第九話 影武者
宿の者に教わった、セレスティーヌが滞在するという建物の前には、既に大勢の人が列を成していた。それは昨日の演説に心動かされ、例の姫が率いる軍勢に与さんとする者たちで、手続きを今かと待っていた。
「凄い行列だね」
「それだけこの国の在り様に不満を持つ人間が、この街には多いという事ね」
ゆっくりと進む列から外れないように注意しながら、三人はその時を待った。
すると不意に、背後から若い男性に声を掛けられる。
「ちょっと君たち、こちらへ来てもらえないかな?」
「んだよ、折角ここまで進んだのに!」
エリーは悪態をつくジェフを傍目に、見覚えのある眼前の男を見据え、目を細めて記憶を辿る。精悍かつ整った面立ち、それは昨日の演説で前口上を述べた若い男だった。
「あら、セレスティーヌ殿下のご側近の騎士様ではありませんか?」
「昨日の演説、見ていてくれたようだね。私の名はクレール・ヴァロワ、我らが軍団の指揮と、殿下の護衛を任されている」
「で、どういった御用でしょうか?」
クレールと名乗る騎士は、親愛の情をたっぷりと含ませたような甘い微笑みを浮かべると、冷ややかな視線を返すエリーにこう答えた。
「殿下が君たちに直接会いたいと仰っているんだ。この列に並んでいるという事は、我らと共に戦う意思があるのだろう? 詳細は分からぬが、特別な処遇も有るやしれんよ。何せ君らはドラゴンを仕留められる程の腕前だからな」
「色々とご存じなんですね。そんな有難いお話でしたら、断るのは野暮。早速ご案内願いますわ」
急展開に目を白黒させるミーナとジェフに代わり、エリーは慣れた様子で言葉を交わす。それはあたかも貴族の出自であることが嘘では無い事を示すかのような、どこか慇懃無礼とも取れるやり取りであった。
「ではこちらへ。殿下は寛大で慈悲深いが、くれぐれも粗相の無いように願うよ」
少年少女を一瞥したクレールは、列の先頭とは全く違う、建物の裏手へと三人を案内した。
表の喧騒とは打って変わり、石造りの建物内は静かだった。急ごしらえなのか、とても王妹の滞在する施設とは思えない殺風景な廊下を四人は歩く。
やがて、体格の良い中年男性が両脇を固める扉の前で彼らは足を止める。すると護衛と思しき二人は恭しく頭を下げると、何を言うわけでも無くそこを退いた。
そしてクレールが扉を叩くと、まるで鈴の音を転がすような透き通った声が聞こえた。
「一国の姫に謁見出来るのだ。光栄に思い給え」
騎士の勿体ぶるかのような言葉の後、三人は室内へと招き入れられた。
想像よりも質素、下手をすれば貧相とも形容出来る部屋の一角に彼女は居た。この場に不釣り合いな豪奢な椅子に腰掛けた姫は、青年の姿を見るや否や、若草色のドレスを翻して駆けるかのように彼らに歩み寄った。
「お帰りなさい、その人が私の言った娘ね」
「はい殿下、確かに遠目の雰囲気は殿下に近いものがあります」
親しげな台詞と共に青年に微笑み掛ける姫の表情は、昨日見せた凛とした表情とは遠く掛け離れ、それは愛する者に語り掛ける年ごろの娘のそれと何ら変わりなかった。
そしてセレスティーヌは一歩エリーに近づくと、まるで品定めをするかのように彼女の顔を覗き込む。
「でもこうやって近くで見ると、そんなに私に似てない気もするわ。ちょっとお肌が荒れてるわよ?」
そんな事を言われれば、普段なら棘のある言葉と共に侮蔑に満ちた視線を送るエリーも、流石に今回ばかりは鳴りを潜めていた。
「お初お目に掛かります、セレスティーヌ殿下。私はエリー・シャリエ、旅の術士でしたがこの度の殿下の勇気ある行動に胸打たれ、微力ながらもお力添え出来ればと思い、この場に馳せ参じた次第です」
「わ、わたしはミネルヴァ・レンフィールドです! ミーナって呼んで下さい!」
「おれ……わたくしはジェフリー・ファロン、剣士でございます。今後ともお見知りおきを」
とは言え、奔放な姫の言動に嫌気が差したのか、会話の主導権を握ろうとするかのように口を開くエリー。それに続き、ミーナとジェフも自己紹介をする。
「エリーちゃんかぁ、よろしくね!」
そんな三人の事など意にも介さず、相変わらず自由な態度を取るセレスティーヌ。
けれどもその姫を制したのは、側近の騎士であった。
「殿下、お早めに本題にお入りください。この後の予定に響きます」
「そうだったわ! では単刀直入に言うと、私の影武者になって欲しいの。やってくれるわよね?」
その言葉を聞いたミーナは一瞬、目を丸くする。あまりにも適時な出来事には何かしらの魔が潜む事を本能で感じていた。
そしてそれはエリーも同様だった。愛想笑いに僅かにひびが入り、細めた目が僅かに開く。
「何だか嫌そうだけど……、当たり前よね? 女王を倒すつもりの女の身代わりだなんて。けど、上手く行ったら一生遊んで暮らせるようにしてあげるわよ?」
昨日、あの仰々しい演説を行った者とは思えない軽々しい言葉に、エリーは顔を引きつらせて言葉を返した。
「殿下、失礼を承知で申し上げますが、その様な私利私欲の為に私は戦いに志願したのではありません。国の在り方や、政治への不信に対して立ち上がる殿下の志に胸打たれたからこそ、この場に私は立っております」
「あれ? 随分とお堅いわね~、冗談よ。そんなに立派な志を持ってるとは思わなかったから、報酬で釣った方が良いかと思っただけなの。気を悪くしたなら謝るわ、ごめんなさいね」
一瞬、面食らったかのように目を見開いた姫は、眉を八の字に寄せたままに微笑みながら謝る。それに対しエリーは微笑み返すと直後、表情を引き締めておもむろに片膝をついた。
「そのお言葉を聞いて安心致しました。この国の民に安寧をもたらす為、命を懸けて、共に戦う所存です」
忠誠を誓う彼女を見て、セレスティーヌは満足そうに笑う。それを見たミーナとジェフもそそくさと膝をつき、そして頭を垂れた。
「あまりにも出来過ぎじゃない?」
「そう思う気もするけど、やるしかないでしょ?」
「危険過ぎる気もしますよ」
荷物を取りに宿に帰った三人は、今後について話し合っていた。
「もしかしてこっちの企みがバレてるんじゃ……」
不安に駆られたミーナの言葉に、エリーは眉をひそめる。
「流石にそれは疑心暗鬼よ。そもそも素性さえ分からないのに、私たちの目的なんて分かるはずないわ」
「エリーさんの言う通りです。でも、逆を言えば素性の分からない旅の者に影武者なんてやらせますかね?」
的を得たジェフの言葉の後、三人を沈黙が包む。
だが既に賽は投げられた。セレスティーヌに近づけた事はゆるぎない事実で、そしてそれはこれから彼女らが行おうとしている事には追い風である事も確かであった。
「どちらにせよ、目的の達成には近づいたわ。推測で物を語るよりも、これからどうするかの話し合いをしましょう」
深いため息をつくものの、前向きな言葉を口にするエリー。そんな彼女を見たミーナはその意見に賛成しつつも、とある疑問を投げ掛けた。
「ところでさ、エリーはあのお姫様を偽物だって言ってたけど、今でもそう思ってるの?」
「思っているのではなく、確信しているわ」
蒼眼に決意を滲ませ、少女の方を向くと、さらに言葉を続ける。
「そして、あの女が偽者のセレスティーヌ殿下である事を証明する事で、今回の騒動に終止符を打てると思っているわ」
「エリーさんがそこまで言うなら俺は信じますけど、あの王女様……もどき? が本物だってみんなは信じてますよ。どうやって偽者だって証明するんですか?」
「大丈夫、考えはあるわ。昨日の夜、一晩掛けて思い付いた妙案がね」
内容こそ述べなかったが、エリーの言葉を二人は信じるほかなかった。
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