第36話


 俺と小林こばやし桶狭間おけはざま警部に連れてこられたのは、ミステリ作家・九条くじょう義一郎ぎいちろうの豪邸だった。白い二階建ての瀟洒しょうしゃな建物で、広い庭も手入れが行き届いている。


 事件があったのは一階の書斎。殺されていたのは九条義一郎その人だった。著名なミステリ作家の最期は、背中からナイフで一突きだった。義一郎は背中にナイフが刺さったまま、うつ伏せに倒れている。着ていた白いガウンには傷口から赤黒い染みが広がっていた。


「さあ、依頼人とご対面だ」


 そう言って桶狭間警部が指差したのは、エプロンドレスを着た可憐な少女だった。


「……お願いします、探偵さん。どうか私を助けてください」

 栗色のセミロングの髪のその少女は、顔面蒼白で微かに震える声でそう言った。


「彼女の置かれている現状を話しておこう。彼女は九条家の使用人として働いている、鴨志田かもしだ亜望つぐみ。主人である義一郎氏殺害の容疑がかけられている」


「…………」


 どうやら今回の依頼人は桶狭間警部ではなく、殺人の容疑をかけられているこの鴨志田という少女らしい。


「鴨志田さんに容疑がかけられている根拠を教えてください」

 小林が桶狭間警部に質問する。


「いいだろう。至極単純な話だよ。義一郎氏の死亡推定時刻、午前9時から11時頃の間、この屋敷にいたのは鴨志田ただ一人だった。それ以外の家族には全員にアリバイがあったのだ」


「待ってください、私は先生を殺してなんかいません。それに先生の仕事中に書斎に入ると、仕事の邪魔だと厳しく叱責されるのです。以前、紅茶をお持ちしようとして、叱られてからは気を付けているのですが……。それなのに、私がどうやって先生を背後から刺すことができるんですか?」


「……死亡推定時刻は義一郎氏の仕事の時間というわけですね?」

 小林が鴨志田に確認する。


「そうです」


「質問なのですが、今朝は何をお召し上がりに?」


「……はい?」

 鴨志田は何を訊かれたのか理解できなかったようだ。困惑したように目を泳がせている。


「朝食は何だったのですか?」


「……え、えっと、目玉焼きにソーセージ、トースト、サラダにヨーグルト、それにコーヒーです」


「食事は何時ごろ食べましたか?」


「……毎朝7時に」


「朝食を用意するのは貴女ですか?」


「……そ、そうですが。あの、それが事件と何か関係があるんですか?」


「ふーむ」

 小林は今聞いた内容を吟味するように、こめかみの辺りを指で揉みながら目を閉じている。


「義一郎さんの仕事中は書斎に入れないという貴女の主張ですが、たとえば朝食に睡眠薬を混ぜておけば、問題なく侵入することができます。あとは眠っている義一郎さんの背中にナイフを突き立てればいい」


「……そんな、信じて戴けないのですか?」


「おいおい小林、何でわざわざ依頼人の不利になるようなことを言うんだよ」

 オレは小林に詰め寄る。


「我々は弁護士ではありません。我々にできることは事件の真相を明らかにすることだけです。とどのつまり、誰の味方でもない。強いていうなら犯人の敵といったところでしょうか」

 小林は冷徹に言い放つ。


「それでも良ければ、犯人を見つけ出すお手伝いを致しましょう」


「……わかりました。私は先生を殺していませんので、私にとって犯人は敵です。敵の敵は味方、つまり探偵さんは味方ということになりますよね?」

 鴨志田亜望は真っ直ぐに小林を見つめている。


「……なるほど、わかりました。それでは調査を開始します」

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