私の出逢った名探偵

小石原淳

第1話 二人の距離 1

 花畑はなはた刑事は約束通り、午後三時ちょうどに探偵事務所にやって来た。ハンカチで首筋の汗を拭き拭き現れた彼は、ビニール袋を肩の高さまで掲げ、

「ついでに昼飯を摂らせてください」

 と断ってから、どっかと椅子に着くと、缶コーヒーを呷り、パンをかじった。

 一息つき、ようやく用件に入る。

「相談というのは、先月最後の土曜日、殺しがありましてね。実は、犯人が誰なのかっていうのは、もう明らかなんですよ」

 余計な時間を取った自覚があるのか、花畑刑事はのっけから重要なことを言い出す。

「犯人が分かっているのにここへ来たのは、どうした訳ですか」

 我が友・地天馬鋭ちてんまえいは、興味を失った様子もなく、平板な口調で問い返した。

 私は、食べながら話す刑事の姿を見る内に軽い空腹感を覚えた。紅茶を入れようと思い、席を立った。

「地天馬は紅茶を」

「頼む」

 長らく付き合うと成果は出るもので、地天馬の好み通りの紅茶やコーヒーを入れることも、だいたいできるようになった。

 奥のキッチンで準備に取り掛かったが、幸いにも刑事の話はよく聞こえた。

「まあ、先にあらましを。鹿間神次郎しかましんじろう、こいつが犯人に違いない。内山美亜子うちやまみあこっていう女を殺したんだが、間抜けにも、指紋を残していった。と言っても、さすがに凶器に残すようなへまはしない。あ、でかい花瓶で殴り殺したんですがね。きれいに拭き取ってありました。やつが指紋を残したのは、電灯のスイッチ。真新しいのが、べったり、くっきりと残っていた」

 なるほど。他のところは抜かりなく指紋を拭き取ったが、最後に部屋を出る際、明かりを消して、そのまま拭き忘れたのか。

「現場がどこなのか、言ってください。鹿間がよく出入りする場所なら、指紋があっても不思議ではない」

「そうそう、被害者の家ですよ。マンションの一室。鹿間の指紋があってもおかしくない場所だが、真新しいっていうとこがおかしいんです。動機に関わってくるんですが、内山は鹿間と春井はるいって奴に二股かけてて、最近、それが鹿間にばれたんで、鹿間の方を切った。鹿間はしみったれたというか現代風というか、今までにやったプレゼント全部返せと言い出した。女は当然、承知しない。そこからもめて、鹿間は何にも知らなかった春井に、裏をぶちまけた。もちろん春井と内山の関係もおじゃん。今度は内山が怒り狂って、絶対に返すものか、逆に慰謝料払えと。まあこれは口だけだったようですがね」

 耳をそばだてていた私の脳裏に、歪んだ三角形が描けた。どの辺も今や消え失せている。

 紅茶を入れ、りんごの菓子を添えて、盆に載せると、私は戻った。

「ああ、ありがとう。――花畑刑事。まだ本題に入っていないようですが」

 地天馬は早速、菓子を手に取り、食べ始めた。刑事は先と同じ種類のパンをもう一つ、袋から取り出し、端から四分の一ほどをかぶりつき、コーヒーで流し込んだ。口元を拭ってから、おもむろに答える。

「実は、指紋を残しておきながら、鹿間はアリバイを主張したんです」

「そりゃあ、奇妙ですね」

 私は思わず口を挟んだ。興味をますます惹かれたからだ。指紋とアリバイ、どちらが優先されるのだろうか。

「容疑者がどんなアリバイを申し立てたか知りませんが、指紋という物的証拠があれば、アリバイなんて意味をなさないんじゃないんですか」

「いや、残念ながらそうもいかんのです。殊に今回の事件では、指紋が真新しいというだけで、犯行時に付着したとする決定打がないんでねえ」

「とにかく話を聞かないと」

 私が促すと、ちょうど昼食を終えた刑事は手をはたき、やがて話し始めた。

「死亡推定時刻は、夜中の〇時から二時。ところが鹿間は、前日の十九時頃から事件当日の午前三時過ぎまで、同僚三人と自宅で一緒だったというアリバイを言い出した。コンピュータゲームやら麻雀やらで過ごしたらしいが、酒は二人が飲んだだけで、鹿間ともう一人は全くやってない、だから確かだという訳でさあ」

「その四人がどんな名目で集まったのか、分かってます?」

「もちろん。独身連中で、給料日のあとの最初の土日は遊び明かすという約束なんだそうで。ここら辺、自分から見れば、学生気分が抜けてない」

 何が腹立たしいのか、憤然として鼻息を荒くする刑事。地天馬は一定のペースを保ち、質問を続けた。

「集まるのは、常に鹿間の家なのかな」

「あ、いや、それは違うようで。アパートの独り暮らしの奴が二人おり、普段はそのどちらかに。鹿間は親と同居なんだが、今回、両親が法事で帰省。一時的に独り暮らし状態になるってことで、鹿間宅に集まったと説明していたな」

「ふん。鹿間の家に行ったのは、三人ともその日が初めてではありませんか?」

「その通りですよ。恋人じゃあるまいし、男の同僚がお互いの実家を行き来してたら気味悪い」

 答えてから、自分の言い種が気に入ったのか、花畑刑事はにやりと笑った。

「招かれた三名は、腕時計なり何なり、時刻を知ることができる物を身に着けていたんですか」

「おお、さすがですな。身に着けていましたよ。腕時計派が二人、携帯電話派が一人。腕時計は隙を見て時間をずらすことができたとしても、携帯電話はなかなか難しいでしょう。鹿間本人も携帯電話を持っているので、ちょっと貸してくれとは言えない。たとえ同僚でも不審がられる」

「そう言えば、何の同僚なんです?」

「言ってなかった? インスタント食品のメーカー。四人とも商品開発のリサーチを主に手がけてるとか」

「鹿間の自宅から、被害者宅まで、どんなルートがあって、時間はそれぞれどれくらい掛かるんです?」

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