第60話

吉田よしだ義高よしたかさん、犯人は貴方です」


 小林こばやしに突然名指しされた紺のスーツを着た小太りの男は石のように固まっていた。


 ここは学習塾・新進しんしんゼミナールの教室の一室である。中にいるのは俺と小林、桶狭間おけはざま警部と吉田義高の四人だけである。


 桶狭間警部の事前の調査によって、椎名しいな竜生りゅうせいの死亡推定時刻、12月12日の19時から20時の間に授業をしていた講師は三人。吉田はその中の一人だった。


「……おかしいなァ。さっきそちらの刑事さんにはお話したんだけど、僕には椎名が殺された時間のアリバイがある。僕には犯行は不可能だ」


「いいえ、それは違います。椎名さんを殺せたのは貴方の他にいないんです」


「そこまで言うからには、何か証拠があって言ってるんだろうね?」


「ええ、証拠なら勿論ありますよ。椎名さんの遺体の傍らに残されていたダイイングメッセージ。それこそが、貴方が犯人だという事実を指し示しています」


「……ダイイングメッセージ?」

 吉田は怪訝な顔をする。


 ダイイングメッセージの情報はテレビや新聞では一切報じられていない。いわば、警察と犯人しか知らない情報である。


「何のことだ?」


「ホワイトボード用のマーカーで書かれた『8÷2(2+2)=X』という計算式です」


「それに何の意味があるか知らないが、僕には関係ない。第一、被害者が残したダイイングメッセージが犯罪の証拠になんてならないだろう」


「ええ、それが本当に被害者が残したらメッセージであればね」


「……なッ!?」

 吉田の頬がヒクヒクと痙攣する。


「……それはどういう意味だ? そのダイイングメッセージは椎名が書いたものではないのか?」


「筆跡鑑定の結果、椎名さんの書いた文字でほぼ間違いないということがわかりました」


「だ、だったら……」


「文字を書いたのが椎名さんでも、それを死体の傍に残した人物が椎名さんであるとは限りません。犯人はある目的の為に、ある方法を使って、あのメッセージをわざわざ残しておいたのです」


「……ある目的? 一体お前が何のことを言っているか知らないが、僕にはきちんとしたアリバイがあるんだ。言いがかりをつけるにしても、まずは僕のアリバイを崩してからにして貰おうか」


「貴方は授業中、五分間だけこの教室からいなくなった時間があったそうですね。生徒さんの何名かに確認したので言い逃れはできませんよ」


「……それが何だって言うんだ? 生徒たちが問題を解いている僅かな時間にトイレに行ってきただけだ。ここから椎名のアパートは車でも十五分はかかる。僕に殺害現場まで行って帰ってくる時間はない」


「いえいえ、もう惚けるのはやめにしましょうよ、吉田さん。椎名さんのアパートは殺害現場ではない。本当の殺害現場はこの建物の中の何処かなのでしょう?」

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