第28話 世界
「つぐーーーーー!」
飛び出した聖さんが短い黒髪を振り乱しながら道路の彼方へ吹き飛ばされたつぐの元へ駆ける。
うつぶせに倒れたつぐは、身動きひとつしない。
その体は完全に脱力し、一切の力みが見られない。……嫌な予感がした。
ば、馬鹿な……あのつぐが一撃で……。
私たちのことなど気にもせず、黒い怪物は口の中に魔力の光を溜め続ける。常軌を逸した異常な量の魔力が、闇のように暗い怪物の口の中で膨れ上がる。
怪物は校舎に照準を合わせ、再び光の攻撃を放とうとしていた。
まずい……。このままじゃ校舎が……。
あんな馬鹿げた量の魔力で攻撃されたら、校舎なんてひとたまりもない。
僅か一撃で地平の彼方までを引き裂いた光。校舎一つ消し去ることくらい、たやすいことだろう。そうなれば当然、校舎の中に取り残された人たちの命も……。
なんとかして怪物の動きを止めないと……。あの様子だと魔力を溜め終わるまで、もうほとんど猶予が無い――!
私は全身の魔力を最大まで高めた。
できうる限りの魔力を右手に集め、魔弾を作り出す。私の顔くらいの大きさの光の弾が掌の上に浮かぶ。
こっちが全力で魔力を開放しているというのに怪物は相も変わらずこちらを見向きもしない。私のことなど完全に眼中にないようで、無視を決め込む。……こっちにとっては好都合!
「はっ!」
最大魔力の魔弾を、怪物の闇のように黒い額へ放つ。
光の筋を描きながら直進する光の魔弾。何物にも阻まれず、最大速度で怪物の無防備な額に直撃した。
ぶつかった瞬間、魔弾が一際強い光を発して、はじけ飛んだ。
「なっ……」
砕け散った魔弾が細かな光の雨となり、大地へ降り注ぐ。
怪物の額はまるで無傷だった。弾けた魔弾の残骸は、グラウンドにぶつかると光を失った。
な、なんてこと……。まるで効果がない……。
魔力に差がありすぎるんだ。魔力の差は戦闘能力に直結する。私の攻撃じゃかすり傷一つつけられない……!
ど、どうしよう……。これじゃあ戦う術がない……。
「グオォォォォ……」
最大まで魔力を溜めた怪物が、校舎を破壊すべく、低く響き渡るうめき声を上げる。
ダメだ……。どうしようもない……。
数秒後には校舎は消えてなくなるだろう。中にいる数百人の人と共に。それをわかっていながら打てる手が一つもない。
なにもできず校舎を見下ろしていると、周囲が急に薄暗くなった。
怪物よりも上にいるのになぜ……? 光を遮るものなどないはず。
ふと眼下に浮かぶ巨大な怪物の背中が暗闇に包まれる。
そして見覚えのある黒い塊が上空から流れ星のように降り注ぎ、私の目の前を通過する。それは調子の良さそうな表情をした巨大な黒うさぎ。校舎を破壊せんと口腔に魔力を溜め込んだ巨大な怪物の背中にルノワが直撃する。
「どすこーーーーーーーーーい! お助けマン!」
上空から降ってきた巨大ルノワが、怪物もろとも運動場へ沈んでいく。
ルノワに押しつぶされ、体を歪めながら沈む怪物。態勢を崩した怪物の口から放たれた魔力の光が、なにもない上空に向かって筋を描く。
「ルノワ!」
「うええーーーーーーい! 待たせたな律火!」
怪物を押しつぶしたルノワが陽気な声で私の名を呼んだ。
ルノワがここに居るってことは……。
「律火ちゃん!」
息を切らせた蜜姫が上空から私の元にふわりと降りてくる。額にうっすらと汗を浮かべている。
「蜜姫! 助かったわ」
「よ、よかったぁ! 間に合って」
「そ、そうか。全魔力を一撃で放てる蜜姫の魔法なら、あの怪物にも通用する……!」
「ふー。人生最高に輝いてるおいら」
蜜姫とルノワ。二人のおかげで窮地を救われた。
「それにしてもよくここがわかったわね」
「うん……。急にとんでもない魔力を感じたから……」
「なにかとてつもないことが起きてるんじゃないかって、二人して授業を抜け出して慌てて駆け付けたってわけさ!」
「そういうことなの。ってルノワ? さっさと元の大きさに戻ってよ。こっちはしんどいんだからね」
「まあまあそう急かすなって。今のおいらってば人生で最も輝いてるこの瞬間を満喫してるんだからさ。……ん?」
運動場に座る巨大ルノワの体が、不意に浮かび上がり、体勢を崩す。
「おわああ!? な、なんだ!?」
焦るルノワの下で巨大な影がうごめいた。
「う、嘘だろ!? こ、こいつまだ生きて……」
下敷きになっている巨大な怪物が、上に乗っかるルノワの体を押しのけていく。ルノワの体勢が斜めに崩れた。
怪物の口が輝く。みるみるうちに膨大な魔力が怪物の口の中に集まる。怪物は見開いた目でルノワを捉えると、間髪入れず魔力の光を放った。
至近距離で吐き出された光がルノワの顔に直撃した。
ルノワの首が一瞬で消し飛ぶのが見えた。
ルノワの首を消し去った一筋の光が、空の彼方に飛んでいく。
その光の下で、首の無いルノワの巨体が、運動場へゆっくりとスローモーションのように背中から倒れ込む。轟音が鳴り響き、砂煙が撒き上がる。首を失った巨大な黒うさぎのぬいぐるみは、運動場に背中を強かに打ち付けると、光に包まれて消えた。
「ル、ルノ――」
相棒の名をつぶやく途中。蜜姫の全身からふっと力が抜ける。
「み、蜜姫!」
空中で意識を失い落下しそうになった蜜姫を、私は咄嗟に抱きとめた。
眼下ではルノワを跳ね除けた怪物が腹の底から咆哮を上げる。
怪物はさっきまでとは打って変わって、明らかな敵意をむき出しにして咆え狂った。
出鱈目な方角へ二度三度と口から光を放つ。その度に大地に深い亀裂が増えていく。射線上に建つビルが一瞬のうちに蒸発する。
アリの巣でも壊すかのようにあっけなく街が壊されていく。
冗談にしか見えない光景。
怒り狂う怪物は未だ気が済まないのか、どこかを睨みながら怒気のこもった低いうめき声をあげる。
もはや完全に手がつけられない。次の瞬間、なにをしでかすかもわからない。
もしもこちらへ光を放たれたら、その時点で一貫の終わりだ。
まるで生きた心地のしないまま、私は眼下で繰り広げられる悪夢のような光景を、固唾を飲んで見守ることしかできなかった。
ネロアもさっきから私の隣で黙ったまま。完全に言葉を失っている。
私の腕の中には意識を失ったままの蜜姫。
校舎のはるか向こうでは未だ道路に倒れ込むつぐ。そのすぐ隣で表情を崩しながらつぐになにかを語りかけている聖さん。雰囲気からしてつぐたちもどうやらまずそうだな……。
出鱈目な量の魔力を、もう幾度となく放ったというのに、怪物の魔力は衰えることを知らない。まるで底なしだった。
もしかしたらそのうち魔力を使い果たして、いい勝負になるかと思ったけど、どうやらそんな目はないらしい。
「律火」
ネロアが私の名を呼んだ。いつになく静かな声で。
「ここから離れよう。僕らにできることはもうなにもない」
諭すような声だった。私はただ静かに頷いた。反論などなにもないからだ。
校舎からは生徒たちが逃げ出している。
運動場では暴れ狂い光を放ち続ける怪物。
この状況を生き残るために必要なのは、たぶん運だ。
もう、どうこうできる段階はとうに過ぎている。
私はできるだけ多くの人が生き残ることを祈った。
「そのまま蜜姫を運んであげて。つぐ達が心配だ。行こう」
その場を飛び立とうとした時。私は違和感に気づいた。
……なんだろう、この感じ。
「待ってネロア」
妙な気配を感じた私はネロアを呼び止めた。
「どうしたの律火?」
これは……。
魔力……?
…………………………なんだこの魔力。
……また新たな敵?
どこからか、とてつもない魔力が迫ってくる。それも凄まじい速さで。
「律火?」
「感じない? すごい魔力がここに向かってくる」
「え……。……本当だ。――! こ、この魔力は……」
ネロアの様子がおかしい。
なんだか落ち着きがなく、あちらこちらを見渡している。まるでなにかを警戒しているみたいに。
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