カルテ273 眠れる海魔の島(後編) その1

 南国の夕暮れの海風が優しく波打ち際のヤシの木の葉をそよがせ、夕陽が大海原を朱に染めていた頃、入江に注ぐ川沿いに建つとある一軒家の中で、モジャモジャ頭の白衣の男が藁布団に臥床している老婆を裸に剥いていた。側では二十代半ば程度の女性がその様子を心配げに見守っている。


「あらー、こりゃあ思った通り立派な褥瘡(じょくそう)ですねー。だいぶ寝たきりでしたか?」


 老婆の背中を覗き込んだ白衣の男性こと本多が、脳天からでも出しているかのような素っ頓狂な声を上げる。


「……じょくそう?」


 側の女性ことアラベル・ファリーダックが聞きなれぬ異界の用語に眉を顰める。


「おおっとすいません。褥瘡とは、長い間同じ姿勢で寝たままの人の背部の皮膚が赤くなったりびらんや潰瘍を起こすことで、平たく言えば『床ずれ』って呼ばれるものです」


「はあ、なるほど……確かにお義母さんはずっと寝たきり状態でしたが……でも、何故そんなものが出来るんでしょうか? 私には全然ないのに」


 アラベルは赤い花の髪飾りごと小柄な頭を傾げ、医者に問い質した。


「そーですね。実は元気な普通の人は、睡眠中に無意識のうちに何度もゴロゴロ寝返りを打っていて、身体の同じ部分が布団に当たらないようにして、床ずれが生じるのを防いでいるんですよ。でもお婆ちゃんみたいに身体が弱って寝たきりの人は、自力で動くことが出来ない為、ずっと同箇所……例えば腰の辺りの骨が出っ張っている仙骨部や、お尻の臀部、踵などに力がかかって、その結果その部位の血の流れが滞って、褥瘡を起こしやすくなるわけです」


 本多はまるで泥団子でもこねるような手つきで身体の動きを表現しながら、彼女に説明した。


「さすが伝説の白亜の建物のお医者様だね。聞きしに勝るとはこのことだよ、アラベル。寝たきりといえば、ずっと独り寝で寂しかったし、私ももう三十歳若かったら先生と今夜一緒に……」


「ななななな何を言い出すんですかお婆ちゃん! 旦那さんに悪いでしょうが!」


 裸で尻を曝している老婆ことアーゼラが、突如濃厚な秋波を送り出したので、本多は胸焼けでも起こしたような顔になった。


「旦那なんかとっくにあの世に行ってますよ。先生は奥さんはおるんですか?」


「僕だってバツイチですけど、それとこれとは別問題です! 診察に恋愛感情は禁物です!」


「フフッ」


 うろたえまくる本多の姿に、つわりも忘れて妊婦は吹き出していた。

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