第3話
「大上くん」
休み時間の合間。少ない学生達の憩いの空間にぽつねんと一人で過ごしているのは、本来なら苦行だ。ざわざわと賑やかに談笑しているクラスメイト達から外れた疎外感を味わうから。
進級して二週間。既に完成されているグループに加われていない疎外感は思春期の高校生からしたらとんでもなくストレスで恥ずかしいことだろう。
けど、もう何年もそんなことはへっちゃらな俺は逃げて別の場所で孤独に過ごすなんてことは敢えて選ばない。
ワイヤレスヘッドホンを頭にかけ、お気に入りの本を開いていかにも自分の世界に没頭してますよ〜という気配を漂わせる。
あっという間にクラスの空間の一部、もしくはオブジェクトの一部と化す。
長年の陰キャ生活で培った経験で編み出した俺の秘技だ。ただ一人であることを楽しむだけじゃない。周囲から関心を持たれないまま時間を潰し、たしかにここにいることを示せる。
この秘技が破られることなんて、今までで一度もない。
誰かが声をかけてくるだなんて想像すらしていなかったから、反応が送れてしまった。
机にできてそのまま、留まっている影に違和感を抱いて目線を少し上に。そうしてようやく誰かが俺に意識を向け続けていたことに気づいた。
長い黒髪が似合う知的で清楚な気品。感情が薄くキリッとした目つきに冷たい印象を抱かせる顔立ち。睥睨されているからか嫌に高圧的に感じてゾクッとくる。
柊美音。容姿端麗だけでなく、成績優秀でスポーツも万能。人付き合いもそつなくこなして交友関係が広い俺とは真逆の存在、完璧超人だ。
そんな柊は俺を見下ろしたまま動こうとしない。クラスメイト達もそれとなく窺っているのを肌で感じる。入学してから何度も告白され、テストでも常にトップという有名人名彼女のことはいくら俺でも知っているから当然だろう。
そんな彼女が。なんで俺に?
「古文の小問題のプリント。まだ提出していないでしょう」
「あ、ああ・・・・・・」
途端に安心した、そうだよな、という空気を発する男子生徒達に心の中で同意して、そしてまたいつもの雰囲気へとクラス中が包まれる。
最初はなんだとおもっていたけど、なんだ、そうだよな。彼女みたいな俺と正反対な存在が、みたいな奴に用があるとすればそれくらいのことでしかないのに。
「私、先生に頼まれてプリントを回収して持っていかなくてはいけないの。次の授業が始まる前に」
「わかった」
暗に急かしているニュアンスに、半ばびくつきながらようやく机の中を探る。目当てのプリントをすぐに発見して手渡し、すぐにまた自分の世界に没頭する準備を整えはじめた。
「あなたっていつもマスクしているのね」
「え・・・・・・?」
ヘッドホンを耳にかける間際、ざわついた話し声にかき消されるような小さな指摘。聞き間違いか? と訝しんで顔をあげると柊は既に教室から出ていっていた。
「・・・・・・気のせいか」
手持ち無沙汰な心境でもう誰もいない出入口に目線を注ぎ続けて数秒後、虚しさを感じて独りごちた。
放課後、人気の失せた校舎の廊下を全力疾走していた。さっさと帰宅の途についていたのだが、途中立ち寄った本屋で財布を忘れていたことに気づいたからだ。
教室に辿りつき、自分の机やロッカーからあっさりと出てきて安堵した。一日の記憶を掘り返してここしか思い当たる場所がなかったから、違ったら本当にどうしようもなかった。
息苦しさからマスクを外し、息を整える。すぐには帰ろうという気がおきないのでなんとなく窓から外を眺める。
夕暮れに照らされるようにしながら部活に励む生徒達。汗と笑顔に塗れながら充実したかけ声があちらこちらから遠鳴りになっている。
そうして過ごしていたら走った疲れが消えたので、来た道を戻るために扉に手をかけようとした。
「好きです! 付き合ってください!」
ピタリと硬直してしまう。すぐ外、おそらくこの扉を開けたらすぐ近くにいるとわかるほどの距離、声量。
「高校に入学してから君を見かけるたび、意識してた!」
もしかして、誰か告白してる?
(ここで今出ていったら気まずいじゃないか)
「ごめんなさい。私はあなたと付き合うつもりはないの」
「そ、そんな・・・・・・・・・・・・」
「それじゃあ」
しかも告白は失敗したらしい。同じ男として同情するけど、早く終わってくれて助かった。そうじゃないといつまでも帰れないからな。
「ま、待ってくれ! 理由を教えてくれ!」
相手の男は諦められないのか。よっぽど好きなんだな。
「一年生の四月から八十回は告白しているのに毎回断る理由を!」
凄ぇなこいつ! それだと週に一度以上は告白してる計算になるぞ!?
「俺にはもう君しか見えない! だから頼む!」
しかも食い下がってきた。よっぽど好きなのか。
「恋人としてお付き合いするほどの好意はないし、あなたに時間を使うなら勉学に使ったほうが効率的だからよ」
容赦ねぇな相手の子は。そこまで徹底的に言われたら普通再起不能だぞ。
「けど、試しにデートしたり携帯でやりとりしてるうちに好きになれるかもしれないだろ!? そうやって最初から拒絶しなくても!」
そんで男のほうはしつこい。最早このしつこさが断られてる理由なんじゃないかってレベル。
「なら、そういう女の子を探してちょうだい。私は興味ないから。それから今後はもう告白はやめてちょうだい」
「待ってくれって!」
「ちょ、痛い・・・・・・・・・」
「せめて友達からはじめさせてくれ!」
物騒な物音、小さい苦悶めいた悲鳴。二人のやりとりに危なげなものを感じとった。なにも関係ない。余計な揉め事に巻きこまれるのは嫌だし。
でも。
「い、痛い、やめて・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・。
ガラッ!
「!?」
「な、なんだお前・・・・・・・・・・・・」
勢いよく扉を開けると、カッと見開いた二人の視線が集中する。
「そっちこそ・・・・・・・・・なにしてんの・・・・・・・・・?」
まだ告白の途中という意識だったのか。ハッとした様子で嫌悪感バリバリで睨みつけられる。喧嘩なんて一度もしたことがないビビリな俺は視線を合わせることもできず、バクバクとうるさい心臓の高鳴りに身を任せているだけだ。
「ち・・・・・・・・・邪魔しやがって・・・・・・・・・・・・」
己が不利であると悟ったのか。男はそのまま憮然とした面持ちで去っていった。男の後ろ姿が消えると、おもわず尻餅をつきたくなるほど脱力していく。
「あ、あの。ありがとう」
「いや・・・・・・・・・・・・・・・」
助けようとしたわけじゃないし、なにかできたというわけじゃない。お礼を言われても気まずいだけだ。そそくさと立ち去ろうとしながら、初めて誰かということに気づいた。
柊美音。まさかの遭遇にあっと意識を逸らせない。
美人だモテるって噂は聞いていたけど、こうして告白された現場に居合わせると説得力が違う。
「あら? あなた――――――」
いきなり距離を詰められ、ジッとこちらを見上げられる。まるで観察しているような瞳に縫い合わせられたようになってその場を動けない。
それだけじゃない。柊みたいな美人といきなりこんな至近距離になったことなんてなかった。緊張で心臓がとてつもなく暴れだす。それだけじゃなく、いつもは感じない芳しい香りが鼻腔を擽った。
シャンプーと体臭が混じった、香水ではない甘く優しい匂い。男では決してありえない異性の匂いに熱い昂ぶりが。
そして、
どくん。
「!」
心臓の鼓動では決してありえない脈動がおこった。
(まずい・・・・・・)
「ま、マスク・・・・・・・・・・・・」
こうならないように手放せないマスクは、今手元にはない。慌てて探すけど、空回りした思考がぐるぐる巡り、余計焦っていってしまう。脈動が激しく大きくなる。このままじゃとんでもない事態になるっていう自覚が、更に混乱を極める。
「マスクってこれかしら」
「!」
地獄に仏。柊が見つけてくれたマスクを受け取ろうとした。けど、悪いことというのは連鎖していくのかもしれない。
四つん這いで屈んでいたからか、それとも焦りすぎてマスクしか見ていなくて彼女との距離が把握できていなかったからか。立ち上がった勢いで足が縺れて柊へと凭れかかっていくのをとめられない。
結果的に押し倒す形になった。
スカートとブレザーが乱れ、際どい姿の柊を、固まったまま眺めるしかなくなる。きょとんとした表情が恐怖で引き攣っていくのを具に見てとって、ブワッと肌に粟が生じる。
「ご、ごめ――――」
ようやく我に返ったけど、手遅れだった。
ドクン!
「! が、」
「え?」
変貌がはじまってしまった。
きっと一瞬の間もなかっただろう。己のみに生じた異変は、柊の反応なんてたしかめなくてもハッキリとわかる。
全身を覆う濃い体毛に鋭い手足の爪。牙が生えそろう口と鼻が伸びた面長の顔。二回りも膨れた体格。
「な、なに?」
「い、いや・・・・・・・・・違う。これは――――」
ビリッ!
下着と制服を引き裂いた音とともに、臀部の辺りでうぞうぞと蠢いていたなにかが勢いよく突き破った。
「尻尾?」
(あ、終わった・・・・・・)
もうダメだと。本当にあそこで飛びださなければよかったと深く後悔した。
今まで誰にも見られたことがなかった人狼の姿を、同級生に晒してしまったのだから。
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