなかったと聞きました。いかがです?」

「いかがと言われましても……」

 首を傾げ、頬骨の辺りに右の人差し指を沿わせる倉塚。その仕種を繰り返すばかりで、黙ってしまった。下田と花畑はそんな彼女を静かに凝視した。自発的に喋らせたい。

 視線の圧力に屈したかどうかは不明だが、やがて倉塚が口を開いた。

「特別に親しくさせていただいたとは申しませんけれど、極一般的な教え子と恩師の関係を保っていたと思いますわ」

「おかしいですな。警察の方で入手した噂によると、有島先生はあなたを毛嫌いしていたみたいなんですがね」

「噂なんて、当てになりません」

「倉塚さん。我々の口から言っていいんですか」

 下田警部は言葉の響きを意識的に変えた。穏やかだが、底から突き上げるような力強さを込めた声になる。これにかかっては、後ろめたいところがありながら気の弱い者や人生経験の浅い者なら、動揺を露にするだろう。

 倉塚も若さを露呈した。何らかの秘密があるのは間違いない。残念ながら、白状させるまでに追い込むのは難しいようだ。

 仕方がない。メモの中身に触れるとする。

「有島先生、いや、今度は有島洋と呼ぶべきだな。有島洋はあなたを殺したいほど憎んでいた。その証拠を掴みました。噂レベルではない、証拠ですよ」

「……」

 これで落とせないと、材料がない。すでに有島の家や部屋を調べていたが、役立ちそうな物は発見できなかったのだ。

「最近、夜道で襲われた経験がおありでしょう」

 下田警部は賭けに出た。勝率はよくて五割。

 約十秒後、幸運にも下田は勝利した。沈黙していた倉塚が、乾いた唇をなめると同時に、堰を切ったように話し出した。

「あれは違うっ。有島先生とは関係ない。だって、襲ってきたのは髪の長い、多分、女だったもの。そんなことより、届けてないのに、どうして警察の人が知っているのよ! プライバシーの侵害だわ」

 的外れな抗議をする倉塚の前で、下田と花畑は仁王立ちし、顔を見合わせた。

 あとは簡単だった。

 襲われたことを認めたのをきっかけに、倉塚と有島の現在のつながりを聞き出せた。

 倉塚は有島を脅迫し、金をせびり取っていた。脅迫の材料は、有島が特定の学生及び受験者を個人的に優遇していた一件。有島はまるで政治家気取りで、親からの“陳情”を受け入れていたという。

 倉塚がこの秘密を知ったのは在学中で、留年の危機を迎えていた彼女が、担当教官の弱みを握れないか思案の末、通話状態にしたままの携帯電話を教官の部屋にこっそり置いてくるという、実に古典的な盗聴を行った“成果”であった。


 下田・花畑のコンビは次に、森谷裕子の自宅を訪れた。倉塚がカッターナイフで切りつけられた夜――先月三十日の森谷のアリバイを聞かねばならない。そしてもし森谷が有島と共謀して交換殺人を企んでいたなら、今後再び殺人を犯そうとするかもしれない。倉塚ではなく、吉山を狙って。

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