粛清諜報機関ブラックチェア〜序列最下位の魔術士が、流浪の騎士の人生を預かるようです〜

七緒ナナオ

第1話 ポンコツ魔術士と流浪の騎士

「あれ? もしかしてこれ……失敗した?」


 魔術士トラヴィスが、予期せぬ事態に眉を寄せて小さくうめく。

 トラヴィスが座っている黒い椅子に何度魔力を流しても、なんの手応えもなく反応も示さないから。


 ——マジかよ俺、この椅子壊してないよね!?


 表情は努めて冷静に。けれど内心ガクブルしてしまう情けないトラヴィスの身体を、静かで冷えた空気が包み込む。


 帝都の中心にそびえ立つ砦のような城の地下深く。窓もなく日差しが届かぬ地の底は、底冷えする冷たさで満ちていた。

 四方を黒で覆われた一室に、九脚の黒い椅子ブラックチェアが円を描くように並んでいる。


 その一脚に座る魔術士と後ろで控える騎士がひと組。


 トラヴィスは黒を基調とした隊服を着崩し、枯草色の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。


 ——ぬあーッ! え、俺、ついにとうとう魔道具すらまとも使えなくなったの!?


 心の叫びは決して声にも顔にも出さずに冷静沈着な魔術士を装い続ける。後ろで控える騎士にみっともない姿を見せたくないからだ。


 トラヴィスは魔術士らしく武器らしい武器は携行していない。代わりに丈夫な帆布鞄を肩から下げ、今は膝の上に置いていた。

 その帆布鞄を指でトントン叩きながら、榛色ヘーゼルの目を細めて考える。


 ——ただでさえ術式破棄スペルキャンセルしか使えないポンコツだってのに!? 序列最下位の役立たずがついにマジモンの役立たずに!?


 そうしてしばらく叫んで気持ちを落ち着けてから、トラヴィスは斜め後ろで気配を消して立っている騎士ギードにようやく声をかけた。


「……なあ、ギード。俺、黒い椅子ブラックチェアの起動方法、間違えでもした?」

「記憶している限り、お前が黒い椅子ブラックチェアの起動を間違えたことは一度もない」


 硬質で落ち着いた響きを持つ声が、トラヴィスの過去と今とを肯定する。


 ——よかった、俺、役立たず違う。役立たず回避!


 ギードの言葉であっさり自信を取り戻したトラヴィスは、黒い椅子ブラックチェアの背もたれ越しに振り返った。


 切長の黒い目、短くさっぱりとした黒髪。スッと通った鼻筋に乱れのない輪郭。隊服の詰襟までキッチリとボタンを閉じた姿は真面目を体現しているよう。


「お前が失敗したようには見えなかった。加えてヴィリ殿が整備不良を起こすはずがない」

「だよな? ……てことは、皇帝陛下に敵対する組織ヤツらの妨害かぁ」


 トラヴィスは唸りながら黒い椅子の背もたれに身体を預けた。


 ふたりの雇い主あるじはガラテア帝国皇帝リュディガー・バーチュ。リュディガー皇帝の粛清諜報員使いっ走りである。


 変人だと評される皇帝には、内外に敵がざくざく山ほど存在する。そして、皇帝に敵が多ければ多いほど、諜報と粛清の仕事が増えて金になる。


「ふは、ボーナスチャンスじゃんよ。うっし、キリキリ働いて目指せ借金完済!」

「トラヴィス、いい加減、私の貯金を返済に回す気にはならないのか? そうすれば完済などすぐに達成できるはずだが」


 ギードの行き過ぎた善意お節介発言にトラヴィスは思わず顔をしかめた。さっきまでのウキウキ気分が急降下だ。


「駄目。お前の金はお前のもの。俺の借金は俺のもの。第一、ちょーっとギードの復讐に付き合ってやったからって、恩にきすぎ。……はぁ、面倒臭い生き物だよな、騎士ってもんは」


 トラヴィスがジロリと睨む。ギードはどこ吹く風で平然としたまま。


 騎士という生き物は、とにもかくにも面倒臭い。義理に厚く恩に報いることに執着する。

 加えて、誰もが皆、魔力を持ち、戦闘職といえば魔術士か魔剣士が主流のこの世界では、魔力を封じて剣のみで戦う騎士はそれだけで異端だ面倒臭い


「しかし、仮とはいえ誓約した。お前は早く私の真の誓約を受けるべきだ」


 どことなく真剣な熱を帯びた声がトラヴィスの鼓膜を震わせる。


 ——絶対に受けてやらん! ポンコツ魔術士に騎士の人生なんか預かれるわけがない!


 そうは言うものの、トラヴィスにはギードから騎士の誓約を仮受けした過去がある。

 ギードの復讐を達成するため、騎士としての力を底上げするために仕方なく結んだものだった。


 代償として得るのは絶大なる力。不可視の力や魔力さえ斬り伏せる力を騎士は得る。けれどその人生を、自由を、権利をあるじに一生縛られる。

 仮誓約中であるからギードはこうしてトラヴィスに対して自由に振る舞うことができるのに。


「いいか、トラヴィス。仮でも誓約した以上、私は騎士としてお前を守る義務がある」

「あーはいはい。そんなだから俺に付き合ってこんなとこまで来ちちまったんだぞ。わかってんのか、そこんところ!」


「それで、どうする。他の椅子チェアたちを呼び集めるか? それとも私たちで対処するのか?」

「おい、急に話を変えるな。まだ話は終わってねぇぞ。……でもギードの言いたいこともよくわかる」


 トラヴィスはわからず屋のギードのせいでうっかり眉間に刻んでしまった深い皺を人差し指で伸ばしながら、深呼吸をひとつ。息を吐いて、吸ってから口を開いた。


「……俺らの手には負えないだろ、これ。円卓会議の召集一択だ」




 皇帝陛下の黒い椅子、通称椅子チェア

 どんな会議や密談であっても、皇帝の意に反するのであれば黒い椅子とともに現れ、粛清して去る諜報機関。


 椅子は九脚、機関員も同じ九人。リーダーはおらず、強さを測る序列はあっても誰もが対等。


 どこにもおらず、どこへでも現れる。招かれざる会議も、密談も、彼らは関係なく現れる。


 ——黒い椅子とともに。


 ガラテア帝国の表向きの組織図には存在しない黒い椅子ブラックチェア

 彼らは非実在機関として、人々の噂や御伽話の中でしか語られない。




 帝国内のありとあらゆる会議や密談に侵入を果たす魔道具、黒い椅子ブラックチェア

 その魔道具に異常が発生したことは、トラヴィスによって速やかに粛清諜報機関椅子チェアに伝達された。


 一時間も経たないうちに円卓会議が召集され、九人のうち六人が四方を白い壁と床で囲まれた会議室——白会議室に揃った。

 会議室の奥には、四方を黒で覆い、九脚の黒い椅子ブラックチェアが円を描く部屋——黒部屋に繋がる扉がある。


 そして、トラヴィスはどうしてかひとり、着席することを許されず白い会議室で立っている。


「トラヴィス、報告を」

 冷静沈着で底冷えするような冷たさを持つ声で、壮年の男——ゲープハルトがそう言った。


 ——こんな非常事態でも顔色変えないのか、ゲープハルト老は。


 讃えるべきか、恐るべきか。ゲープハルトに名指しされたトラヴィスは、円卓会議にも関わらず会議を取り仕切る男をジッと見る。


 本来、円卓会議に序列は無用だ。召集をかけた者がその会議を取りまとめる決まりになっている。

 けれどゲープハルトはトラヴィスから第一報を受け取ると、自分がこの会議を取り仕切ると言い出した。


 序列一位で最古参のゲープハルトの言葉に、序列九位で最下位のトラヴィスは、呆気に取られて口をはくはくさせるしかなかった。


 そういうわけで、円卓会議の進行役ではなく報告者になってしまったトラヴィスは、こうして皆の前で立たされている。


「俺の情報屋が掴んだ密談に侵入しようと試みて……失敗したわ。すまん!」


 トラヴィスは、ガバリと音がしそうなほど勢いよく頭を下げた。誰にも追撃されないように先手を打った。美しい直角九十度の角度で腰を折り、頭を下げる。


「無駄に頭下げなくていいし! 時間の無駄。いいから状況、教えるし!」


 バァン! と不機嫌に机を叩く音がして、トラヴィスは反射的に顔を上げた。


 視線の先には桃色の髪の毛先を魔術で黄色に輝かせた少年。大きな目をキリリと吊り上げている。序列五位のヴィリである。

 少しも怖くはなく、むしろ可愛らしさを感じさせるヴィリの表情に、トラヴィスはいい意味で、ふ、と気が抜けた。


「悪ぃ悪ぃ、ヴィリ先輩。……あー、黒い椅子ブラックチェアを起動してもうんともすんともいわない。魔力は足りてるし手順もバッチリ。なのに、駄目だった」

「えー、嘘でしょ? 起動は? 起動はしたの?」

「起動は私が確認している。が、すぐに落ちたように感じた」


 ヴィリの確認に答えたのはギードだ。

 ギードは魔術が使えない。騎士とは誓約により魔力を封じて力を得る生き物だから。

 とはいっても、騎士が魔力の痕跡を視れないわけじゃない。むしろ、魔力の流れや動きを視ることに長けている。


 そんなギードの序列は八位。魔術が使えないという一点でこの順位に甘んじている。 


「落ちた? ……ということは、侵入途中で接続アクセス遮断されてブラックアウトか……?」


 薄いくちびるを黒い手袋で覆われた指でいじりながらブツブツ呟いているのは、序列七位のカイ。

 夜の藍色を切り取ったような色の短い髪を整えて、縁なしリムレス眼鏡をかけた青年だ。


「相手方に妨害魔術の天才でもいるのかなぁ。ぼくが組み上げたスペシャルな魔術式を知らない限り、強制接続アクセス遮断なんて無理無理無理ゲーなんだけど。ねー、カイ君」

「そうですね、ヴィリ先輩。貴方の術式は複雑スパゲティすぎて解読が難しいですから」

「おわ? 褒めらりた? ぼく、褒められた?」


 嬉しそうに頬を緩めるヴィリ。ヴィリはカイの師匠を自称するほどカイを可愛がっている。

 けれどカイは年下の少年に教わっている、という状況を受け入れることができないようで、いつも苦虫を噛み潰したような顔でヴィリの話を聞き、時々チクチク刺している。


 そんなふたりを眺めながら、トラヴィスの隣に座るギードが小さく首を傾げてボソリと言う。


「褒めては……いないのではないだろうか」

「ギード、しぃー! いいんだよ、ヴィリ先輩が上機嫌なら」


 機関内の黒い椅子ブラックチェアは、すべてヴィリとカイとで整備を行なっている。

 主担当がヴィリ、副担当がカイで、忘却技術ロストテクノロジーに近い九脚の黒い椅子ブラックチェアを管理しているのだ。


「そういや、長老会議ゲルシアの密談への侵入が阻まれたのは今回がはじめてなんだっけか?」


 円卓会議に出席している六人の中で、一番背が高く体格もよい男——序列四位のケイレブが、なんとはなしに声を上げた。


 燃えるような赤く長い髪に褐色の肌。本来ならば長袖であるべき隊服の袖を引きちぎり、強引に袖なし隊服に改造している無頼者。

 諜報よりは粛清や皇帝の護衛任務にあたることが多い武人で戦闘狂だ。


「我らが皇帝陛下は敵が多くて我らの仕事に困らないのが、唯一の困りごとであるな」


 少しも困っていないゲープハルトの声。トラヴィスがうっかり乾いた笑いを受かべていると、白会議室にひとりの若い青年が駆け込んできた。


 柔らかく癖のある茶色の髪を乱れさせ、耳と尻尾とを生やした犬人の青年——序列六位であるクンツが、青褪めた顔と焦った声でこう吠えた。


「た、大変ッス! 退位させたはずの先帝が、長老会議ゲルシアと手を組んで……謀叛ッス!」

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