後編



 話は三百年前――フォルコ家の始祖がまだ王子の位にあった時代にまで遡る。


「フォルコ殿下は珍しいお茶を淹れると評判でして、まあ、それがコーヒーだったのですが……わたくしめも飲んでみたくて仕方がなかったのです」

「しかし、彼の側には天敵たるマンチカン伯爵がベッタリくっ付いていたため、声をかけられなかった、と?」


 ウィリアムの言葉に、ええ、はい、まあ、とラテは歯切れが悪く頷いた。

 しかし、三百年前のラテは無駄に思い切りがよかったらしい。

 フォルコ王子の留守を狙って研究室に忍びこみ、彼の真似をして自分でコーヒーを淹れようとして大失敗。あろうことか、棚に並んだコーヒー豆のビンをことごとく割ってしまったのだという。

 それを聞いたイヴとウィリアムは同時に天を仰いだ。

 

「やっちまいましたね」

「やっちまったな」

「ええ、はい……やっちまいましてございます」


 フォルコ王子はラテを責めることはなかったが、苦労して集めたコーヒー豆がダメになってしまったのにはさすがに消沈した。

 それを見て大激怒したのが、後に第十四代アンドルフ国王となる弟王子とマンチカン伯爵だ。

 ネズミを処刑せよ! いいやボクが食ってやる! と二人が息巻くのに、フォルコ王子は慌ててラテを王宮から追い出したのだという。

 そんな当時に思いを馳せたのだろう。

 ラテは黒々とした丸い瞳を潤ませて語る。


「フォルコ殿下は、コーヒー以外にはまるで無頓着で、王族の自覚も威厳もなく、生活能力のない穀潰しの、まったくもってダメダメな方ではございましたが……」

「どうしよう、ご先祖さまが全力で悪口を言われている……ウィリアム様、私は怒った方がいいでしょうか?」

「必要とあらば私が後でまとめて怒ってやるから、イヴは聞き流していいぞ」


 微妙な顔をするイヴとウィリアムをよそに、失礼極まりないネズミはしみじみと続けた。


「しかし、とても穏やかな、お優しい方でございました。みなさま、あの方を深く愛していらっしゃったのですよ」


 もちろん、わたくしめも、とラテが目を細める。

 彼が王宮を出入り禁止になったのは、コーヒー豆をだめにしたからではなく、それを発端とする厳罰から逃すための、フォルコ王子による苦肉の策だったのだ。

 コーヒーを粗末にしたものは末代まで許すな、というフォルコ家の家訓は、これが歪曲して伝わったせいで生まれたのかもしれない。

 ともあれ、ラテとしてもフォルコ王子に命を救われた自覚があるため、その子孫であるフォルコ家の人間には敬意を払うようにしてきた。

 彼がイヴを〝イヴ様〟なんて呼ぶのもそのためだ。

 しかしながら、代々のフォルコ家当主は誰も、初代の命を撤回してこなかった。

 それはそうだろうと思ったイヴは、隣に座るウィリアムの耳にコソコソ内緒話をする。


「兄さんも、ラテさんのやらかしを聞いたら絶対撤回しませんよね?」

「しないな。あいつはコーヒー過激派だから……」


 今代も王宮出禁続行間違いなしなラテは、イヴと並んで切り株の端にちょこんと腰を下ろした。

 イヴの陰に隠れて、ウィリアムからは彼が見えなくなる。

 イヴはウィリアムが挽いた豆をドリッパーに入れて、焚き火で沸かしたポットのお湯を注いだ。

 とたん、ふわりと立ち上ったコーヒーの香りに、ラテが黒々とした鼻をヒクヒクさせる。

 彼は感慨深げなため息を吐くと、コーヒーを淹れるイヴを見上げて言った。


「イヴ様を見ておりますと、あの頃のことがよくよく思い出されます。フォルコ殿下のお側には、あなた様とよく似た黒髪とコーヒー色の瞳の、ヒト族の女性がおられたのですよ」

「ヒト族の、ですか……?」

「ええ、しかも当時すでに希少になっていた純血のヒト族でございます。フォルコ殿下がコーヒーに魅せられたのは、その方の影響でした」

「アンドルフ王国の王宮にヒト族の純血がいたと言うのか? それは、私も初耳だな……」


 突然もたらされた三百年前の新情報に、イヴとウィリアムはまた顔を見合わせる。


「わたくしめがやらかした頃には……もう、この国にはいらっしゃいませんでしたがね」

「どこへ行ったんだ?」


 イヴの向こうからウィリアムが覗き込んで問うと、ラテは身を縮こめてぽつりと答えた。


「……ヒト族の国に、お帰りになられました」


 そんなやりとりの間にも、ドリッパーの中ではお湯を注いだ粉がモコモコと膨れ上がっていた。

 これは焙煎によって発生したガス――二酸化炭素の作用によるもので、やはり二、三日寝かせたものに比べると抽出が甘い。

 それを証拠に、三つのカップに移したコーヒーは、普段店で出しているものより幾分色が薄かった。


「何やら、懐かしゅうございますなぁ……あの後、王宮に出入り禁止になった私に、フォルコ殿下もこっそりこうして焙煎したてのコーヒーを淹れてくださったのですよ」


 一口飲んだラテがそうしみじみと呟くのを聞いて、イヴもまた感慨深い思いを抱く。

 コーヒーの豆の種類や製法は時代が進むにつれて多様化したものの、基本的な味わい方はヒト族が伝えた時代から変わっていないのだ。

 ミルクと砂糖を足して、カップに口をつける。

 見た目の通りやはり少し薄かったが、イヴもウィリアムもラテも、何も言わずにそれを味わった。

 コーヒーの香りが漂う中、広場に郷愁を含んだ沈黙が落ちた――その時。



「うわーん、イヴぅうう! 聞いてよー!!」



 泣き真似をしながら登場したのは、思いもよらぬ人物だった。


「せっかく湖まで行ったのに、風が強くてボートが出せなかったのぉ! つまんないから、もう帰ってきちゃ……」


 王城からずっと離れた湖に行っているはずのマンチカン伯爵だ。

 その青い瞳が、イヴの隣でカップを傾けるラテを捕らえたとたんである。

 

「んにゃー、この性悪ネズミめー! ここで会ったが三百年目ええ!!」

「きゃー! ネコー!!」


 ネコは両目を釣り上げ牙を剥き、全身の毛を逆立てて威嚇する。

 ネズミは中身が残ったカップを放り投げ、その場でびょんと飛び上がった。


「ちゅー! イヴ様! おたすけー!!」

「ええっ……あの、ちょっと……」

「ああっ、このぉ! イヴを盾に取るとは、卑怯にゃりーっ!!」

「お、お二人とも落ち着いて……」


 イヴを挟んでチューチュー、ニャンニャン、それはもう大騒ぎである。

 しまいには、自分の周りでぐるぐると追いかけっこしだした二人に、イヴは目を回しそうになった。

 空になったカップを必死に両手で握りしめていたが……



「――いい加減にしろっ!!」



 爆風のごとく吹き付けた怒声に、ネコもネズミも、ついでにイヴが握りしめていたカップまでも吹っ飛んだ。

 声の主はウィリアムだ。

 イヴはとっさにカップを追いかけようとしたが、横から伸びてきた彼の手にさっと抱き上げられてしまう。

 そのままウィリアムが立ち上がったものだから、彼女の視界は一気に高くなった。


「そこのネコとネズミ、イヴを巻き込むな! よそでやれ! 原始の関係に戻りたいというのなら、裏山にでも行って好きなだけやり合ってこいっ!!」

「えっ……やだにゃー……」

「わたくしめも、いやです……」


 一方、五百年余りを生きる獣人二名は、小さくなった。

 なにしろウィリアムは、生粋の獣人よりも強いと言われる類い稀なる先祖返り。

 それでなくても、本気になったオオカミにネコもネズミも敵うはずがないのだ。

 そんなアンドルフ王国最強の腕の中にいるイヴはというと……

 

「ウィリアム様……」

「イヴ、びっくりしたな。もう大丈……」

「――かわいい!」

「――んっ!?」


 カップを離して自由になった両手でもって、目の前の銀色の頭をぎゅっと抱きしめる。

 何しろそこには、銀色のフサフサの毛に覆われたオオカミの耳が、ピンと立っていたのだ。

 もちろん、尻尾だって飛び出している。


「かわいい! ウィリアム様、かわいい!」

「うぬぅ……」


 イヴはオオカミの耳を全力でモフモフしつつ、立ち上がった自分達に代わって切り株に座ったマンチカン伯爵とラテを見下ろす。

 並んで上目遣いで見上げてくるネコとネズミは、文句なしに愛らしいが……



「やっぱり――ウィリアム様が世界一かわいいです」



 とたん、ブンブンする銀色の尻尾が視界に入って、マンチカン伯爵とラテがニヤニヤし始める。

 ちょうどそこに、仕事が煮詰まったためコーヒーの相伴に与ろうとやってきたクローディアが、満面の笑みを浮かべて言った。



「――爆発しろ」




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