第二十七話 秘術

 ジェフの斬撃によって砕けた宝玉の内部からは、血液を思わせる赤黒い液体が吹き出した。


「もはや選択の余地は無い。私はこんな所で息絶えるわけにはいかないのだ」


酷い火傷を負ったジェラルドを覆い包むかのように、その液体は止めどなく流れ出し続ける。高く掲げられた宝玉の亀裂から脈動を伴うかのように噴き出すそれは、やがて男の焼け爛れた肌を覆い尽くしたが、それでもその勢いは収まる事無かった。

更には徐々に固さを帯び、氷塊とも石塊も形容出来る、巨大な物体へと変貌していく。


「な、なんだよそれ!?」


 その異常な様子を見たジェフは、狼狽えながら後退る。そして動揺の色を隠しきれないのは少年だけでなく、ミーナやフィオレンティーナ、兵たちも同じだった。


「ジェラルド、貴様何を……!」


 ゆっくりと上体を起こした女王は、どす黒い岩の塊に言葉をぶつける。

 気付けば空は黒々とした雲に覆われ、時折響く雷鳴がこれから起きる災いを予感させるかのようだった。


「私は考えた、真の至高者とは何か。人々を支配し、天地にその威厳を示す事が出来る存在とは何か……」

「ふざけた事をぬかすな!」


 力無く立ち上がったものの、フィオレンティーナは怒鳴るように声を張り上げる。

 だが彼女の言葉に耳を貸さないかのように、はたまた聞こえていないのか、岩塊と化したジェラルドの声が再度響き渡る。


「そこで私は一つの結論を導き出した。真の至高者とは人間としての、生物としての脆弱さを克服した存在である、と。更にその為には禁術、そして王家に伝わる秘術が必要だとも考えた。だが私の、人間としての肉体は死を迎えようとしている。ならば未完であっても、この禁術を用いてこの身を捨てて、それが醜悪で不完全であろうとも、新たな姿へと転生しようではないかっ!!」


 あまりにも次元の違う台詞の数々に、ミーナや兵たちは理解が追い付かずにいたが、眼前の物体から放たれる身の毛もよだつ波動に晒され、それが人間にとっての災厄となる事だけは感じ取れた。

 そして、秘術の委細を知る女王フィオレンティーナは、ジェラルドの言葉の意味を理解したかのように青ざめた色で顔を引きつらせる。


「さあ、これが新たなる支配者の姿だ!」


 叫び声と共に雷鳴がとどろき、刹那、狂った野望を象徴するような歪な形状の岩塊に雷が落ち、轟音と共に視界を遮る閃光が走る。

 そして、その場にいた一同の視力と聴力が戻った時に彼女らの眼前に佇んでいたのは、漆黒の鱗と二対の翼を持つ、家屋程も大きさのある巨大なドラゴンだった。


「これが結論だ。そして死出の旅への餞別に教えてやろう。この私の姿は、複数の魂を合成する事で造られた姿だ。様々なドラゴンの魂を抽出し凝縮した感応石の力によって、人間の知恵とドラゴンの強靭さを兼ね備える究極の存在となるのだ」


 しかし、その誇らしげな声色とは裏腹に、不揃いな手足の大きさや不格好な翼の形状、そして歪んで閉まりの悪い口元からは、言葉の度に唾液がしたたり落ちた。

 ジェラルド――と称された男は今は醜悪な怪物となり果てた――自身、その不完全さを認識しているかのように、身体を震わせながら言葉を続ける。


「貴様らの表情から、私が醜い姿を晒している事は想像に難くない。私の抜魂術は不完全で、対象の魂を部分的に抜き出すことしか出来ない事は分かっている。そして術を完成させ完全なる存在となる、その為にも……」


 言葉を切るドラゴンを前に、ミーナとジェフ、それにフィオレンティーナたちは固唾を飲んだ。

 そして長さの揃わない後ろ足で石畳を勢いよく踏みつけると、狂った野望の化身は鼻腔から大量の空気を取り入れ、それを吐き出すかのように咆哮を上げた。


「フィオレンティーナ! 貴様を屠り、秘術を手に入れる必要があるのだ!!」


 人間である事を捨てた術士は、眼前の女王を血祭りにあげるべく、一歩一歩よろめくような足取りで彼女に迫り始める。既に殆どの力を使い果たしたフィオレンティーナだったが、敵を迎え撃つべく再び構えをとった。


「女王様!」


 その様子を見たジェフと兵たち数人は、彼女を守るべく彼女の元へと駆け寄ろうとした。

 しかし、漆黒のドラゴンはそれを許さず、彼らの方に頭だけを向けると、その喉奥から激烈な冷気を吐き出した。大気すらも凍り付かせる冷気は、まるで白く輝く閃光となって兵たちを襲う。


「うおあああああ!!」


 重装備の兵たちは手にした盾で冷気を防ごうとしたが、彼らは防具もろとも凍てつき、一瞬にして真っ白な氷柱と化す。

 一方で、身軽なジェフだけは間一髪でそれを避けると、転がり込むかのようにフィオレンティーナの傍らへと辿り着いた。


「お前、殺されるぞ! 奴の標的はこのあたしだ! セレスとあの小娘を連れて早く逃げろ!」


 加勢は無用とばかりに叫ぶ女王だったが、それでも少年は長剣を両手で握りしめて眼前に構える。そして、本当は逃げ出したい気持ちを押さえ込むかのように、震えを帯びた声色でフィオレンティーナの言葉に答えた。


「わかってますよ。でも、あなたが殺されたらここまで来た意味が無いし、それにエリーさんが悲しみますから」


 きざな台詞だと自身でも分かっていたのか、ジェフは自嘲するかのように一度鼻を鳴らす。


「……好きにしろ!」


 そんな彼に呆れたのか、女王は吐き捨てるように言い、それ以上は何も言わなかった。

 一方で漆黒のドラゴンは、哀れにも氷の柱と化した兵士たちに、歪な前足を伸ばす。ぎこちない動きで氷柱をまとめ抱えると、それらを丸のみにするかのように大口を開けた。

 すると霧のような物が立ち上り、それはドラゴンの喉奥へと消えた。そして、それまで白かった氷柱は灰色に濁り、やがて音も無く崩れ去った。

 直後、その図体に比べて矮小だった後脚が激しく脈動し、急激に成長するかのように逞しい物へと形を変えていく。


「この世のあらゆる生物を自身の糧と見ているようだな」

「理解が早いな、だがこれでは一時しのぎにしかならん」

「安心しろジェラルド、すぐにそんな事は必要無くしてやるからな」


 その残酷な様子、つまりは他者の生命を吸い上げている事を理解したが、フィオレンティーナは臆する事無く、ジェラルドと言葉を交わし続けた。


「貴様がその至高者なる者へと到達する前に、息の根を止めてやろう!」

「面白い! ならばお前をうち倒し、私こそがこの世の支配者たることを証明しよう!」


 感情を爆発させるかのように声を張り上げると、フィオレンティーナの顔に色が戻る。それは文字通りに命を削り戦う、救国の主の姿であった。


 そんな彼女らのやり取りを見守るミーナは、その手の平から滴り落ちる煌めく癒しの雫をエリーへと振り撒き続ける。だが一向に姫の顔色は悪く、その呼吸は浅く短いままであった。

 やがて彼女の術力も底が見え、少女は吐き気とめまいに膝を折った。


「どうすれば良いかわかんないよ……」


 跪いたミーナは瞼を閉じたエリーの顔を見遣る。土気色の肌に青紫の唇、呼吸は耳を澄まさなければ分からない程にまで弱まっていた。

 放って置けばその魂がかき消えてしまうのは明らかだった。それでも、もう少女が出来る事は無く、ただ彼女の冷たい手を握り締めて祈る事しか出来なかった。


――お願い、目を開けて


 ミーナは固く目を瞑ったまま祈り続け、やがてその目から涙の雫が零れ、頬を伝い、そしてエリーの手に落ちた。


(ミー……ナ)


 澄んだ涙の起こした奇跡か、それは紛れもないエリーの声が少女の内に響いた。

 だが次の瞬間、つんざく様な絶叫が辺りに響き渡った。たちどころに顔を上げたミーナが声の方を向けば、そこには地に臥せった幼馴染と、ドラゴンに捉えられたフィオレンティーナの姿があった。


「うぐあああああ!」

「苦しいか? 苦しいはずだな」


 ジェラルドがその不格好な左前足で女王の胴体を握りしめ上げると、彼女の口からは鮮血が吐き出され、それと同時に獣の咆哮の様な、とても女の声とは思えないような叫びが発せられた。

 けれども邪悪なドラゴンとなった術士は、その苦痛を長引かせ、交渉の道具にするかのように加える圧に強弱をつける。


「ひと思いに楽にしてやりたいが、王家の秘術について聞きだすまでは死んでもらっては困るからな」


 残酷な台詞を吐き掛けられたフィオレンティーナは既にぐったりとし、糸の切れた操り人形のように脱力しきっていた。


「おや? 少々やり過ぎたかな?」


 表情を作ることが出来ないはずのドラゴンの顔面に嘲笑が浮かぶと、おもむろに女王の胸元にある、深紅の宝玉が設えられたブローチに鉤爪を伸ばした。


「この感応石が秘術への手掛かりなのは分かっているが……」


 勝利を確信したジェラルドが、人間のものとは全く違う、節くれ立った醜い手でそれに触れようとした――その時だった。血に塗れ、腫れ上がった顔を上げたフィオレンティーナは喉の奥から弱々しく声を絞り出す。


「本……当に、秘術を……渡せば、セレスの……事は見逃して……くれるのか?」


 思いもよらぬ、敗北を認める彼女の言葉に、ドラゴンの裂け上がった口角が増々吊り上がった。


「ああ、秘術を渡せばセレスティーヌの命だけは助けてやるし、事が済んだらお前も直ぐに楽にしてやろう」


 不気味に笑みを浮かべたドラゴンは、フィオレンティーナの体を雑に地面へと投げ捨てた。

 叩きつけられ小さく声を上げた彼女だったが、そのぼろ雑巾のようになった体を懸命に起こすと胸元のブローチを外し、それをジェラルドの方に向けて掲げる。


「秘術……それ……は、術法の……そのものでは……ない。王に……課せられた……使命を、果たす……際に、その……封印を、解く……というものだ」


 途切れ途切れの言葉が彼女の受けた傷の重篤さを示していた。

 けれどもドラゴンはその大きな鼻腔からため息のように息を吐き出すと、満身創痍の女王に話を続けるように促した。


「前置きなどどうでも良い、要点のみを説明しろ。苦痛が長引くだけだぞ」

「王国に…災厄……訪れる時、乞い……祈れば、紅き……竜は、その力で……汝を助ける」

「何を言っているのかいまいち分からん、気でもふれたか?」


 いよいよジェラルドが苛立ちを覚えた頃、震える手で掲げられた深紅の宝玉が輝きを帯び始めた。


「要……するに……、こういう……事だっ!」

「使って見せるというわけか。面白い、やってみろ!」


 自らの強大さを試そうとするかのように挑発的な態度をとるジェラルド。その言葉を聞き、僅かに口角を上げたフィオレンティーナは、正真正銘最後の力を、手にした宝玉へと送り込む。

 そして、感応石の放つ光は強さを増し、やがて周囲に居た者の視界を奪う程となる。そして光の洪水が収まった時には女王の姿はなく、そこにあったのは深紅の竜鱗と金色のたてがみを持つドラゴンの姿だった。

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