葉那編⑧:真昼の密談未満

「海? みんなで?」


 翌日の昼休み、晴れた空が見下ろす中庭のベンチにて。僕の隣でサンドイッチを食べていた槇村さんは素っ頓狂な声を上げた。彼女は薄手のカーディガンの袖をさすりながら、やや申し訳なさそうに目を逸らす。


「まあ、たぶんあたしは泳がないけど……それでもいいんなら」

「うん。構わないよ。別に水泳が目的じゃないし」


 そう、今日も今日とて僕と槇村さん、そして咲也は一緒になってお昼を摂っていた。ひとつのベンチで三人寄り集まる格好で、並びは右から咲也、僕、槇村さんだ。


 咲也は口を動かしながら校内のにぎわいをぼんやりと眺めていたのだが、僕たちの会話はしっかりと聞いていたらしい。彼はからかうような表情を槇村さんに向けて笑った。


「あ、もしかして槇村泳げねえの?」

「なっ……!」


 思わぬところを突っ込まれた彼女は顔を赤らめ、表情を崩した。これはもしや図星だろうか?


「おっ……泳げるわ! ここ怪我してんだよ! 当日までに治るか心配なだけだっての!」


 違ったらしい。


 槇村さんはわたわたと慌てながらも、長袖を少しめくって左の前腕を指し示した。そこからは、彼女のすらりとした腕に真っ白な包帯が巻かれている様子がわずかに覗える。そういえばそれなりに夏が近づいてきているというのに、槇村さんはいつもベージュのカーディガンを身につけていた。今までそのことを特に気にしていなかったが、もしかしたらこの怪我が理由なのかもしれない――今さらながら、僕はそんなことを思った。


 軽口を叩いた咲也が槇村さんに平謝りしているのを横目で見つつ(ついでに僕自身も心の中で彼女に謝りつつ)、僕は自分のカツサンドに意識を戻す。ソースがよく染みておいしかったが、今日はどこか、その味が薄ぼんやりとしたものに感じられた。


 ――実際、葉那の友達がその場に来てくれることが重要なのだ。僕としては槇村さんが泳ごうが泳ぐまいが大した問題ではなかった。まあ、それを直接言ってしまうと角が立ちそうなので黙っているつもりだが。


「なあ、秋」


 最後のひと口を飲み込んだころ、咲也が低い声で尋ねてきた。


「ん?」


 どうせ聞かれることは判りきっているのだ。僕はわざとそっけなく答えた。


「海って、葉那のアレか」

「そうだよ」


 やっぱり食いついた。魔女研、すなわち今の記憶を失った葉那も巻き込んでの海への遠出。その意味を彼も理解しているはずなのだ。そして、次の反応にもだいたいの予想はつく。


「……ふーん、みんなで楽しんで……」


 だからこそ、咲也の想定しているとおりの流れにはするものか。その気持ちを乗せて、僕は次のひと言を彼にぶつけた。


「そういうわけで咲也も予定教えろよ。というか這ってでも来い」

「はあ!? 魔女研の活動だろ、なんで俺まで……」


 案の定咲也は烏のような目をまん丸くし、槇村さんに負けず劣らずの驚き顔を張り付けている。鳩が豆鉄砲うんぬんというのはこういった表情かもしれない。ちょっと間抜けな顔を浮かべた友達の様子がおもしろくて、僕は畳みかけるように言葉を続けた。


「あのね、何のために僕がこんな活動外の時間にこの話をしたと思う? 僕と槇村さんだけの話なら部室で話せば事足りるだろ?」

「うっ……」


 何も言い返せなくなった咲也は深いため息をつくと、諦めたような目でじとりと僕をにらんだ。


「……何が狙いだよ、秋。俺に何をさせたいんだ」

「さあ?」


 僕は彼を煽るように鼻を鳴らした。咲也の下を向いた頭からは大きな舌打ちの音が聞こえる。せっかくだからもう少し言ってやろう。念のため断っておくけど、決して自信家の友達をいじめて楽しんでいるわけではない。


「そもそも咲也は魔女研のこと探りたいんじゃないの? それでもゴシップ記者? 最近ゆるんでるんじゃないの?」

「おまえ、そのことは内緒だって……!」


 咲也はますます焦った様子で顔を持ち上げる。槇村さんが僕の隣で笑いをかみ殺しながら震えているが、今の彼にはそれに構う余裕もないらしい。というか、そもそも彼女の様子に気づいているんだろうか、これ。


「それに、なんだよゴシップ記者って! 俺はそんなもんになった覚えはねえぞ!」

「ん? そうだったっけ?」

「おまえなあ!」


 そんなやりとりを繰り広げる僕と咲也の間では、とうとう我慢できなくなった槇村さんが腹を抱えて笑っていた。僕は彼女の反応にほっとする。彼女の前でわざわざこんな話をしたのは、僕の無茶振りの場に第三者の彼女に立ち会ってほしいという気持ちがあったからだ。わけも判らないままこじれてしまった古い友達関係と、それに基づく肌触りの悪い会話。それらを誰かに大げさに笑い飛ばしてもらったほうが、最後まで自分の思いを貫ける気がした。


 槇村さんの笑い声を背に、僕は咲也を思いっきりにらみ返した。


「いいから来いよ。逃がさないからな」


 僕の視線を真正面から受け止めた彼は、降参と言わんばかりにもう一度だけ舌打ちをした――そう見えたのは、自分の願望が入りすぎた解釈だろうか。


「…………おまえって時々、すげー怖いよな」


 とにかく、咲也は魔女研の校外活動に参加することを約束してくれた。槇村さんは最後まで笑いっぱなしだった……。


 こうして僕は、クラスメイトを証人にした上で友達をやり込めて自分の望む状況を作り上げることに成功した。もし僕の腹の内側を見透かされてしまえば、咲也と槇村さんの両方からずるいと言われてしまうだろう。まあ、仮にばれたって構わない。僕の負う痛手などたいしたことはない。


 とにかく、海に向かう葉那のそばに咲也がいなければ意味がないのだ。

 正確には、僕と咲也が。


「しっかしあんたら、花邑のことになるとやけに必死なんだね。あーおもしろい……」


 笑いが収まってきたらしい槇村さんが、至極もっともな指摘をしてきた。

 僕と咲也は顔を見合わせ、いっせいに彼女のほうを向いた。


「それは秋が……」

「それは咲也が……」


 僕たちの様子を見た彼女は、最後に一度だけぷっと吹き出して――。


「あーはいはい。順番に聞いてあげるから。ね――」

「…………」


 僕たちから槇村さんに言い返せることは、もう何もなかった。

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