第三話 荒野の街

 山脈の尾根を越えた先にはあまりにも荒涼とした大地が広がっていた。少女の故郷、ラドフォードから見える山々はまだ雪化粧を残しているものの、初夏にもなれば青々とした植物に覆われる緑豊かな地であった。

けれども今、彼女たちの居るこの場所は岩と砂ばかりの殺風景な、それこそ死の大地と形容するのに相応しい様相を呈していた。

 そして、この荒れ果てた大地の先に広がるのが、一行が求めるドラゴンの巣くう『竜の背』と呼ばれる砂漠地帯だった。


「にしても、酷い場所だな。生き物が住むには厳し過ぎやしないか?」


 夕日に照らされながら野宿の準備をするジェフは、辺りを見回しながらそう言った。


「だね。でも、この先はもっと過酷な所だって話だよ? ドラゴンって言うのは荒れ地が好きな生き物なのかな?」


 薪が得られない事を事前に予想していた少女は、あらかじめ持って来ていた炎の感応石をいくつか地面に並べる。暖を取るために術を石に掛けると、直ぐに赤々とした炎にも似た光と熱が発せられ、少女の冷えた頬を優しく暖め始めた。

 ミーナがそんな事をしていると、テントを張り終えたジェフも暖を取ろうと彼女の横に腰を下ろした。


「どうなんだろうな、ドラゴン的にはこう言う場所が好きなのかもしれないな。人里離れて暮らしてくれて、人間側としては大助かりだろ」

「そうだね。話を聞く限り、あんまり仲良く出来る生き物とは思えないし」


 風除け代わりの大岩の傍で二人は他愛もない会話する。

 やがて、辺りの様子を調べに行っていたエリーが遠眼鏡を手に戻って来た。


「準備が早いわね。ところで見える範囲には私たち以外に人間は居なさそうよ。もっとも、今はだけど」


 彼女は遠眼鏡をミーナに返して腰を下ろすと、感応石の焚火に手をかざす。


「そっか。じゃあ早くご飯を食べて、交代で見張りだね」

「そうなるわね。いつもの結界は張るけど、油断出来ないわよ」

「じゃあさっさと飯にしようぜ、腹減って死にそうだぜ」


 一言二言言葉を交わすと、誰が指示を出すわけでもなく、各々は適当かつ適切に役目を勤め始めた。




 初日という事もあり、三人は満足のいく食事を摂る事が出来た。食後の茶を楽しんだ後には、どんな宝石箱よりも煌めき輝く満天の星空を眺めていた。

かつてミーナは王都を訪れた際に夜空を見上げることがあったが、その時の星の少なさには落胆と同時に、故郷であるラドフォードから見える星が如何に多いかを再認識した。

だが今、彼女の目に映る星の数は、その数倍、数十倍と言えるほどだった。


「すごいね……」

「そうね……」

「だな……」


息を飲む光景に気の利いた言葉など発する者は居なかった。感動し、圧倒され、呟く以外に何が出来るだろうか。

けれども、永遠とも思われる幻想を打ち砕いたのは、少年のなんとも品の無い一言だった。


「でも寒いなぁ……、ちょっと小便してくるよ」


 ジェフが立ち上がり物陰に姿を消した後、残された二人もおもむろにその身を起こす。興醒めしたミーナは大きくため息をつくと、結った髪についた砂を払うエリーの方を向いた。


「台無し」

「生理現象ですもの、仕方ないわ。さあ、そろそろ休みましょう? 明日からは、こんなにお気楽にはいかないわよ」


 彼女も立ち上がると、髪留めを外しながら小さなテントへと向かった。ミーナはというと、用を足しに行った幼馴染が戻るのを待った後、これから見張りをする彼に声を掛けると床に就いた。

炎の感応石の赤い光が、エリーの術によって作られた霧の結界に反射して、地上にもう一つの宝石箱を作り出す。少年はしばし、孤独な時間をその煌めきの中で過ごしていた。




 エリーの言葉通り、その後の道のりは辛く厳しいものであった。照り付ける日差しは思いのほか強く、今が暦の上では春である事を忘れさせた。それに加えて、遮るものの無い砂漠から吹き付ける砂塵や、どこからともなく彼女らの存在を嗅ぎつける羽虫の不快さといえば筆舌に尽くし難く、昨日の行楽気分は一転、苦行といっても差支えの無い様相を呈していた。

 それでもエリーは勿論、ミーナもジェフも文句や弱音の類を吐く事無く、外套のフードを目深に被り、黙々とその歩みを続けた。

 そして、ラドフォードを発ってから数えて七回目の夕焼けが少女たちを照らす頃、突如として現れた要塞を思わせる強固な壁に囲われた街が、彼女たちを迎え入れた。




「……はぁ」


 目の前に置かれた料理は既に温かさを失っていたが、未だそれに手をつける事無く、ミーナとジェフはぐったりとうな垂れていた。


「早く食べないと冷めるわよ」


 そんな二人を差し置いて食を進めるエリーの皿の上には、もう殆ど料理は残っていなかった。促され、ようやく料理を口に運び始める少女の表情は、疲労困憊という言葉を体現したような顔つきであった。少年も同じような表情で、ゆっくりと料理に手をつけ始める。そして、それを見届けると、エリーは食後のデザートを注文するために給仕に向けて手をあげた。

 やっと二人が食事を終えた頃には、甘味を満喫する彼女の前に四つ目のデザートが置かれていた。


「良くそんなに食べれますね……」

「路銀にはまだまだ余裕があるわ。精神と肉体の回復の為にも、ここは我慢せずに食べるべきよ。ミーナとジェフくんもデザート頼む?」

「「要りません」」


 声を重ねて返答されたエリーは、黄金色の蜜がたっぷりと掛かったパンケーキを頬張りながら、わざとらしく肩をすくめた。


「にしても、こんな荒野にある街なのに凄い人の数だね」


 ミーナが生気の戻った顔で周りを見回すと、見るからに肉体労働者といった筋骨隆々とした男たちが至る所で仕事終わりの酒を酌み交わしている。労働者向けの食堂兼酒場と思しきこの場所は、ラドフォードにあるどんな酒場よりも大きく、そして賑わっていた。


「ここに来れば、すねに傷を持つような人間でも稼げるからよ。グレンフェル王国のように安定した国に住むあなた達からすると想像し難いでしょうけど」


 皿を空にしたエリーは口直しの茶をすすりながら、少女の疑問に答えた。


「って事は、もうアルサーナ王国に入ったって事ですか? ついに国境越えかぁ……」

「一応ね。とは言っても中央政府の目に届きにくい場でもあるわ。かつては流刑地としての集落があったそうだけど、感応石の鉱脈が発見された事でここまで大きく栄えたそうよ」


 感慨深そうなジェフを横目に、ミーナが更なる疑問を博識な彼女にぶつける。


「鉱山なら政府の管理下に置きそうだけど?」

「山脈を超えた北側には良質な感応石の産地がたくさんあるわ。王都にも近いし、険しい山脈を越える必要も無い。勿論、あちらは政府主導で採掘事業が進められているせいで、利権やら何やらのしがらみが多いのはいただけないわ。それにここが『竜の背』に面している事を忘れていないかしら? ドラゴンがそれ程好戦的では無いにしろ、危険な生き物の棲む地域の傍で働きたい人間がどれくらい居るかしら? 真っ当な人間ならこんな辺境で働く訳無いわ」


 少女は少々混乱気味に頷くと再度辺りを見回した。なるほどエリーの言う通り、所謂はみ出し者の烙印を押されていそうな、お世辞にも上品そうとは言えない面持ちの人々が賑わいを見せていた。それは何も鉱夫の男たちに限った事では無く、この酒場で働く男女たちにも言えそうだった。


「別に今回の旅とこの街の成り立ちに、何の関係があるわけでも無いけどね。一つ言えるのはこの街から東に二日も歩けば、そこがドラゴンの多く生息する地域だという事よ」


 そう言い終えるとエリーは席を立った。


「いよいよドラゴン狩りだな!」

「わたしは狩りをしたいわけじゃないんだけどな……」


 冒険の佳境を目前に奮い立つジェフとは対照的に、ミーナは苦笑混じりの笑いを浮かべた。

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