粛清諜報機関ブラックチェア〜序列最下位の魔術士が、流浪の騎士の人生を預かるようです〜
七緒ナナオ📚2/1発売【審問官テオドア】
第1話 ポンコツ魔術士と流浪の騎士
「あれ? もしかしてこれ……失敗した?」
魔術士トラヴィスが、予期せぬ事態に眉を寄せて小さく
トラヴィスが座っている黒い椅子に何度魔力を流しても、なんの手応えもなく反応も示さないから。
——マジかよ俺、この椅子壊してないよね!?
表情は努めて冷静に。けれど内心ガクブルしてしまう情けないトラヴィスの身体を、静かで冷えた空気が包み込む。
帝都の中心に
四方を黒で覆われた一室に、九脚の
その一脚に座る魔術士と後ろで控える騎士がひと組。
トラヴィスは黒を基調とした隊服を着崩し、枯草色の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
——ぬあーッ! え、俺、ついにとうとう魔道具すらまとも使えなくなったの!?
心の叫びは決して声にも顔にも出さずに冷静沈着な魔術士を装い続ける。後ろで控える騎士にみっともない姿を見せたくないからだ。
トラヴィスは魔術士らしく武器らしい武器は携行していない。代わりに丈夫な帆布鞄を肩から下げ、今は膝の上に置いていた。
その帆布鞄を指でトントン叩きながら、
——ただでさえ
そうしてしばらく叫んで気持ちを落ち着けてから、トラヴィスは斜め後ろで気配を消して立っている
「……なあ、ギード。俺、
「記憶している限り、お前が
硬質で落ち着いた響きを持つ声が、トラヴィスの過去と今とを肯定する。
——よかった、俺、役立たず違う。役立たず回避!
ギードの言葉であっさり自信を取り戻したトラヴィスは、
切長の黒い目、短くさっぱりとした黒髪。スッと通った鼻筋に乱れのない輪郭。隊服の詰襟までキッチリとボタンを閉じた姿は真面目を体現しているよう。
「お前が失敗したようには見えなかった。加えてヴィリ殿が整備不良を起こすはずがない」
「だよな? ……てことは、皇帝陛下に敵対する
トラヴィスは唸りながら黒い椅子の背もたれに身体を預けた。
ふたりの
変人だと評される皇帝には、内外に敵がざくざく山ほど存在する。そして、皇帝に敵が多ければ多いほど、諜報と粛清の仕事が増えて金になる。
「ふは、ボーナスチャンスじゃんよ。うっし、キリキリ働いて目指せ借金完済!」
「トラヴィス、いい加減、私の貯金を返済に回す気にはならないのか? そうすれば完済などすぐに達成できるはずだが」
ギードの
「駄目。お前の金はお前のもの。俺の借金は俺のもの。第一、ちょーっとギードの復讐に付き合ってやったからって、恩にきすぎ。……はぁ、面倒臭い生き物だよな、騎士ってもんは」
トラヴィスがジロリと睨む。ギードはどこ吹く風で平然としたまま。
騎士という生き物は、とにもかくにも面倒臭い。義理に厚く恩に報いることに執着する。
加えて、誰もが皆、魔力を持ち、戦闘職といえば魔術士か魔剣士が主流のこの世界では、魔力を封じて剣のみで戦う騎士はそれだけで
「しかし、仮とはいえ誓約した。お前は早く私の真の誓約を受けるべきだ」
どことなく真剣な熱を帯びた声がトラヴィスの鼓膜を震わせる。
——絶対に受けてやらん! ポンコツ魔術士に騎士の人生なんか預かれるわけがない!
そうは言うものの、トラヴィスにはギードから騎士の誓約を仮受けした過去がある。
ギードの復讐を達成するため、騎士としての力を底上げするために仕方なく結んだものだった。
代償として得るのは絶大なる力。不可視の力や魔力さえ斬り伏せる力を騎士は得る。けれどその人生を、自由を、権利を
仮誓約中であるからギードはこうしてトラヴィスに対して自由に振る舞うことができるのに。
「いいか、トラヴィス。仮でも誓約した以上、私は騎士としてお前を守る義務がある」
「あーはいはい。そんなだから俺に付き合ってこんなとこまで来ちちまったんだぞ。わかってんのか、そこんところ!」
「それで、どうする。他の
「おい、急に話を変えるな。まだ話は終わってねぇぞ。……でもギードの言いたいこともよくわかる」
トラヴィスはわからず屋のギードのせいでうっかり眉間に刻んでしまった深い皺を人差し指で伸ばしながら、深呼吸をひとつ。息を吐いて、吸ってから口を開いた。
「……俺らの手には負えないだろ、これ。円卓会議の召集一択だ」
皇帝陛下の黒い椅子、通称
どんな会議や密談であっても、皇帝の意に反するのであれば黒い椅子とともに現れ、粛清して去る諜報機関。
椅子は九脚、機関員も同じ九人。リーダーはおらず、強さを測る序列はあっても誰もが対等。
どこにもおらず、どこへでも現れる。招かれざる会議も、密談も、彼らは関係なく現れる。
——黒い椅子とともに。
ガラテア帝国の表向きの組織図には存在しない
彼らは非実在機関として、人々の噂や御伽話の中でしか語られない。
帝国内のありとあらゆる会議や密談に侵入を果たす魔道具、
その魔道具に異常が発生したことは、トラヴィスによって速やかに粛清諜報機関
一時間も経たないうちに円卓会議が召集され、九人のうち六人が四方を白い壁と床で囲まれた会議室——白会議室に揃った。
会議室の奥には、四方を黒で覆い、九脚の
そして、トラヴィスはどうしてかひとり、着席することを許されず白い会議室で立っている。
「トラヴィス、報告を」
冷静沈着で底冷えするような冷たさを持つ声で、壮年の男——ゲープハルトがそう言った。
——こんな非常事態でも顔色変えないのか、ゲープハルト老は。
讃えるべきか、恐るべきか。ゲープハルトに名指しされたトラヴィスは、円卓会議にも関わらず会議を取り仕切る男をジッと見る。
本来、円卓会議に序列は無用だ。召集をかけた者がその会議を取りまとめる決まりになっている。
けれどゲープハルトはトラヴィスから第一報を受け取ると、自分がこの会議を取り仕切ると言い出した。
序列一位で最古参のゲープハルトの言葉に、序列九位で最下位のトラヴィスは、呆気に取られて口をはくはくさせるしかなかった。
そういうわけで、円卓会議の進行役ではなく報告者になってしまったトラヴィスは、こうして皆の前で立たされている。
「俺の情報屋が掴んだ密談に侵入しようと試みて……失敗したわ。すまん!」
トラヴィスは、ガバリと音がしそうなほど勢いよく頭を下げた。誰にも追撃されないように先手を打った。美しい直角九十度の角度で腰を折り、頭を下げる。
「無駄に頭下げなくていいし! 時間の無駄。いいから状況、教えるし!」
バァン! と不機嫌に机を叩く音がして、トラヴィスは反射的に顔を上げた。
視線の先には桃色の髪の毛先を魔術で黄色に輝かせた少年。大きな目をキリリと吊り上げている。序列五位のヴィリである。
少しも怖くはなく、むしろ可愛らしさを感じさせるヴィリの表情に、トラヴィスはいい意味で、ふ、と気が抜けた。
「悪ぃ悪ぃ、ヴィリ先輩。……あー、
「えー、嘘でしょ? 起動は? 起動はしたの?」
「起動は私が確認している。が、すぐに落ちたように感じた」
ヴィリの確認に答えたのはギードだ。
ギードは魔術が使えない。騎士とは誓約により魔力を封じて力を得る生き物だから。
とはいっても、騎士が魔力の痕跡を視れないわけじゃない。むしろ、魔力の流れや動きを視ることに長けている。
そんなギードの序列は八位。魔術が使えないという一点でこの順位に甘んじている。
「落ちた? ……ということは、侵入途中で
薄いくちびるを黒い手袋で覆われた指でいじりながらブツブツ呟いているのは、序列七位のカイ。
夜の藍色を切り取ったような色の短い髪を整えて、
「相手方に妨害魔術の天才でもいるのかなぁ。ぼくが組み上げたスペシャルな魔術式を知らない限り、強制
「そうですね、ヴィリ先輩。貴方の術式は
「おわ? 褒めらりた? ぼく、褒められた?」
嬉しそうに頬を緩めるヴィリ。ヴィリはカイの師匠を自称するほどカイを可愛がっている。
けれどカイは年下の少年に教わっている、という状況を受け入れることができないようで、いつも苦虫を噛み潰したような顔でヴィリの話を聞き、時々チクチク刺している。
そんなふたりを眺めながら、トラヴィスの隣に座るギードが小さく首を傾げてボソリと言う。
「褒めては……いないのではないだろうか」
「ギード、しぃー! いいんだよ、ヴィリ先輩が上機嫌なら」
機関内の
主担当がヴィリ、副担当がカイで、
「そういや、
円卓会議に出席している六人の中で、一番背が高く体格もよい男——序列四位のケイレブが、なんとはなしに声を上げた。
燃えるような赤く長い髪に褐色の肌。本来ならば長袖であるべき隊服の袖を引きちぎり、強引に袖なし隊服に改造している無頼者。
諜報よりは粛清や皇帝の護衛任務にあたることが多い武人で戦闘狂だ。
「我らが皇帝陛下は敵が多くて我らの仕事に困らないのが、唯一の困りごとであるな」
少しも困っていないゲープハルトの声。トラヴィスがうっかり乾いた笑いを受かべていると、白会議室にひとりの若い青年が駆け込んできた。
柔らかく癖のある茶色の髪を乱れさせ、耳と尻尾とを生やした犬人の青年——序列六位であるクンツが、青褪めた顔と焦った声でこう吠えた。
「た、大変ッス! 退位させたはずの先帝が、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます